コラム 尾﨑 雄

唐傘日記② 宗教も医療も「生老病死」から逃げられない  尾﨑 雄(「老・病・死を考える会プラス」世話人)

 「生老病死」の問題は「お寺から病院に移っている」。かつて高野山大学名誉教授の静慈圓伝燈大阿闍梨は指摘した。心の問題の専門家がその職責を持て余し、科学の領域にバトンタッチしたかっこうである。「生老病死」は精神世界にとってもお荷物になったということだろう。ところが、科学の罠と医療制度によってがんじがらめになっている病院も「生老病死」に正面から向き合わない。病苦に悩み死に瀕した高齢者や病人とその家族は戸惑い、時として怒りを爆発させる。医師や看護師など医療と介護の現場に携わる者も病人を抱える家族も、死に逝く人に向き合うことが困難な時代になってしまったのだ。これを末世とか不条理の世界とかいうのだろう。
 末法の世を捨て置けぬとみたのか。高野山大学と高野山真言宗が医学・医療・心理学・哲学・宗教・文学の知識人に呼びかけ、「21世紀高野山医療フォーラムを立ち上げた」のは2005年のことである。11年に及ぶ講演会の記録『「生と死」の21世紀宣言』(青海社)の中からも生と死の核心を平易に突いた講話18編を抜粋してまとめた本が出た。柳田邦男編『最後まで生きるために』(上・下、各1800円・青海社)である。
こんな話が載っている。国立がんセンター名誉総長の垣添忠生氏が、末期がんの妻を自宅で看取った。氏は、たった一人で医師、看護師、介護士の三役を引き受け、暮れの12月28日に最愛の妻を看取った(「妻を看取る日」上巻)。高木訷元・高野山大学名誉教授(元日本学術会議会員)は、妻の延命治療の仕方をめぐって医師と衝突した顛末を赤裸々に描く(「科学技術文明における死生観」同)。それぞれの専門分野で指導的な地位にある人物が、そこまで追いつめられたとは、いったいなにを意味するのだろうか。精神分析学者の河合隼雄氏は、医学を人間社会に適用させることが限界に達しているとし、医療にたいする通念を改め、「科学の知と神話の知の統合」を求めた(「命の不思議」同)。
ほかに細谷亮太氏の「少子化の中の子どもの死を通して、この国のこれからを考える」(上巻)、高木慶子氏の「悲しみは真の人生のはじまり」(下巻)、玄侑宗久氏「相補性で命を考える」(同)など、学域や宗派を超えて「生老病死」を見つめ直す講話が並ぶ。医師兼経営者である永田良一氏の「誰もが苦悩、苦痛から解放されるために――医療の最先端事業で社会に貢献」(同)といったビジネス絡みの話も織り込んである。「現代」を見つめ直すヒントを見出すことができる一冊である。

 

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【私のメディア・リテラシー】尾﨑 雄 Ozaki Takeshi(「老・病・死を考える会プラス」世話人 、元日経ウーマン編集長「ふと気づけば齢80を過ぎたわが身。本日より、折りに触れて来し方行く末を想う雑文を綴ることにしました。」 ➡ 唐傘日記⓵2023.02.24※ パンデミックを予言していた血液学者、三輪史朗先生  尾﨑 雄@老・病・死を考えるプラス

唐傘日記⓵パンデミックを予言していた血液学者、三輪史朗先生

 

