コラム 尾﨑 雄

 e-nurse「がん共存療法」反響        【私のメディア・リテラシー】第19回<「がんを悪化させない試み」その後> 尾﨑 雄 Ozaki Takeshi(「老・病・死を考える会プラス」世話人 、元日経ウーマン編集長

 今年、読んで感銘を受けた本は3冊。J-S-ミルの『自由論』(岩波文庫)、山崎章郎著『ステージ4の緩和ケア医が実践する がんを悪化させない試み』(新潮選書)と小川英爾編著『小川なぎさの最期 10か月の記録 先に行って待っているから、ゆっくり来てね』(非売品)である。6月発刊の新刊書は終末期のがん患者にとって「自由」とはなにかを問う必読書だ。

<無視された「がん共存療法」>
 『がんを悪化させない試み…』は大腸がんが肺に転移した医師が、自分自身を実験台にして編み出した「がん共存療法」を淡々と描く。がん細胞の増殖に必要な栄養源である糖質を制限する食事と少量の抗がん剤などの併用などによって固形がんの増大・悪化を抑える独特の医療である。狙いは、過酷な副作用を強いる抗がん剤治療を行わずにQOLを維持・改善して、その人らしい人生を全うすること。著者の山崎医師にとって、それはライフワークである在宅ホスピスを最期まで続けながら、「がん共存療法」を社会に広げるという社会責任を果たすことである。
刮目すべき試みであるにもかかわらず新聞は、この本を無視した。私が知る限り、書評欄にも健康・医療のページにも紹介されていない。ある全国紙の医療担当者は「取り扱いが難しい本」だと漏らす。がん治療に関わってきた市民の一人は、山崎章郎氏のような影響力を持つ医師が一部の怪しげな代替療法や民間療法を容認するかのような本を出すことは歓迎できない、と語った。医師の多くは、いわゆる「エビデンスがない」という理由で本書に触れたがらない。

<医師の目線よりも患者の目線で>
 むろん本書の真価を見抜く人もいる。公益財団法人医療科学研究所の江利川毅理事長はそのひとり。「限られた時間を生きる末期がん患者にとって最善とはなにか、そのことを、医師の目線ではなく、患者の目線や心を大切にしている。このような療法に取り組むがん患者を医療保険でもっと支えられるのではないか」(『社会保険旬報』8月1日号)と指摘。さりげなく標準治療のありかたについて問題提起をした。
 がんは日本人の2人に1人がかかり、死因の3分の1はがんだ。江利川氏の主張は専門誌にとどめず、一般市民が読む新聞で広く紹介すべきだろう。「がん共存療法」の臨床試験はまもなく始まるが、その結果が出るまで本書を棚上げして置くのか。『先に行って待っているから、ゆっくり来てね』を出版した小川英爾さんは、過酷な抗がん剤治療を中止して穏やかな死を選んだ妻を自宅で看取った。末期がんの患者にとっての最善とは何かをトコトン考えた末である。 

 『自由論』によれば、「自由」とは他人の利益を損なわずに自らの幸福を追求することである。一部医師のパターナリズムや医薬品業界の思惑を忖度するような事なかれ主義がジャーナリズムにも及んでいるとすれば、それは医療を受ける市民の自由をないがしろにするように思えてならない。

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【私のメディア・リテラシー】第18回 行き過ぎた「マスク依存」。高尾山で遭難も?  尾﨑 雄 Ozaki Takeshi(「老・病・死を考える会プラス」世話人 、元日経ウーマン編集長

 「マスク依存」か「脱マスク」か? マスクはいつまで着けるべきか? 多くの人々が悩ましい決断を迫られるなさか、東京の名峰、高尾山に登った。医師に「コロナ鬱」だと診断され、「適度の運動」を勧められて。
自然豊かな山はウイークデイにもかかわらずにぎわっていた。山頂の一角に腰を下ろしていると、70代と思しき女性登山者がひとり、やってきた。と、地面に倒れた。すぐ横で休んでいた女性登山者が「大丈夫ですか!」と声をかけたが反応なし。鉛色の顔に汗が流れている。熱中症らしい。私は上半身を引き起こし、ミネラル・ウオーターを飲ませた。別の男性登山者は水に浸したハンカチを持って駆け付け、「首に巻きなさい」などと的確に指示する。“遭難者”はまもなく意識を取り戻し、世話になった登山客らへの礼もそこそこに下山していった。私が提供したミネラル・ウオーターのボトルを手に。

<善男善女の共助のお陰でいのち拾い>
山頂を目指す最後のルートは3本。介抱しながら“遭難者”に漏れ聴いたところ、彼女は約300段の階段を上るいちばんきついルートをとった。新宿の自宅から高尾山口駅に一直線とあって足しげく通って身体を鍛え、夏は日本アルプスに登っている。そんな“ベテラン”だけに高尾山を甘くみて、300段を一気に登ったのだろう。たまたま居合わせた見ず知らずの人達の共助によって命拾いした格好である。
高尾山の玄関口に当たるケーブルカー駅に掲げられた横断幕は「霊気満山」の字が。山に満ちた霊気を思うぞんぶん吸い込み心身共に健やかになろう、というのだろう。ところが、頂上直下にも横断幕があって、コロナ感染から身を守るためマスクをつけるよう呼び掛けている。登山道の傍らには「人が多い場所では必ずマスクをして会話は控えめに……高尾地区自然公園管理運営協議会」と記した木の看板が立っている。律儀で従順な人々はマスクを外さず続々と頂上へ。スタートラインの横断幕は山の空気を吸うように勧め、ゴール目前では、せっかくの山の空気を味わうことを禁止する。チグハグな思いを抱いて下界に戻った。

