コラム 安藤 武士

コラム「医師として、武士として」  Vol.100 「炊飯器」    安藤 武士 Andou takeshi

Vol.100 2018.5.5 炊飯器  

今日もスタバで、抹茶フラペチーノを楽しみながらコラムを書いている。1960年、初版本として発刊された北大路魯山人の筆からなる「春夏秋冬料理王国」というエッセイー集が、1980年、「魯山人の料理王国」と名を変え新装復刻版として発刊された。お読みになった方はおられると思う。小生は、4半世紀前に読んだ。現在でも通る内容である。

魯山人は、料理家だけでなく、書家、陶芸家、染色家としても「名」をなしている。「料理王国」は魯山人の「食」のエッセー集であるが、目次に、「料理する心」「味覚論語」「食通歓談」「お茶漬の味」「香辛料と調味料」「味ところどころ」「料理メモ」とある通り、魯山人は「食」に通じた文化人である。当時、一流の知識人は、競って魯山人が経営陣に参画していた「星ヶ岡茶寮」に通ったという。

「新装復刻にあたって」の復刻版の初頭の文章に、「いつか山人が料理場におりて行くと若い下っぱの料理人が飯を炊いておった。その青年がつと立ち上がって釜に耳を近づけて米がよく煮えて立って音をききすましている。鉄の釜を焚いている間も気をゆるめぬ御飯炊きの忠実さに山人は炊き上がった御飯の出来上がりを待った。よくむれた御飯は上出来であった。そこで山人は大喜びしてこの青年に金一封を贈り、間もなく煮方手伝に登用した」という文章がある。魯山人の心配りにも称賛に値するが、日本料理の中核は、美味しい「ご飯」であることはいうまでもない。

先日、近くの大型家電店に行く機会があり、炊飯器、現在は電気炊飯器であるが、どんなものがあるのか、店内をぶらぶら歩きまわり見てまわった。

“本炭釜の激沸騰と大火力で香り高く炊き上げる「本炭釜」”、“南部鉄器「極め羽釜」”、“プレミヤ本土鍋「四度焼き」”、“米はおどる方がうまい「Wおどり炊き」”等々、米飯の出来具合を宣伝し競い合っている。

小生宅には、炊飯器はない。5年経つであろうか。まず、小生が容姿を考え米飯を食しなくなったことが一番の原因である。現在も、寿司以外の「米」は食べない。家人は、わずか1合程度のご飯を炊くため、いつも炊飯器をきれいにしておき食べるか食べないかわからないご飯を用意することが無くなった。「労」が軽くなったのである。

時に、「おにぎり」を食したいときがある。近くに、美味しいおにぎりで「名」をなしている「コンビニ」で買ってきてもらう。具は「かかお」か「ツナ」が好である。家人は、「パン」か「パスタ」を好んで食している。愛猫は、固形食のみである。従って、炊飯器はいらないのである。結局、炊飯器は粗大ごみとなった。

先日、家人が新聞を食いるように見ていた。1面を使った、食べたいときにすぐおいしい「食宅便」と表示されている広告である。プラスティックのトレイにきれいによそった“おかず”

の写真に一食分のカロリー(エネルギー)と塩分量が記載されている。

1) トマト煮込みハンバーグ:エネルギー272Kcal、塩分2.8g  2)牛しゃぶ:エネルギー264Kcal、塩分1.9g  3)海老グラタン:エネルギー362Kcal、塩分2.8g 

)野菜たっぷり回鍋肉:エネルギー223Kal、塩分1.5g  5)鶏肉のレモンペッパー焼き:エネルギー246Kcal、塩分1.9g  6)牛肉の牛蒡煮:エネルギー231kcal、塩分1.9g 7)鱈のきのこクリーム:エネルギー234kcal、塩分1.8g

さらに、「管理栄養士の新生活応援セット、おかず7食セット 3,920円」と掲載されている。一週間分の夕ご飯のおかずになることを想定しての広告であろう。

時代と共に料理法は変わってきている。手料理から、スパーマーケット食、コンビニ食、いずれは「宅配食」となるのは確実である。“チン“すれば良い訳であるから超高齢者社会になれば必然であろう。