 「かかりつけ医」とはどんな医師を指すのだろうか。「総合診療医」、「プライマリケア医」、「家庭医」と立場によって定義はマチマチである。私の場合は、一生つきあうはめになった持病を見つけてくれた開業医である。
自宅から地下鉄を乗り継ぎ約40分と近くない。家族で自分しかかかっていないので「家庭医」ではない。標榜科は腎臓だから「総合診療医」でもない。近所の開業医が「よくあるコロナ鬱です」と誤診した私の病態を怪しいと睨み、直ちに検査センターや大学病院に繋いでくれた。結果、「指定難病300」の見立てが的中。以来その腎臓専門医、原茂子先生こそ「かかりつけ医」と心得ている。患者の話に耳を傾け、疑念があれば直ちに信頼できる医療機関を紹介する。先日は常用するステロイド剤の副作用について分り易く説明され、薬害不安を緩和してくれた。
その「かかりつけ医」に一冊の本を紹介された。三輪史朗著『道程 血液・遺伝・臨床病理』(平成9年・非売品)だ。著者は「赤血球酵素異常による遺伝性溶結性貧血の研究」で日本学士院賞を受けた血液学の権威である。医療・医学に関するエッセイ・雑感から「うちの嫁讃」といった家族の身辺雑記、社会問題、映画、音楽の感想などが満載だが、巻末の「WHOの世界健康日のテーマ」を読んで驚いた。Covid-19パンデミックを予言していたのだ。
「最近人類は感染症との戦いにほぼ勝利をおさめたと思っていたが、その楽観的な考えは打ち砕かれ、マラリアや結核をはじめ減少したかに見えた多くの病気が世界各地で再び急増しだした」。すなわち、「⓵空路による国際間の往来の急増、②人口過密で水管理、衛生管理の悪い巨大都市の出現、③今までとは異なった方法での食品の生産と流通の国際化、④人類が森林伐採などで奥地に入り込み、今までは接触することのなかった感染源を持つ動物や昆虫の生息地に入り込むようになった」からだ、と。
さらに、「富める国も貧しい国も、他の優先順位に金が振り当てられて公衆衛生施策のために使える資金が減る傾向にあるので、抗生物質耐性菌の出現、新ないし再出現感染症の出現の敏速な発見が遅れ、蔓延を許してしまうことになりかねない。(中略)感染症の広がりの予防方策はもはや一地域一国内ではすまされなくなった。発生状況の監視通報体制を地球規模で厳密にそしてオープンにし、これを通報すると国が経済的に損害を受けるから隠しておくといった考え方を捨てて大流行・世界的流行の予防に傾注すべきである」。いまはなき血液学の碩学が四半世紀まえに発した警告を医療界と政府がきちんと受け止めていたら、こんにちのようなコロナ騒動は防ぐことができたはずだ。
私の「かかりつけ医」は三輪先生の弟子筋にあたる。卓越した医学者もほんとうの専門医も世界全体と患者ひとり一人のありようを見抜く目利きなのである。

 

※齢80を過ぎたので、本日より、折りに触れて、来し方行く末を考える雑文を綴ることにしました。

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【私のメディア・リテラシー】第21回 <社会保障制度の改革は「経路依存症」が命取りに?>  尾﨑 雄 Ozaki Takeshi(「老・病・死を考える会プラス」世話人 、元日経ウーマン編集長

 自動車を世界で最も多く生産しているトヨタ自動車が、1月26日、驚くべき人事を発表した。豐田章男社長(66)が社長の座を13歳も若い佐藤恒治平執行役員(53)に譲る。佐藤氏は執行役員中下から2番目のランクである。創業家の血筋を引かずとも優秀なサラリーマン社員から優秀な人材を抜擢して経営を任せる。
 27日付け読売新聞は、その意味を解説している。トヨタの新車販売台数は3年連続で世界首位になる見通しだが、自動運転や電動化などの次世代技術の開発は待ったなし。ハイブリッド車など自動車生産だけではない、量的拡大に依存しているだけでは異次元的な技術革新を続ける世界の自動車メーカーに後れを取る。そこで社業を「全方位」的に展開して生き残りを賭ける。世界を抜いた豊田章男社長の手腕をもってしても「100年に一度とされる大きな変革期」を乗り切ることは困難であり、発想転換するための決断だった。
 いっぽう、医療界はどうだ。制度改革は何度も「待ったなし」とされながらも「ズルズル延命」の繰り返しと言ったら言い過ぎだろうか。世界に冠たる国民皆保険制度を守れと言う先輩たちの遺言を楯に無作為の罪を上塗りしてきた。65歳以上の高齢者人口がピークを迎える2040年もまごまごしているとアッという間にやってくる。にもかかわらず、医師会も政府も地方自治体も学会も当事者意識はいまひとつ。トヨタ自動車のように決断する気配は感じられない。
 人気上昇中の入山章栄早稲田大・大学院教授によると、日本全体が「経路依存症の罠」にはまっている。「経路依存症(Path Dependence)」とは、平たく言えば事なかれ主義である。調べてみると、「制度や仕組みが過去の経緯や歴史に縛られる現象」だ。個人も組織も過去に行った意思決定に制約を受ける傾向がある。人は一度慣れたものを変えることにストレスを感じやすいため、ある決定を下したあと、仮に状況が変わっていたとしても効力を及ぼすことがある……」ということらしい。
経路つまり今まで歩いてきた通りにコトを任せて置けばラクだということ。だからエネルギーを強いられる改革は、先送りされる。医療・介護・福祉のモデル事例とされるデンマークが改革に成功しているのはなぜか。それは「切羽詰まったから、改革をやらざるを得なったからです」。デンマーク外務省にいたことのあるコンサルタントはそう教えてくれた。
 全世代型社会保障構築会議の座長を務めた清家篤氏(日本赤十字社社長)は、日本記者クラブで、こう指摘した。共助を理念とする社会保障制度の改革を論じるとき『負担と給付』という言葉はやめたほうがいい。「負担」は「拠出」と言い換えるべきだ」と。安易な常套句に依存していれば思考停止になる。日本語のセンスにうるさい劇作家・井上ひさし流に言えば、「負担と給付」という紋切型の業界用語を使っている限り、全ての改革は覚束ない。政府もマスコミもそして国民も同罪である。