<気温や湿度が上がれば、マスク着用によるリスクが高まる>
外国人観光客の受入れが開始される一方、体育授業や運動会で熱中症に見舞われた生徒らが救急搬送されるニュースが相次ぐ。大学の野球部員がランニング中に倒れて死亡する事故もおきた。報道によると、国は「気温や湿度がさらに上がることでマスク着用によるリスクが高まる。体育の授業などではマスクを外すべきだ」(末松信介文科大臣)と新たなガイドラインを示した。
健康づくりを目指すお年寄りの山歩きはちょっとしたブームである。だが、高尾山のような「聖地」にもリスクが潜んでいることをこの目で見てきた。マスク装着者の死者が出ぬよう、高尾山にまします飯縄大権現さまに祈っている。

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【私のメディア・リテラシー】第17回 <「神風」だった16兆円のコロナ対策費>  尾﨑 雄 Ozaki Takeshi(「老・病・死を考える会プラス」世話人 、元日経ウーマン編集長

「コロナは神風だった!」 

ある公的病院のトップはこう漏らす。コロナ患者の治療にどれだけ尽力したかどうかはさておき、似た思いの病院長は少なくないだろう。「幽霊病床」によって潤った病院も。新型コロナウイルスの蔓延によってコロナ病床確保を申し出た病院には多額な補助金や診療報酬に対する特別加算金などが与えられ、さまざまな理由で窮地に陥っていた病院経営のカンフル剤になった。だが、それだけでは安心していられない。医療界には取り組むべき問題が山積している。

<誰が為に鐘は鳴る 「幽霊病床」に悪用も>

財務省が4月13日に公表した資料によると、新型コロナウイルスに対応するために投じられた国費は16兆円。うち8兆円が医療機関の支援に充てられた。その中身について各紙は厳しく報じた。「無駄排除へ」(4月14日付け日経)、「費用対効果、検証」(同読売)と。財務省は「病床確保料を受け取りながらも新型コロナ患者の受入れを伴わなかった病床(「幽霊病床」)の存在を明記した。
「新型コロナ対策」を錦の御旗に支給された“御下賜金”のお陰で病院経営は一息ついたのである。「全国140の病院を運営する国立病院機構の2020年度決算を見ると計576億円の経常黒字が計上」(読売)。地域医療機能推進機構(81病院)など公的病院の経営状態も好転し、民間の医療法人の経営実態もコロナ関連補助金を含めれば「堅調」だった。

<病院救済とコロナ対策がゴッチャに>

問題は“御下賜金”がなんのために使われたかだ。財務省は指摘する。「そもそも、医療機関の財政支援にあたって、減収補填など医療機関の経営支援と新型コロナ患者の受入れなどの医療機能の強化という2つの目的が混在してきたが、それぞれの目的ごとに効果的な政策手法を考えるべきである」
コロナ禍という「神風」のお陰で経営状態が持ち直したとすれば、医療界がすべきことは新型コロナの第7波、第8波に備えることだけではない。来たるべき新たな感染症パンデミックを想定した大改革の実施だ。言ってみれば医療構造のパラダイムシフトに取り組むことである。

<有事即応と経営の見える化を>

「平時の医療には、有事即応の機能と動員の仕組みをビルトインしておかねばならない」。災害医療の先駆者、山本保博日本医大名誉教授は医療行政と医療者の発想転換を促す。医療施設と医療者は、国公立か民間施設か、公務員か民間人かを問わず、国民のヘルスケアを護るための公共財である。そのマネジメントの担い手は、法人、個人を問わず公正・公平かつ適切な振る舞いを期待されている。医療機関に投じられたコロナ対策費16兆円の大半を占める公費の中身の「見える化」は当然だ。
「有事即応のビルトインと経営の見える化」はウィズ・コロナ体制づくりに向けた第一歩である。

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【私のメディア・リテラシー】第16回 <ウクライナ戦争と「誰が為に鐘が鳴る」>  尾﨑 雄 Ozaki Takeshi(「老・病・死を考える会プラス」世話人 、元日経ウーマン編集長

昨日、NHK・BSで映画「誰が為に鐘が鳴る」を見た。

ゲーリー・クーパーとイングリッド・バーグマンが共演したあの名作である。スペイン内戦が舞台の恋愛と戦争のドラマのラストシーンが圧巻だ。クーパーが演じる義勇軍の工作員は、敵軍が迫るなか間一髪で恋人を戦場から離脱させたあと、殺到する敵軍に立ち向かい、たったひとりで機関銃を撃ちまくる。彼が玉砕するシーンなしに画面は一転。スクリーンいっぱいの大きな鐘が鳴り響き、The Endとなる。

