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【私のメディア・リテラシー】第23回 へき地医療の現実  タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない 僻地で働くスーパードクター 尾﨑 雄(老・病・死を考える会プラス)

佐賀県北部は7月初旬かつてない豪雨に見舞われた。唐津市七山地区の僻地診療所で一人診療所長として地域のヘルスケア担う阿部智介医師はスーパーヒーローの如く有事に立ち向かった。唐津市の一部とはいえ、山ひだに集落が散在する中山間地である。人口流出と高齢化が進み、父親が開業した40年前は3360人だった住民は1800人に。そこを狂暴な線状降水帯が蹂躙したのである。奇跡的に死者ゼロで済んだのは阿部所長が孤軍奮闘したお陰である。
<僻地診療所の所長は医師である前に地域住民である>
一人診療所の主はこんなふうである。災害警報で飛び起きた7月10日から殆ど不眠不休。流木が転がり、橋が流され、地域の景色は一変したなか四輪駆動車を走らせてけが人らを治療したり、病院に搬送したりした。1人も死者が出なかったのは阿部医師のお陰だ。僻地医療の砦である診療所は災害から辛うじて助かった。明くる日から通常の診療体制に戻った。翌々日からは、住民といっしょに災害復旧に参加した。外来診療を終えると長靴にスコップ姿で復旧現場に駆け付けた。災害の3日後は通常通り「巡回診療」に出た。「巡回診療」とは足腰が弱り通院がきつくなったお年寄りのため最寄りの集会所などに来て貰って行う阿部さん独自の出前診療である。これなしに過疎・高齢地域に取り残されたお年寄りの健康を支えることは難しい。訪問診療と外来診療と災害復旧作業の合間をぬって医師会の仕事で長崎県に出張も。16、17日の連休は返上して復旧作業を手伝った。30日も日曜返上して災害復旧ボランティアをする。住民の一員として。
<「やぶ医者大賞」受賞へ>
いま43歳の阿部さんが大学病院を辞め、生まれ故郷にUターンしたのは10年前。旧村長に「ここを無医村にはできない」と懇願されて診療所を開き、過労死した父親の遺志を継ぐ。コロナ禍では離島でのワクチン接種などに奔走し、過労で三度も気絶した。そこで100㌔あった体重を75㌔に絞るほど鍛えて、プロレスラーのような体格に肉体改造を行った。決めたことはやってのけるのである。「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格はない」。言ってみれば、ハードボイルド小説の主人公、フィリップ・マーロウのようだ。
「やぶ医者」とは地域の知られざる名医をさす。この秋、兵庫県養父(やぶ)市主催の第10回「やぶ医者大賞」を受ける。それはさておき、「まだまだ、やるべきことが残っている」と阿部医師。多職種連携とICTによる持続可能な僻地医療の体制をつくることである。民間施設ゆえ国や県の支援もなく、「自己犠牲の上に成り立つ医療」の限界は身に沁みているからだ。

<自己犠牲で成り立つ僻地医療は崩壊する>
終戦直後、戦争責任の一端を果たす格好で自決した旧軍人の祖父と僻地医療のため体を壊してに急死した父親の血を引く阿部さん。使命感は人一倍とはいえ、家族に今まで以上の犠牲を強いるわけにはいかない。阿部医師も息子2人、娘1人の父親。1人は受験生だ。同じジレンマを背負って僻地医療に身を投じている医師はほかにもいるだろう。いまの医療システム、医療制度は都会中心に偏っているからである。
周知の通り、日本政府は国連が採択したSDGs(持続可能な開発目標)を2030年までに達成すると約束している。SDGsの基本理念はふたつ。第一は「変革すること」、もう一つは「誰も取り残されない」ということ。にも拘わらず、我が国の僻地医療は変革から見放され、住民だけでなくそこで働く医師までも取り残されている。スーパードクターはあってはいけないのだ。

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国は「医師の働き方改革」を進める。本気なら、僻地医療に携わる医師らが犠牲にならずに働ける仕組みを一日も早く整えるべきだ。そうしなければ、スーパードクターは地域とともに共倒れになる。

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