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【私のメディア・リテラシー】第20回 <形のない家族 第18回在宅医療推進フォーラムで>  尾﨑 雄 Ozaki Takeshi(「老・病・死を考える会プラス」世話人 、元日経ウーマン編集長

「形のない家族」。目前に迫る「ファミレス社会」への備えは?
11月23日、小雨に濡れる東京ビッグサイトで第18回在宅在宅医療推進フォーラムが開催された。午前10時から夕刻まで、在宅医療の最前線で働く医師らによって貴重な試みが披露されたのだが、その終盤に到って私はショックを受けた。「朝から一日色々なことが語られたけれど『家族』という言葉が出てこなかった」。シンポジウム登壇者の一人、東近江市永源寺診療所の花戸貴司所長が漏らした一言である。
自宅で食事を作ってくれる家族がいない独居老人でも食事をすることができる時代になった。コンビニエンス・ストアが普及し、「個食」パッケージのコンビニ食品のお陰で家族なしでも生活できる。それが本来の食事や暮らしなのかどうかはさておき、コンビニ、ICTさらにロボットの発達によって、理論的には寝たきり老人でも独居生活が可能だ。訪問者の誰何と解錠・施錠をベッド内で操作するシステムがあれば、訪問医療の専門職らを安全に受け入れることができる。国立がんセンター名誉総長の垣添忠生さん(81歳)は奥さんに先立たれて独り暮らしだが、寝たきりになっても自宅で看取られたいと語っている。

 <コンビニ、ICT、ロボットが家族に代わる>
コンビニが一人暮らし生活に重宝な品揃えをさらに豊かにし、住宅ICT・ロボットの実装がいちだんと進めば、家族なしに暮らせる時代も夢ではない。だとすれば、虚弱高齢者のために家族が果たすべき役割っていったい何だろう? 花戸医師の言葉を借りれば「意思決定支援くらい」である。たとえば、ACP(アドバンスド・ケア・プラニング)のための「人生会議」に当事者の介添人として参加するということかもしれない。ただ、任意後見制度の使い勝手が良くなれば家族もいらなくて済む。
佐久総合病院を辞めて石巻市に移住した長純一医師は、東日本大震災の被災地にホンモノの地域包括ケアを創ろうと奮闘したが、夢破れてがんに斃れた。なくなるまでの姿を赤裸々に報じたNHKのドキュメンタリー番組を見た。川村雄次ディレクターによると、長医師は「形のない家族」に拘っていたそうだ。いまとなっては、それが何を意味するのか本人に確かめる術はない。ただ、在宅で看取られるまで長医師を支えるにあたって大きな力になったのは、近隣・地域の人々だったそうである。