見終わって、先日の夕、モーツアルト協会の演奏会であったという感動的なシーンに思いを馳せた。居合わせた高校時代の友人からの報告だ。ロシア人の女性ピアニストが開演に先立ち、会場の聴衆に呼びかけてウクライナ戦争で死んだ人々のために黙祷をささげた。ピアニストはアンコールに答えて語った。
「私の祖国ロシアが侵略して心を痛めている。もっと辛いのがウクライナでしょう。私にできるのは祈ることだけ」。友人は「素晴らしい演奏でした。モーツアルトのあの爽やかな旋律にコロナの暗雲がすっ飛びました」と。

その演奏会チケットは私のものだった。第三回ワクチン接種は済んでいたものの、知り合いの医師や家族からIgG4患者は感染症に罹患しやすいと言われ、クラシックファンの友人に譲ったのだ。お陰で私は友人と感動のひとときを分かち合うことができたのである。 

 

A・ヘミングウェーは「誰が為に鐘が鳴る」にイギリスの詩人、ジョン・ダンの言葉を載せている。“For Whom The Bell Tolls”、tollは人の死を鐘で知らせるという英語だ。調べてみると、このフレーズに続いて詩人はこう続ける。
人は離れ小島ではない/一人で独立してはいない/人はみな大陸の一部/もしその土が波に洗われると/ヨーロッパ大陸は狭くなっていく/さながら岬が波に削られていくように/あなたの友やあなたの土地が/波に流されていくように/誰かが死ぬのもこれに似て/わが身を削られるのも同じ/なぜなら自らも人類の一部/ゆえに問うなかれ/誰が為に弔いの鐘はなるのかと/それが鳴るのはあなたのため(浜野聡訳)

野暮な解説は省こう。16世紀から17世紀に生きたイングランドの詩人は21世紀のウクライナ戦争を予言し、ヘミングウェーもそうだったのかもしれない。

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【私のメディア・リテラシー】第15回 「私ノメディアリテラシー 在宅専門医殺人事件」  尾﨑 雄 Ozaki Takeshi(「老・病・死を考える会プラス」世話人 、元日経ウーマン編集長

在宅専門医殺人事件「在宅医療」に赤信号も 
今日(1月29日)の全国紙は埼玉県で起きた在宅専門医殺人事件を大きく報道した。読売新聞は1面脇トップ記事と社会面のトップで、他紙は社会面のトップ記事に。これはただの殺人ではない。コロナ禍によって、在宅医療が我が国の医療システムに不可欠である、ということが、やっとクローズアップされた矢先、その出鼻をくじいた。「コロナ禍」後ただちに国をあげて取り組むべき医療体制再構築の足元を脅かす大事件なのである。

「医師に謝らせたかった 母の死で逆恨みか」と読売は社会面に大きな見出しを載せた。他紙も在宅医療への不安をほのめかす。「発砲 訪問看護巡り不満か」(朝日)、「母の治療でトラブルか」(毎日)、「母の介護 対応に不満」(日経)、「在宅医療 トラブルか」(産経)と。

第6波のコロナ患者・感染者が自宅療養者の急増のさなかに

日経と朝日は同じ日の1面で在宅医療の崩壊を示唆した。日経は「自宅療養、最多26万人 第5波ピークの2倍」と見出しを、朝日もほぼ同じ見出しを掲げた。オミクロン株によって新型コロナウイルスによる患者・感染者のケアを自宅でしのぐつもりだったが、その数が想定を超えて増えている。「自宅療養者の急増に対して保健所や医療機関による健康観察が追いつかなくなり、業務の見直しも迫られている」(日経)。その最前線に立ってきたのが、今度の事件で斃れた鈴木純一氏のような在宅専門医。読売によると、鈴木医師は「第5波では、自宅療養者の健康観察に奔走。二つの在宅クリニックを運営し、2市1町の在宅患者の8割ほどに当たる約300人を診療していた」。地元医師会の会長は「彼を失ったことで、この地域の在宅医療が揺らぐ」と漏らして落胆する。

この事件は、常人の域を逸脱した短絡的かつ狂暴で反社会的な特殊な人物による凶行と見過ごすわけにはいかない。産経によると容疑者(66)は母親(92)と2人暮らし。近隣との接点はほとんどなかったようで、「1人で母親を介護していた」という。

閉塞社会が在宅医療の普及の壁になっている?

コロナ禍で仕事を失い、地域で孤立した中・高年男性が増えている。そのような人たちが孤立無援のまま、寝たきりの老親らを抱えて心身ともに疲弊し、それを逆恨みして凶行に至ったのだろうか。我が国は閉塞社会になっていることが事件の背景ひとつのような気がする。新聞、テレビなどの情報から推測すると、犯人は散弾銃を2丁も用意して医師らを呼び出し、待ち伏せの形で銃撃したようだ。そうだとすれば計画殺人とも言える。

もうひとつ気になることがある。日経によると、容疑者は「散弾銃2丁所持」していた。「2020年末時点で猟銃の所持許可を受けた人は全国に約8万3000人、計約15万6000丁」。銃を持つ人は「心身ともに健康であることを示す医師による診断書」(同)が求められることになっていたが、結果として惨劇が起きた。在宅医療に携わるエッセンシャルワーカーの命を守るためには銃規制の強化が必要になろう。