小生も家人も年を取った。いつから“チン”食事になるかな。(終わり)

|

コラム「医師として、武士として」  Vol.99 「倫理観:素朴な質問(その2)」    安藤 武士 Andou takeshi

Vol.99 2018.4.28 倫理観:素朴な質問(その2 

現在の世界は、「自由、平等、有愛」に基づく倫理観でなりたっている。その「倫理観」を普遍的な倫理観とするため壮絶な争をした。また、現在もしている。「自由、平等、有愛」は、1678年に起きたフランス革命からの倫理観である。有史以来、数千年、世界のどこでも「絶対君主」が「民」を支配していた。絶対君主制の倫理観で世界は動いていた。「君主」がいて「民」がおり「奴隷」がいるというものである。奴隷と言っても、ギリシャのソクラテス、プラトン、アリストレスのように有力者の「民」に属するという時代が長く続いた。それがフランス革命で崩壊し、「ヒト」は自由、平等という新しい倫理観ができた。庶民は戸惑ったと聞く。現在の倫理観は僅か350年前に生まれた、生まれたての倫理観である。この歴史の浅い倫理観も変わるであろう。

殺してもいい時代、自由、平等でない時代が来る可能性もある」と考えると、市井の一員である我々はどのようにしたらよいのであろうか。

飛躍した話になるが、医療資源の確保の観点から制限される医療も検討されている。医療人は、「命のトリアージ」をしてはならないという「倫理観」を絶対的な行動規範としていたが次第に崩れてきている。

災害時のトリアージタッグで知られる救命制限、がん治療・血液透析開始の年令制限、生前診断(NIPT)に基づく出生制限等々である。医療資源の確保、費用対効果など色々な理由で命のトリアージが行われようとしている。それを否定する訳でないが、「命」と対比するものはないと教わり続けられ、また、思っている「倫理観」を変えなければならない時代になってきた。

「可愛そう」という素朴な倫理観だけでは、世の中は通じなくなってきている。

「倫理観」は常に変わることが言いたかったのである。理屈っぽく、一人よがりになってきたのでお終りとする。(完)

|

コラム「医師として、武士として」  Vol.98 「倫理観:素朴な質問」    安藤 武士 Andou takeshi

Vol.98 2018.4.15 倫理観:素朴な質問

 今日もスタバで、抹茶フラぺチーノを楽しみながらコラムを書いている。新聞の「人生相談」で、倫理観の根源的な問題を15歳の若者が素朴な質問し、落語家で作家の立川談四桜氏が、小気味いい回答をしているのを読んで興奮している。

 質問は、年齢から言うと高校1年生と思われる青年が、「僕が、ヒトを殺してはいけない理由を簡単に説明して」と、一緒にニュース番組をみていた親戚のおじさんに頼んだら、「我々がそうゆう時代に生きているからだよ。価値観や倫理観は時代によって変わる」と即答されました。それなら「殺してもいい時代が再び来る可能性もある」と考えるべきでしょうか。というものである。

 「ヒトを殺してもいい時代はくるのか?」。極め重く回答に窮する問題である。回答者の立川氏がこれまで聞いた回答で感心したのは、「理由はない。いけないものはいけないんだ。」というものであるという。しかし、親戚のおじさんの「我々が、そうゆう時代に生きているから」にも説得力があると回答している。

 確かに「ヒトは殺してはならない」という倫理観は、700万年からの人類史を見ると、まず、自分が生き抜くためには常に「争い」に勝なければならないから太古にはなかったと言ってよい。「争い」は、倫理観の欠如というより本能的なものであったろう。時代が下るとともに、自分という「個」から、同種、同族、集団の命・財産・名誉を守るために「争い」を起すようになり、若干であるが何らかの倫理観を持つようになってきたと思われる。

「理由はない。いけないものはいけない」という倫理観を、現世の人は絶対と考えているが、有史以前から色々な理由で「ヒトを殺し」世界が形成されている。何か理由があれば「ヒトを殺してもよい」というのが現在の倫理観なのであろうか。20世紀は、戦争で4億人が殺されたという。現在も、世界のどこかで戦で「ヒト」が殺されている。