<絵に描いた餅ではない地域包括ケアはどこに>
「コロナ」によって少子高齢化の勢いは強まるばかり。日本の家族の多くは血縁が薄れ、途絶えていく。独居高齢者や要介護の老老カップルを支えるのは誰か? 介護保険制度とそれに則った専門職だけでは手が回るはずがない。近所、地域の人々の出番である。つまり、絵に描いた餅でない本当の地域包括ケア作りである。それを東日本大震災の被災地に実現しようとした長医師は力尽きた。合掌
高齢社会をよくする女性の会の樋口恵子さんが「ファミレス社会」の到来を訴えたのはおよそ5年前。そのからコンビニ、ICTとロボットの進化は目覚ましい。それに比べて在宅医療の推進と地域包括ケアの整備は後れを取っているように思えてならない。花戸氏が「家族」に託して主張したかったことはこれである。

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 e-nurse「がん共存療法」反響        【私のメディア・リテラシー】第19回<「がんを悪化させない試み」その後> 尾﨑 雄 Ozaki Takeshi(「老・病・死を考える会プラス」世話人 、元日経ウーマン編集長

 今年、読んで感銘を受けた本は3冊。J-S-ミルの『自由論』(岩波文庫)、山崎章郎著『ステージ4の緩和ケア医が実践する がんを悪化させない試み』(新潮選書)と小川英爾編著『小川なぎさの最期 10か月の記録 先に行って待っているから、ゆっくり来てね』(非売品)である。6月発刊の新刊書は終末期のがん患者にとって「自由」とはなにかを問う必読書だ。

<無視された「がん共存療法」>
 『がんを悪化させない試み…』は大腸がんが肺に転移した医師が、自分自身を実験台にして編み出した「がん共存療法」を淡々と描く。がん細胞の増殖に必要な栄養源である糖質を制限する食事と少量の抗がん剤などの併用などによって固形がんの増大・悪化を抑える独特の医療である。狙いは、過酷な副作用を強いる抗がん剤治療を行わずにQOLを維持・改善して、その人らしい人生を全うすること。著者の山崎医師にとって、それはライフワークである在宅ホスピスを最期まで続けながら、「がん共存療法」を社会に広げるという社会責任を果たすことである。
刮目すべき試みであるにもかかわらず新聞は、この本を無視した。私が知る限り、書評欄にも健康・医療のページにも紹介されていない。ある全国紙の医療担当者は「取り扱いが難しい本」だと漏らす。がん治療に関わってきた市民の一人は、山崎章郎氏のような影響力を持つ医師が一部の怪しげな代替療法や民間療法を容認するかのような本を出すことは歓迎できない、と語った。医師の多くは、いわゆる「エビデンスがない」という理由で本書に触れたがらない。

<医師の目線よりも患者の目線で>
 むろん本書の真価を見抜く人もいる。公益財団法人医療科学研究所の江利川毅理事長はそのひとり。「限られた時間を生きる末期がん患者にとって最善とはなにか、そのことを、医師の目線ではなく、患者の目線や心を大切にしている。このような療法に取り組むがん患者を医療保険でもっと支えられるのではないか」(『社会保険旬報』8月1日号)と指摘。さりげなく標準治療のありかたについて問題提起をした。
 がんは日本人の2人に1人がかかり、死因の3分の1はがんだ。江利川氏の主張は専門誌にとどめず、一般市民が読む新聞で広く紹介すべきだろう。「がん共存療法」の臨床試験はまもなく始まるが、その結果が出るまで本書を棚上げして置くのか。『先に行って待っているから、ゆっくり来てね』を出版した小川英爾さんは、過酷な抗がん剤治療を中止して穏やかな死を選んだ妻を自宅で看取った。末期がんの患者にとっての最善とは何かをトコトン考えた末である。 

 『自由論』によれば、「自由」とは他人の利益を損なわずに自らの幸福を追求することである。一部医師のパターナリズムや医薬品業界の思惑を忖度するような事なかれ主義がジャーナリズムにも及んでいるとすれば、それは医療を受ける市民の自由をないがしろにするように思えてならない。