デジタル化が進む世界から周回遅れだった我が国もコロナ禍を機にDX化にエンジンがかかった。病床整備の面でも医療者と患者のメンタル面でも病院中心に偏ってきた我が国の医療。コロナ禍を奇貨として在宅医療シフトのタイミングである。そこに降って沸いたような在宅医殺人事件。せっかく盛り上がった在宅シフトの機運をどのようにして軌道にのせたらいいのか。国も自治体も医療界もそして医療を受ける国民も深刻な問題に直面している。

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【私のメディア・リテラシー】第14回 「招かざる侵入者、ハクビシンと新型コロナウイルス」 尾﨑 雄 Ozaki Takeshi(「老・病・死を考える会プラス」世話人 、元日経ウーマン編集長

 暮れも押し詰まったある日、東京の住宅街で、ふだんは見慣れない“新住民”と出会った。ハクビシンである。今年最後のゴミ出し日。家庭ごみを町内会の集積場に置いて帰ろうとすると、頭上でカラスが騒ぐ。見上げると鼻先から尾の末端まで60~70㎝の尾の長い何者かが歩いている。2羽のカラスが交互に襲うが意に介せずスタスタと電線を伝っていく。ぶら下がるのではなく、細い線の上に四つ足で歩く。ハクビシンだ。
 太陽が出る前の薄明りゆえ、顔つきや体毛の色が定かでない。それを確かめるべく、その姿を追っておよそ数百㍍歩くと、街を掃除する高齢の住民が「あの辺に棲んでいる」と住宅街の一角を指さす。一気に寒さが身にしみ、自宅に引き返そうとすると別の住民が「家の中にも入り込まれても、住民が駆除することは禁じられています」と教えてくれた。帰宅すると午前7時。ハクビシンを追いながら30分も冷えた住宅街を徘徊していたのだ。すれ違った早起きの勤労者諸君は私を認知症老人だと思ったにちがいない。
 ハクビシンは日本に生息する唯一のジャコウネコ科の哺乳類だ。外来種だが侵入の経緯は詳らかではない。私は東京都文京区目白台に住む。その地で小学校から大学まで通ったが、ハクビシンとは初見参である。東京都のハクビシン捕獲報告は平成11年から。13年に36頭だった捕獲数は23年には737頭と10年間で20倍に増え、一時400頭まで、500頭台に減ったものの、令和元年には628頭に。出没する地域も自然の多い多摩地区から23区にシフトしている。農産物等に被害を与える害獣とされるが住民自身が駆除することは規制され、捕獲や死骸処分は専門業者に任されている。農村や過疎地の被害は大きく、住民が罠を仕掛けて駆除しているが、住民の高齢化によって自助努力も限界だ。
 ハクビシンも新型コロナウイルスも海外から忍び込んだ、たちの悪い厄介者だ。ハクビシンの自然分布はヒマラヤ、中国南部や東南アジアである。奇しくも新型コロナウイルスの原産地とされる地域と重なる。ハクビシンを初めて目撃した日、テレビも新聞も新型ウイルスのニューフェースであるオミクロン株の猖獗を予想し、危惧するトップニュースでにぎわっていた。
 新型コロナウイルスについては臨床医もアカデミアも様々な視点でいろいろな意見や予想を述べている。だが、ハッキリしていることは、その正体はあまりよくわかっていないという事実である。生態がハッキリしない点ではハクビシンも同様だ。ハクビシンの日本侵入の時期は江戸時代とも第二次世界大戦中ともされているものの定説はないという。
 和名は「白鼻芯」。額から鼻にかけて白い線が通る。私はその特徴を確かめようと夜明け前のひととき懸命に頭上のハクビシンを追ったのだが、夜が明けきると姿は消えていた。あの猫のようなイタチのような姿を思い起こすと、あれはハクビシンを装った新型コロナウイルスの化身ではなかったのか、老人の目に映った幻だったのか。
そうではない。翌朝の日経新聞を開くと、三菱商事の垣内威彦社長がこう語っていた。「新型コロナは人類が抱える課題や矛盾を映し出す鏡のようなものだ」(コロナと世界/針路を聞く」)と。

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【私のメディア・リテラシー】第14回 「コロナ禍と向き合った看護職のつぶやき」  尾﨑 雄 Ozaki Takeshi(「老・病・死を考える会プラス」世話人 、元日経ウーマン編集長

 コロナ禍のさなか看護職員が、いわれなき被害を受けている。在宅医療に携わる医療従事者の情報交換ネットワークの一つCNK‐MLで知った。自然災害を含む有事が勃発すると、ひとはパニック状態に陥り、そのはけ口を誰かにぶつける。その矛先は主に行政に向かうのだが、今回のコロナ禍では医療従事者にも向けられた。とりわけ患者や市民に身近な看護職への訴えが目立ったそうである。
ある看護職は、住民から「いわれのない怒りや侮辱」をぶつけられた。「私でよければ怒りをぶつけてください」と受け止め、(住民に対する)ケアの一部として対応」してきた。それは看護職としての強みを生かした対応でもあった。とはいえ、一部の市民からにしても「2年間にわたる叱責には事務も保健所職員も疲弊して市民に心を閉ざしてしまいそう」だった。

