新コラム【私のメディア・リテラシー】 第1回「新型コロナウイルス感染症報道とメディア・リテラシー」 尾﨑 雄 Ozaki Takeshi(「老・病・死を考える会プラス」世話人 、元日本経済新聞編集委員)
1942 生まれ。65年早稲田大学卒。日本経済新聞社入社、「日経WOMAN」編集長、編集委員、仙台白百合女子大学教授などを経て、現在は在宅ホスピスを経営する認定NPO法人コミュニティケアリンク東京副理事長など医療・介護福祉団体の経営に関わっている。4月に2040年問題、2060年問題を40歳代以下の世代と考える勉強会「AIDプラス」を立ち上げる。
第1回「新型コロナウイルス感染症報道とメディア・リテラシー」 2020-3-22
1929年の10月のことである。ニューヨークの株式市場が大暴落した。それがきっかけで世界大恐慌が勃発し、世界は第二次世界大戦という人類史的な悲劇に巻きまれた。それは、いま生きている人にとっては教科書でしか知らない過去の出来事である。だが、 地球規模で起きた新型コロナウイルス感染症のパンデミックは「オンリー・イエスタデイ」の悪夢をよみがえさせる。
そこで、メディアの功罪を考えてみたい。
テレビ、新聞、インターネットなどのメディアからフェイクニュース、誤報、意図したあるいは意図せざるデマ、ノイズすなわち無視すべき雑情報がばら撒かれ、見えるウイルスとして私たちの暮しを脅かしている。それらを鵜呑みにすれば、パニックになる。情報過剰時代は、下手をすると、取り返しのつかない本当の危機をもたらし、自分が困るだけでなく、他人や社会全体に迷惑をかけ、無辜の人々の命を奪うことにもなりかねない。関東大震災におけるおぞましい「朝鮮人虐殺事件」のように。こうした混乱を暗い目的のために利用しようとする輩は昔も今も、洋の東西を問わず、虎視眈々とチャンスを狙っているのだ。
自らの身を護り、世間や世界が凄惨な愚行を繰り返さないようにするにはどうすべきか?
メディア・リテラシーを身につけることだ。自分自身の責任で世間や世界を認識し、判断すること。それしかない。問題はそれが難しいことである。官・民を問わず、指示を待って動くという「指示待ち人間」の習性に浸ってきたからである。責任ある立場の人たちでさえ結果責任を負おうとしないからでもある。
やっと、その殻を破る人物が登場した。北海道の鈴木直道知事である。彼は2月28日、「緊急事態宣言」を出し、週末の外出自粛や休校などを道民に求めた。
そのニュースが全国に流れたあと、政府の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議は3月19日、現状を「爆発的な感染拡大の可能性がある」と発表した。その記者会見で北海道の「非常事態宣言」について「一定の効果があった」(尾身茂副座長)と評価した。
国会が緊急事態宣言の発令を可能にする改正新型インフルエンザ対策特別措置法を可決したのは3月13日。鈴木知事の決断はそれに2週間も先立つ英断だった。
大阪府の吉村洋文知事は19日、大阪府と兵庫県との往来を20日〜22日の3連休中は自粛するよう府民に求めた。それと呼応する格好で、兵庫県の井戸敏三知事も同日の記者会見で、大阪など他の地域との間で不要不急の往来を自粛するよう県民に求めた。
国の特別措置法の発令を待たず首長が為すべきことを判断し、権限を行使したである。北海道知事の判断を見習った行動変容である。ところが、吉村、井戸知事の決断について、20日のテレビ朝日の「羽鳥モーニングショー」は両知事の事前打ち合わせがなかったことを批判した。22日付け朝日新聞も「法の枠外で住民に大きな制約を課すことになりかねない判断」だ、と指摘した。それは、一つの見解ではある。
ただ、今は平常時ではない。首長には非常時ならでは行動変容があってもいい。
それはコトの本質を見落とす枝葉末節の議論ではないか。両知事の決断は、地方分権の本質を自覚した首長としての責任行使であり、評価こそすれ、批判すべきことではないだろう。我が国は中国のような一党独裁の中央集権国家ではないからである。鈴木、吉村の両知事は38歳と44歳。若い地方政治家が中央と地方の行政のありかたを目に見える形で示してくれた意義は大きい。一般市民は会社や家族の日常に追われ、膨大な社会情報を綿密に分析して付きあう余裕はない。従って新聞などが、一般市民に代わって情報を選んで咀嚼し、適切な判断を行うための材料を提供することを行う――アメリカのジャーナリスト、W・リップマンは名著『幻の公衆』(1925年)でそのように指摘した。
昨今、インターネット・メディアのプラス面を手放しで持ち上げる傾向がある。それを危惧するのはわたしのような旧い世代だけだろうか。
今度のような有事にこそ、従来のメディアは改めて適切な報道と解説に努めることが求められている。誤報、ノイズ(雑音的なジャンク情報)や情動に訴えるフェイク・ニュースなどがゴチャマゼになった押し寄せる情報環境において、一般市民に代わって情報の質の見分け方を市民に提供すること。それがあるべきメディアの果たすべき役割である。
むろん、情報の受け手である市民も確かなメディアを選択する分別・見識すなわちメデア・リテラシーを身に着けるべきだ。そのための情報と解説(モノの見方)の提供すること。それこそ確かなメディアの使命ではないか。日々、垂れ流されている玉石混淆の膨大な情報のなかからコトの本質を見分けるためのヒントをもたらす言説を拾い出し、自分なりに世間と世界の真実を読み解いていきたい。
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