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【私のメディア・リテラシー】第18回 行き過ぎた「マスク依存」。高尾山で遭難も?  尾﨑 雄 Ozaki Takeshi(「老・病・死を考える会プラス」世話人 、元日経ウーマン編集長

 「マスク依存」か「脱マスク」か? マスクはいつまで着けるべきか? 多くの人々が悩ましい決断を迫られるなさか、東京の名峰、高尾山に登った。医師に「コロナ鬱」だと診断され、「適度の運動」を勧められて。
自然豊かな山はウイークデイにもかかわらずにぎわっていた。山頂の一角に腰を下ろしていると、70代と思しき女性登山者がひとり、やってきた。と、地面に倒れた。すぐ横で休んでいた女性登山者が「大丈夫ですか!」と声をかけたが反応なし。鉛色の顔に汗が流れている。熱中症らしい。私は上半身を引き起こし、ミネラル・ウオーターを飲ませた。別の男性登山者は水に浸したハンカチを持って駆け付け、「首に巻きなさい」などと的確に指示する。“遭難者”はまもなく意識を取り戻し、世話になった登山客らへの礼もそこそこに下山していった。私が提供したミネラル・ウオーターのボトルを手に。

<善男善女の共助のお陰でいのち拾い>
山頂を目指す最後のルートは3本。介抱しながら“遭難者”に漏れ聴いたところ、彼女は約300段の階段を上るいちばんきついルートをとった。新宿の自宅から高尾山口駅に一直線とあって足しげく通って身体を鍛え、夏は日本アルプスに登っている。そんな“ベテラン”だけに高尾山を甘くみて、300段を一気に登ったのだろう。たまたま居合わせた見ず知らずの人達の共助によって命拾いした格好である。
高尾山の玄関口に当たるケーブルカー駅に掲げられた横断幕は「霊気満山」の字が。山に満ちた霊気を思うぞんぶん吸い込み心身共に健やかになろう、というのだろう。ところが、頂上直下にも横断幕があって、コロナ感染から身を守るためマスクをつけるよう呼び掛けている。登山道の傍らには「人が多い場所では必ずマスクをして会話は控えめに……高尾地区自然公園管理運営協議会」と記した木の看板が立っている。律儀で従順な人々はマスクを外さず続々と頂上へ。スタートラインの横断幕は山の空気を吸うように勧め、ゴール目前では、せっかくの山の空気を味わうことを禁止する。チグハグな思いを抱いて下界に戻った。

<気温や湿度が上がれば、マスク着用によるリスクが高まる>
外国人観光客の受入れが開始される一方、体育授業や運動会で熱中症に見舞われた生徒らが救急搬送されるニュースが相次ぐ。大学の野球部員がランニング中に倒れて死亡する事故もおきた。報道によると、国は「気温や湿度がさらに上がることでマスク着用によるリスクが高まる。体育の授業などではマスクを外すべきだ」(末松信介文科大臣)と新たなガイドラインを示した。
健康づくりを目指すお年寄りの山歩きはちょっとしたブームである。だが、高尾山のような「聖地」にもリスクが潜んでいることをこの目で見てきた。マスク装着者の死者が出ぬよう、高尾山にまします飯縄大権現さまに祈っている。

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【私のメディア・リテラシー】第17回 <「神風」だった16兆円のコロナ対策費>  尾﨑 雄 Ozaki Takeshi(「老・病・死を考える会プラス」世話人 、元日経ウーマン編集長

「コロナは神風だった!」 

ある公的病院のトップはこう漏らす。コロナ患者の治療にどれだけ尽力したかどうかはさておき、似た思いの病院長は少なくないだろう。「幽霊病床」によって潤った病院も。新型コロナウイルスの蔓延によってコロナ病床確保を申し出た病院には多額な補助金や診療報酬に対する特別加算金などが与えられ、さまざまな理由で窮地に陥っていた病院経営のカンフル剤になった。だが、それだけでは安心していられない。医療界には取り組むべき問題が山積している。