5人に1人が住民らから心無い差別や侮辱の言葉を
 日本看護協会の「看護職員の新型コロナウイルス感染症対応に関する実態調査」(2020年9月)によると「近年、経験したことのない事態」が発生した。実に看護職員の5人に1人が「差別・偏見」にさらされた。いちばん多かったのは看護職本人ではなく「家族や親族が周囲の人から心無い言葉」をかけられた(27.6%)こと。患者や地域住民から「心無い言葉」を受けた看護職はおよそ20%に達した。入院できずに在宅死が続出した今年の第5波では“被害”はもっと深刻だったろう。罪を犯せば本人の家族も処刑した古代中国の「族誅」さながら。「医療崩壊」は人々の心の荒廃を招いた。それを防ぐワクチンはあるのか。CNK-MLの管理者、中野一司医師は。それは「住民の覚醒」だと言う。
 中野医師によると「太平洋戦争突入前の日本の状況は、今のコロナ下とそっくりだった」。当時は戦争協力を強いる「同調圧(力)」が大きく、同調しない人々への「差別、偏見が横行」した。その反省から「ICTを活用した情報共有と迅速な意思決定」ができる社会にすれば、同調圧の強さは、むしろ「日本の欠点ではなく長所にチェンジ」できると主張する。ICTを上手に活用することによって、お互いに学び合い、他者を尊敬する気持ちを共有することが結果的に「住民の覚醒」をもたらし、賢い住民が育つということだろう。

怖いのはオミクロン変異株よりも人心の分断
 人間社会はパニックに巻き込まれると異常な振る舞いをする。庶民はスケープゴートをもとめ、営利か非営利をとわず企業や組織は社会救済のための制度を悪用することもある。国は新型コロナウイルスの患者や陽性者を受け入れる病院に多額な補助金を出す仕組みを作ったところ、患者を受け入れずにお金だけ貰っていた病院があった。「幽霊病床」の存在は「医は算術」であることを証明した。日本の病院経営は逼迫しているとされるが、コロナ禍に対する公的な経営支援で一息ついた。大手病院グループの経営者の一人は、コロナ禍は「神風」だったことを認めている。
 最前線で奮闘してきた医療者の大部分は固唾を吞みながら第6波に備えている。怖いのは、迎え撃つ側の分断である。それは住民と地域行政、患者と医療者、自治体と中央政府などさまざまな場面で起きた。看護職が人柱にされるような社会的分断はオミクロン変異株よりも恐ろしい。こんなとき思い出すのは過疎地で聴いた話だ。人口減少が始まった1980年代に高齢化率40%を超えていた日本一の過疎地(現山口県大島町の一部)を訪れたことがある。そこで町長がこう漏らしていた。「人口減少より怖いのは、人々の心の過疎です」

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【私のメディア・リテラシー】第8回 コロナ禍で求められる「もっと全体を見る」ということ  尾崎 雄 Ozaki Takeshi(「老・病・死を考える会プラス」世話人 、元日本経済新聞編集委員)

第8回 コロナ禍で求められる「もっと全体を見る」ということ  2020-12-30

 『週刊 金曜日』の2020年12月25日/2021年1月1日合併号を読んだ。訪問診療医・
小堀鷗一郎氏のインタビューが載っていたからである。死亡者3200人を超えた2020年のコロナ禍について小堀医師は次のように語っている。
「大腸がんで亡くなる人は年間約5万人です。コロナで死ななきゃ大丈夫と思っているかのような態勢、ここが大きな問題ですね。胃がんの検診なども数がうんと減っていると思いますよ。おかげで、早期発見できるものができない。病院も検診をやめちゃうし、患者も(検診に)行かないしでね。商売がうまくいかなくなって鬱になるとか、自殺するとか、そういう報道ばかりで、こういうのは統計に表れないけど、確実に増えています。要は何を怖がるか。もっと全体を見ないといけませんね」。

<「パンとサーカス」のたとえから不要不急を問う>
 一部マスコミが煽る「医療崩壊」を防ぐためには「もっと全体」を見て適切なトリアージを行い、医療資源の配分に心がけるべきだったということだろう。「コロナ」騒動があろうがなかろうが、緊急手術や手厚い治療を必要とする「コロナ」ではない患者がいるからだ。インフォデミック(情報洪水)に翻弄されず、医療提供体制を冷静に考える視点がもっとあっても良かったのではないか。医師で作家だった森鴎外は大正5年(1916年)に、命の意味を問う傑作「高瀬舟」を書いた。それから105年。鴎外の孫である小堀医師は82歳の今も訪問診療を続けながら、コロナ騒動を見つめている。
 佐伯啓思京大名誉教授は「パンとサーカス」のたとえを引き、2020年の日本社会を混乱させたキイワードのひとつ、「不要不急」の意味を問いかけた(2020年12月26日付け朝日新聞「異論のススメ」)。古代ローマの市民はパン(食糧=日常の必需品)とサーカス(娯楽=非日常の過剰なもの)の両方が揃っていてこそ生活に満足したとされる。当時のサーカスとは戦車競走や剣闘士の試合観戦だったが、現代も古代ローマと違ったかっこうのサーカス産業があって経済社会が回ってきた。旅行、宴会、スポーツ観戦、各種コンサート、芝居など、それが無くても生きていけるが、それなしは心が満たされないというモノやコトである。
 そこで注目したいことがある。健康保険組合連合会が2020年11月に行った「新型コロナウイルス感染症拡大期の受診意識調査」の結果だ。コロナによって通院や受診を抑制した人の多くは「体調不良を感じることなく生活することができた」というのだ。特に「医薬品の長期処方や電話・オンライン診療の活用、また市販薬の服用などで対応した」人たちにその傾向が強かった。知恵を働かせて「パン」と「サーカス」の使いわけをしたのではないか。

 

<大事なことは「真に正しい情報」と「急がば回れの教育」
 いっぽう、新型コロナウイルスの変異種は日本にも上陸したため、ワクチン開発への期待はいちだんと高まっている。ワクチンはパンデミック阻止の決め手になるのだろうか。ここでも全体を見ることが求められる。
 東大医科学研究所の石井健東大教授は2020年12月22日、日本記者クラブで「コロナ禍でのワクチン開発:その破壊的イノベーションの課題と展望」と題して講演した。そこで、石井教授は、いま、真に
必要なものは「知識のワクチン」だと語った。「真に正しい情報」ということである。学校、会社、病院等で交わされる世間話、電話、新聞、雑誌、本、ラジオ、テレビ、インターネット、友人、同僚等のSNSなどの情報源を使って、「だれから、いつ、どこで、何を、どのようにして正しい情報をを手にいれるか、ということが大切」なのだという。
 もうひとつは「急がば回れの教育」である。「人生のあらゆる局面において正しい情報を入手し、リスク対ベネフィットの比を自分自身で把握し、自己責任において判断して行動できる能力を幼少時から教育することが必要」だと。
 海外ではワクチン接種が始まった。予防効果は製薬会社の能書どおりなのか、副作用が出るのかどうか、出るとすればどの程度なのか、肝心なことはエビデンスやデータが出そろうまで誰にもわからない。コロナ禍のまっただなかで奮闘する医療・介護施設の専門職の方々には感謝してもしたりない。その恩恵を被っている市民にできることのひとつは「パン」と「サーカス」のほかにもある大事な何かに思いを寄せることではないか。

 

      (「老・病・死を考える会プラス世話人)

 

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新コラム【私のメディア・リテラシー】 第6回 ALS患者嘱託殺人事件と「安楽死」について 尾崎 雄 Ozaki Takeshi(「老・病・死を考える会プラス」世話人 、元日本経済新聞編集委員)

第6回 単なる嘱託殺人か「安楽死」なのか 2020-7-31

 筋委縮性側索硬化症(ALS)の女性患者から依頼を受け、薬剤を投与して殺害した医師2人が7月23日、京都府警に嘱託殺人の容疑で逮捕された。この事件を新聞は競って報道している。特異な事件ではあるが、メディアの報道の仕方や姿勢について考えさせられることが少なくない。

 朝日、読売、毎日、産経、東京、日経の各紙は、①現場が在宅療養の場であること、②SNSを“活用”した計画的な行為であること、③当事者間に金銭授受があったこと、④当事者が「独自の死生観」を持ち、⑤「訴追されないないなら」かまわないという反社会的な意識を持つ医師らによって行われたこと――を大きく報道した。安楽死の「作業はシンプル」だった、被害者に「睡眠薬を胃ろうに投与か」、使用した薬物は「バルビツール酸系睡眠薬と判明」とか各紙は事件の“手口”や経過を競って報じている。

 各紙は、「ALS患者(が)生きやすい社会」を求め、「生きる権利」を主張する当事者や支援団体関係者の声を掲載する一方で、ALS患者らが生きることの苦しみを「早く終わらせたい」という思いや主張も伝えている。ALS患者として初めて国会議員になった舩後靖彦氏の「『死ぬ権利』よりも『生きる権利』を守る社会にしていくことが何よりも大切」という声を掲載した。ところが、被害者の女性がツイッターで「自らの『生』と『死』の在り方を自らで選択する権利」を求めていたとも伝える。新聞は、異なる立場から沸き起こる様々な声や主張を取り上げざるをえないのだが、事件の本質をどのように捉え、読者(市民)に伝えようするのか、わかりにくい。次々と浮上する新しい事実に右往左往しているようだ。一つには、価値観の多様化を反映した複雑な社会現象を評価するための明確な判断基準が見つからないからだろう。今度の事件はインターネットが支配する現代社会で起こるべくして起きたともいえる。

 新聞報道のかたちは二つに分かれた。一つはインターネット世代ならでは新しいタイプの嘱託殺人のディテールを詳細に報道すること。もう一つは、「命とは何か」という重いテーマを社会全体で考えるようと問題提起する流れだ。そうしたなかで、各紙は7月28日、一斉にこの事件に関する社説を朝刊に掲載した。各紙の見出しを列記しよう。
「嘱託殺人 医の倫理に背く行い」(朝日)、「ALS患者の嘱託殺人 医師として許されぬ行為」(毎日)、「ALS嘱託殺人 医療からの逸脱は許されない」(読売)、「医療から外れた嘱託殺人事件」(日経)、「ALS嘱託殺人 生命軽視の明確な犯罪だ」(産経)、「ALS嘱託殺人 安楽死の事件ではない」(東京)である。いずれも見出しで「嘱託殺人」だと断じている。