<誰が為に鐘は鳴る 「幽霊病床」に悪用も>

財務省が4月13日に公表した資料によると、新型コロナウイルスに対応するために投じられた国費は16兆円。うち8兆円が医療機関の支援に充てられた。その中身について各紙は厳しく報じた。「無駄排除へ」(4月14日付け日経)、「費用対効果、検証」(同読売)と。財務省は「病床確保料を受け取りながらも新型コロナ患者の受入れを伴わなかった病床(「幽霊病床」)の存在を明記した。
「新型コロナ対策」を錦の御旗に支給された“御下賜金”のお陰で病院経営は一息ついたのである。「全国140の病院を運営する国立病院機構の2020年度決算を見ると計576億円の経常黒字が計上」(読売)。地域医療機能推進機構(81病院)など公的病院の経営状態も好転し、民間の医療法人の経営実態もコロナ関連補助金を含めれば「堅調」だった。

<病院救済とコロナ対策がゴッチャに>

問題は“御下賜金”がなんのために使われたかだ。財務省は指摘する。「そもそも、医療機関の財政支援にあたって、減収補填など医療機関の経営支援と新型コロナ患者の受入れなどの医療機能の強化という2つの目的が混在してきたが、それぞれの目的ごとに効果的な政策手法を考えるべきである」
コロナ禍という「神風」のお陰で経営状態が持ち直したとすれば、医療界がすべきことは新型コロナの第7波、第8波に備えることだけではない。来たるべき新たな感染症パンデミックを想定した大改革の実施だ。言ってみれば医療構造のパラダイムシフトに取り組むことである。

<有事即応と経営の見える化を>

「平時の医療には、有事即応の機能と動員の仕組みをビルトインしておかねばならない」。災害医療の先駆者、山本保博日本医大名誉教授は医療行政と医療者の発想転換を促す。医療施設と医療者は、国公立か民間施設か、公務員か民間人かを問わず、国民のヘルスケアを護るための公共財である。そのマネジメントの担い手は、法人、個人を問わず公正・公平かつ適切な振る舞いを期待されている。医療機関に投じられたコロナ対策費16兆円の大半を占める公費の中身の「見える化」は当然だ。
「有事即応のビルトインと経営の見える化」はウィズ・コロナ体制づくりに向けた第一歩である。

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【私のメディア・リテラシー】第16回 <ウクライナ戦争と「誰が為に鐘が鳴る」>  尾﨑 雄 Ozaki Takeshi(「老・病・死を考える会プラス」世話人 、元日経ウーマン編集長

昨日、NHK・BSで映画「誰が為に鐘が鳴る」を見た。

ゲーリー・クーパーとイングリッド・バーグマンが共演したあの名作である。スペイン内戦が舞台の恋愛と戦争のドラマのラストシーンが圧巻だ。クーパーが演じる義勇軍の工作員は、敵軍が迫るなか間一髪で恋人を戦場から離脱させたあと、殺到する敵軍に立ち向かい、たったひとりで機関銃を撃ちまくる。彼が玉砕するシーンなしに画面は一転。スクリーンいっぱいの大きな鐘が鳴り響き、The Endとなる。

見終わって、先日の夕、モーツアルト協会の演奏会であったという感動的なシーンに思いを馳せた。居合わせた高校時代の友人からの報告だ。ロシア人の女性ピアニストが開演に先立ち、会場の聴衆に呼びかけてウクライナ戦争で死んだ人々のために黙祷をささげた。ピアニストはアンコールに答えて語った。
「私の祖国ロシアが侵略して心を痛めている。もっと辛いのがウクライナでしょう。私にできるのは祈ることだけ」。友人は「素晴らしい演奏でした。モーツアルトのあの爽やかな旋律にコロナの暗雲がすっ飛びました」と。

その演奏会チケットは私のものだった。第三回ワクチン接種は済んでいたものの、知り合いの医師や家族からIgG4患者は感染症に罹患しやすいと言われ、クラシックファンの友人に譲ったのだ。お陰で私は友人と感動のひとときを分かち合うことができたのである。 

 