<朝日の社説と「『ブラック・ジャック』登場人物に憧れ?」>
 ただ、東京新聞だけが見出しに「安楽死」を出した。同紙は事件発生を報じた7月24日付けの紙面で3頁のうち2頁で「安楽死」をトップ見出しに使っていた。しかし、社説では「過去の事件と比べ特異な要素が多く、安楽死議論との直結には無理がある」と述べている。各紙は社説のトーンに苦労したようだ。もっと気になったのは、朝日新聞の紙面だ。社説掲載の前日にあたる27日付け朝日新聞夕刊の社会面トップ記事である。メインタイトルは「医師『安楽死』何度も投稿」。サブタイトルは「『ブラック・ジャック』登場人物に憧れ?」である。今回の嘱託殺人のヒントは、あたかも手塚治虫の有名な漫画から得たと思わせる書き方になっている。容疑者の一人は、患者の「安楽死」を金で請け負う漫画の登場人物「ドクター・キリコ」へのあこがれをツイッターに投稿したという。キリコは「ブラック・ジャック」に登場する医師だ。容疑者は「『日々生きていることすら苦痛だ』という方には、横浜地裁の要件はそれとして、一服盛るなり注射一発してあげて、楽になってもらったらいい」、「違和感のない病死を演出できれば、完全犯罪だ」と書き込んでいた。あまりにも常軌を逸した発言と言葉遣いに唖然とする。

 容疑者がこのような書き込みをしていたことが事実だとしても、影響力のある大新聞がそれを大きく載せるとは如何なものか。「ついに、こんな時代になってしまったのだ」とクールに受け止める読者もいた。が、しかし、事実だからと言って、リビングに置かれる新聞の夕刊の社会面に大きく載せて良い記事なのだろうか。小・中学生や高校生が目にし、読むかもしれない。朝日は社説で医師である容疑者二人の行為を「医の倫理に背く」と指弾しているが、この社会面の記事は社説の主張と矛盾する。施設ホスピスや在宅ホスピスなど緩和ケアの現場で働いてきた山崎章郎医師は「医の倫理に背くどころか、人としての道を外れている」と朝日の社説に違和感を持ったという。

<殺人事件を「安楽死」と同等あるいは類似のことのように>
 「安楽死」の扱い方は難しい。24日の毎日はそれを簡潔に書いていた。安楽死は、薬物などで患者を死なせ、尊厳死は終末期に延命治療をしないこと。我が国では法律による定めはないが、医師が末期がん患者に薬剤を注射して死亡させた東海大事件(1991年)で、横浜地裁は安楽死を認める要件を示した。すなわち、①耐え難い肉体的苦痛がある、②死が避けられず死期が迫っている、③肉体的苦痛を取り除く代替の手段がない、④生命の短縮を承諾する患者の患者の意思表示がある――の4つである。今度の事件の容疑者が書き込んだとされる「横浜地裁の要件はそれとして、一服盛るなり注射一発してあげて、楽になってもらったらいい」の「横浜地裁の要件」は、これである。
今回の事件では、なくなった患者は4つの要件を満たしていたのだろうか?  ①についていえば、耐え難い肉体的苦痛があったというより、むしろ精神的、社会的な苦痛に苛まれていた。②と③は議論の余地があったはずである。ところが、新聞は「安楽死 SNSで思惑一致」(東京)、「安楽死の望み」(朝日)、「医師『安楽死が必要』投稿」(読売)といった具合に、殺人事件を「安楽死」と同等あるいは類似のことのように扱っている。このような報道が広がることを憂慮してか、日本緩和医療学会はいち早く木澤義之理事長名で声明を出した。逮捕された医師2人は同学会の会員ではないと断ったうえで、「いわゆる積極的安楽死や自殺幇助が緩和ケアの一環として行なわれることは決してありません」。「積極的安楽死」とは、患者の命を終わらせる目的で「何かをすること」である。
医療と情報の技術や手段が急速に発達し、生活の隅々まで行き渡ったところに一部の不心得な医師が関わり、起こるべくして事件が起きた。在宅医療の現場や地域での終末期ケアを担ってきたベテラン医師の一人は語る。「毎年、約1万人の医者が誕生する時代だ。変人、奇人もいるだろう」と。しかし、市民の多くは、他の職業ではありうるとしても医師だけは、そうあって欲しくないと望んでいるはずだ。最大の問題は、社会規範が破綻に瀕している現実を、メディアがどのように咀嚼し、一般社会にどのような形で発信すべきか、ということである。