A・ヘミングウェーは「誰が為に鐘が鳴る」にイギリスの詩人、ジョン・ダンの言葉を載せている。“For Whom The Bell Tolls”、tollは人の死を鐘で知らせるという英語だ。調べてみると、このフレーズに続いて詩人はこう続ける。
人は離れ小島ではない/一人で独立してはいない/人はみな大陸の一部/もしその土が波に洗われると/ヨーロッパ大陸は狭くなっていく/さながら岬が波に削られていくように/あなたの友やあなたの土地が/波に流されていくように/誰かが死ぬのもこれに似て/わが身を削られるのも同じ/なぜなら自らも人類の一部/ゆえに問うなかれ/誰が為に弔いの鐘はなるのかと/それが鳴るのはあなたのため(浜野聡訳)

野暮な解説は省こう。16世紀から17世紀に生きたイングランドの詩人は21世紀のウクライナ戦争を予言し、ヘミングウェーもそうだったのかもしれない。

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【私のメディア・リテラシー】第15回 「私ノメディアリテラシー 在宅専門医殺人事件」  尾﨑 雄 Ozaki Takeshi(「老・病・死を考える会プラス」世話人 、元日経ウーマン編集長

在宅専門医殺人事件「在宅医療」に赤信号も 
今日(1月29日)の全国紙は埼玉県で起きた在宅専門医殺人事件を大きく報道した。読売新聞は1面脇トップ記事と社会面のトップで、他紙は社会面のトップ記事に。これはただの殺人ではない。コロナ禍によって、在宅医療が我が国の医療システムに不可欠である、ということが、やっとクローズアップされた矢先、その出鼻をくじいた。「コロナ禍」後ただちに国をあげて取り組むべき医療体制再構築の足元を脅かす大事件なのである。

「医師に謝らせたかった 母の死で逆恨みか」と読売は社会面に大きな見出しを載せた。他紙も在宅医療への不安をほのめかす。「発砲 訪問看護巡り不満か」(朝日)、「母の治療でトラブルか」(毎日)、「母の介護 対応に不満」(日経)、「在宅医療 トラブルか」(産経)と。

第6波のコロナ患者・感染者が自宅療養者の急増のさなかに

日経と朝日は同じ日の1面で在宅医療の崩壊を示唆した。日経は「自宅療養、最多26万人 第5波ピークの2倍」と見出しを、朝日もほぼ同じ見出しを掲げた。オミクロン株によって新型コロナウイルスによる患者・感染者のケアを自宅でしのぐつもりだったが、その数が想定を超えて増えている。「自宅療養者の急増に対して保健所や医療機関による健康観察が追いつかなくなり、業務の見直しも迫られている」(日経)。その最前線に立ってきたのが、今度の事件で斃れた鈴木純一氏のような在宅専門医。読売によると、鈴木医師は「第5波では、自宅療養者の健康観察に奔走。二つの在宅クリニックを運営し、2市1町の在宅患者の8割ほどに当たる約300人を診療していた」。地元医師会の会長は「彼を失ったことで、この地域の在宅医療が揺らぐ」と漏らして落胆する。

この事件は、常人の域を逸脱した短絡的かつ狂暴で反社会的な特殊な人物による凶行と見過ごすわけにはいかない。産経によると容疑者(66)は母親(92)と2人暮らし。近隣との接点はほとんどなかったようで、「1人で母親を介護していた」という。

閉塞社会が在宅医療の普及の壁になっている?

コロナ禍で仕事を失い、地域で孤立した中・高年男性が増えている。そのような人たちが孤立無援のまま、寝たきりの老親らを抱えて心身ともに疲弊し、それを逆恨みして凶行に至ったのだろうか。我が国は閉塞社会になっていることが事件の背景ひとつのような気がする。新聞、テレビなどの情報から推測すると、犯人は散弾銃を2丁も用意して医師らを呼び出し、待ち伏せの形で銃撃したようだ。そうだとすれば計画殺人とも言える。

もうひとつ気になることがある。日経によると、容疑者は「散弾銃2丁所持」していた。「2020年末時点で猟銃の所持許可を受けた人は全国に約8万3000人、計約15万6000丁」。銃を持つ人は「心身ともに健康であることを示す医師による診断書」(同)が求められることになっていたが、結果として惨劇が起きた。在宅医療に携わるエッセンシャルワーカーの命を守るためには銃規制の強化が必要になろう。