<報道の社会的責任とは何かについて問う>
ALS当事者団体に属する一人はSNSにこう書きこんだ。「SNSのみのやりとりで、初めて会う患者に多額の謝金をもらい(死に至る薬物を)投与したこの事件は、ただの殺人事件」だと。産経が「生命軽視の明確な犯罪だ」と断じた嘱託殺人事件の手口を詳細に報道することは、一部の専門家の参考になろうが、一般市民にとってどんな利益があるのか気になる。報道の社会的責任とは何かについて改めて考えざるを得ない。
世界保健機関(WHO)の自殺対策に関するガイドライン「メディア関係者に向けた自殺対策推進のための手引き」(2017年版)は、「やってはいけないこと」を例示している。たとえば、
・自殺の報道記事を目立つように配置しないこと
・自殺を前向きな問題解決策の一つであるかのように紹介しないこと
・自殺に用いた手段について明確に表現しないこと
・センセーショナルな見出しをつかわないことーーなどだ。
 いうまでもなく、自殺と安楽死を混同すべきではない。とはいえ、今回のALS嘱託殺人事件に関する新聞報道を振り返ると、「やってはいけない」ことが少なからずあったように思えてならないのである。 

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新コラム【私のメディア・リテラシー】 第5回 どう生まれ変わるのか、私たちの暮しを左右する新型コロナウイルス対策会議 尾崎 雄 Ozaki Takeshi(「老・病・死を考える会プラス」世話人 、元日本経済新聞編集委員)

第5回 どう生まれ変わるのか、私たちの暮しを左右する新型コロナウイルス対策会議 2020-6-27  


後期高齢者の一人である私にとって唯一と言える趣味はメディアリテラシーの実践です。言ってみれば、最寄りの図書館に赴き、その日の新聞を読み比べることです。
6月25日の各紙朝刊は、新型コロナウイルス対策に関する専門家会議の廃止を報道していました。
最も大きく紙面を割いていたのが、朝日新聞です。
1面の脇トップ(トップ記事に次ぐう重要ニュース)に据え、さらに、3面の半分を超えるスペースを埋めて「政治と科学 問われる距離」という問題提起をしていました。
 1面記事の主見出しは「専門家会議廃止、新組織に」です。政府は、医学的見地から政府に助言を行ってきた専門家会議を廃止し、社会・経済の専門家など幅広い専門家を加えた新たな会議体を立ち上げるというニュースです。「コロナ」担当の西村康稔経済再生大臣によると、専門家会議は「位置づけが不安定」であるから、新たなコロナ対策会議を設置し、「感染防止と社会経済活動の両立を図る」ため、感染症の専門家以外に自治体の関係者や情報発信の専門家らを加え、感染の第2波に備えるという狙いだそうです。

<微妙な立場に追い込まれたかっこうの専門家会議>  


いっぽう、専門家会議は脇田隆字座長ら3人が政府の記者会見と同じ24日、日本記者クラブで会見を行いました。その主旨は概ね以下の通りです。
「(感染症防止)対策の実行は政府が行い、現状分析と評価は専門家会議が政府に提言するという役割分担」のはずだった。ところが、実際は「国の政策を専門家会議が決めているようなイメージ」を国民に与えてしまった、という主張です。
 私は政府の会見には出られなかったものの、専門家会議の会見は日本記者クラブのオンライン中継で全容を知りました。専門家会議の位置づけが曖昧なため、会議メンバーらも「役割以上の期待と疑義」を持たれていることは承知しており、そうした世評に対する反論と反省がにじむ記者会見でした。専門家会議の主要メンバーの思いはオンラインの映像と音声でも、その口調と表情が如実に伝わってきました。感染症の専門家のほかに医療と社会・経済活動など両立を図るための新組織づくりには政府の歩調と合わせてはいるものの、奥歯にものが挟まったような印象を受けました。
 この間の微妙ないきさつは6月26日付けの日経新聞の朝刊が書いていました。
――政府、コロナ新会議設立 方針『逸脱』封じ 権限明確に 廃止の専門家会議とは溝――という記事(政治面)です。

<「感染防止と社会経済の両立」というミッションの行方>   


それによると「5月の連休が明けて政府が緊急事態宣言の解除を急ぐようになると、政府と専門家の考え方に溝が生じ始めた」そうです。事業者や企業の休業や活動を事実上押さえこむ自粛要請が長びくと、経済が委縮するという風評と批判が広がってきたため、政府も地方自治体も政策のウェートを、感染防止よりも経済の延命にシフトせざるを得ないからです。
いち早くコロナ対策に手をつけた杉並区の田中良区長も「ライブハウスのロックコンサートならともかく、静かに音楽を聴くクラシックの演奏会まで規制するのは行き過ぎ」と語っています。
 専門家会議も「感染防止と社会経済の両立」が必要なことは分かってはいるものの、やはり「病気のことは、先ずは専門家に任せて欲しい」というのが本音なのでしょう。記者会見には国の政策が社会経済の“延命”にシフトしても「感染症の専門家は関与すべきだ」とする専門家会議の本音がにじみ出ていました。
そう考えると、25日付けの朝日新聞が専門家会議のあり方について考えるべき点があることを他紙よりも強調したことは意味があります。同じ日の日本経済新聞も社会面で専門家の助言のあり方に課題がある、と指摘していました。
 新たにできる組織のミッションは二つ。
一つは、感染の第2波への備え。もう一つは感染拡大を押さえつつ経済活動を再開することです。ブレーキを踏みながらエンジンをふかすという矛盾した政策をどう作って、実施するのか。
7月には新組織は発足するようですが、私たち一般市民の暮しに直接かかわる問題だけに、新聞やテレビなどメデアはこれから動向を的確に報じてほしいと思います。

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