デジタル化が進む世界から周回遅れだった我が国もコロナ禍を機にDX化にエンジンがかかった。病床整備の面でも医療者と患者のメンタル面でも病院中心に偏ってきた我が国の医療。コロナ禍を奇貨として在宅医療シフトのタイミングである。そこに降って沸いたような在宅医殺人事件。せっかく盛り上がった在宅シフトの機運をどのようにして軌道にのせたらいいのか。国も自治体も医療界もそして医療を受ける国民も深刻な問題に直面している。

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【私のメディア・リテラシー】第14回 「招かざる侵入者、ハクビシンと新型コロナウイルス」 尾﨑 雄 Ozaki Takeshi(「老・病・死を考える会プラス」世話人 、元日経ウーマン編集長

 暮れも押し詰まったある日、東京の住宅街で、ふだんは見慣れない“新住民”と出会った。ハクビシンである。今年最後のゴミ出し日。家庭ごみを町内会の集積場に置いて帰ろうとすると、頭上でカラスが騒ぐ。見上げると鼻先から尾の末端まで60~70㎝の尾の長い何者かが歩いている。2羽のカラスが交互に襲うが意に介せずスタスタと電線を伝っていく。ぶら下がるのではなく、細い線の上に四つ足で歩く。ハクビシンだ。
 太陽が出る前の薄明りゆえ、顔つきや体毛の色が定かでない。それを確かめるべく、その姿を追っておよそ数百㍍歩くと、街を掃除する高齢の住民が「あの辺に棲んでいる」と住宅街の一角を指さす。一気に寒さが身にしみ、自宅に引き返そうとすると別の住民が「家の中にも入り込まれても、住民が駆除することは禁じられています」と教えてくれた。帰宅すると午前7時。ハクビシンを追いながら30分も冷えた住宅街を徘徊していたのだ。すれ違った早起きの勤労者諸君は私を認知症老人だと思ったにちがいない。
 ハクビシンは日本に生息する唯一のジャコウネコ科の哺乳類だ。外来種だが侵入の経緯は詳らかではない。私は東京都文京区目白台に住む。その地で小学校から大学まで通ったが、ハクビシンとは初見参である。東京都のハクビシン捕獲報告は平成11年から。13年に36頭だった捕獲数は23年には737頭と10年間で20倍に増え、一時400頭まで、500頭台に減ったものの、令和元年には628頭に。出没する地域も自然の多い多摩地区から23区にシフトしている。農産物等に被害を与える害獣とされるが住民自身が駆除することは規制され、捕獲や死骸処分は専門業者に任されている。農村や過疎地の被害は大きく、住民が罠を仕掛けて駆除しているが、住民の高齢化によって自助努力も限界だ。
 ハクビシンも新型コロナウイルスも海外から忍び込んだ、たちの悪い厄介者だ。ハクビシンの自然分布はヒマラヤ、中国南部や東南アジアである。奇しくも新型コロナウイルスの原産地とされる地域と重なる。ハクビシンを初めて目撃した日、テレビも新聞も新型ウイルスのニューフェースであるオミクロン株の猖獗を予想し、危惧するトップニュースでにぎわっていた。
 新型コロナウイルスについては臨床医もアカデミアも様々な視点でいろいろな意見や予想を述べている。だが、ハッキリしていることは、その正体はあまりよくわかっていないという事実である。生態がハッキリしない点ではハクビシンも同様だ。ハクビシンの日本侵入の時期は江戸時代とも第二次世界大戦中ともされているものの定説はないという。
 和名は「白鼻芯」。額から鼻にかけて白い線が通る。私はその特徴を確かめようと夜明け前のひととき懸命に頭上のハクビシンを追ったのだが、夜が明けきると姿は消えていた。あの猫のようなイタチのような姿を思い起こすと、あれはハクビシンを装った新型コロナウイルスの化身ではなかったのか、老人の目に映った幻だったのか。
そうではない。翌朝の日経新聞を開くと、三菱商事の垣内威彦社長がこう語っていた。「新型コロナは人類が抱える課題や矛盾を映し出す鏡のようなものだ」(コロナと世界/針路を聞く」)と。

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