その様に考えると、これからも同じことは起こりえる。回答者は、「殺してもよいという可能性はゼロではない」と答えているが、質問している若き青年に「それを防ぐのは、あなた方の世代に期待する」と回答している。質問も回答も秀逸である。

倫理観は一般に人の行動規範となる。法律とは関係がなく、「ヒト」として守り行うべき道、善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるものーと、書物に記してある。残念な事に、歴史は「ヒトを殺してはならない」という倫理観は、まだ「普遍的」になっていないことを示している。(続く)

|

コラム「医師として、武士として」  Vol.97 「風月堂のゴーフル」    安藤 武士 Andou takeshi

Vol.97 2018.4.1  風月堂のゴーフル

アルベルト・シュバァイツァーという人物をご存知の方は少ないと思う。医師・哲学者・神学者・音楽学家で、アフリカでの献身的な医療活動が評価され1952年、ノーベル平和賞を授与された人物である。30歳で医学部生となったが、それまでは、哲学・神学を学び、大学の神学講師として研究・教鞭をとっていた。

38歳で医学博士号の学位をとり、1913年に医療施設に困っていたアフリカ・ガボンのランバレネに診療所を建て1955年まで医療に従事する。第一次大戦という混乱期では、医療活動は一時中止し、ヨーロッパでパイプオルガンの演奏者として名声を得る。その後、ガボンに戻り、献身的な医療奉仕活動とヨーロッパでの講演活動を展開、その献身的な奉仕活動が評価され、1952年度のノーベル平和賞を受賞する(以上はIT情報)。

小生も小学校時代に「アルベルト・シュバァイツァ―博士」の伝記を読んだが、木製の「輸液台」の挿絵が記憶にある。

その後、核反対運動にも参加するなどしつつ、ランバレネで医療活動を続け、1965年、90歳でこの世を去った。

何事も毀誉褒貶はある。現地での評判は決して良いものではないという。自らの神学思想を現地の文化より優先し、同時代の西洋の知識人たちと同様に白人優先主義者で、「人類皆兄弟」の標語を唱えながらも、白人を兄、黒人を弟として扱っていたという。植民地支配の側面が強かったようである。近代医学を行う医療機関も設立されたが、シュバァイツアー博士の奉仕の精神の医療施設に負け、閉鎖を余儀なくされたという。それが原因で、当地の医療は著しく遅れたという。

シュバァイツァー博士は、ゴーフルが大好物で、日本から訪れる人は「風月堂のゴーフル」をお土産として持って行ったと聞く。

小生の昼食は、長年、「風月堂のゴーフル」のみである。10月になると落ち着かなくなる。(完)

|

コラム「医師として、武士として」  Vol.96 「赤ひげ」    安藤 武士 Andou takeshi

Vol.96 2018.3.17  赤ひげ

 この数年間、TV放送はニュース以外余り見ない。興味ある番組は録画しておき観たいときに観る。

 その代わり、DVDは沢山所蔵している。シリーズ物として、アガサクリスーの「探偵ポアロ」(60巻余)、ピーターホーク主演の「刑事コロンボ」(60巻余)、コナンドイルの「シャーロックホームズ」(30巻余)、他に、ヘミングエイの「誰がために鐘はなる」、イングリッド・バーグマン主演の「カサブランカ」、オードリーヘップバーン主演の「ローマの休日」、アランラッド主演の「シエーン」、ショーンコネリー主演の「ジームズボンド」シリーズ等々、切りがない。時間があれば、何度も同じものを見ている。そのたびに新たな発見がある。

1ヶ月前より、黒沢 明監督の映画の「DVD」が発売開始となった。早速、購入手続きをとった。先日、3巻目が届いた。かの有名な三船敏郎主演の「赤ひげ」である。確か昭和40年頃の映画であったと思う。

長崎で修練して江戸の小石川療養所に配属された「近代医学」を学んできた若き医師が、「赤ひげ」流の施療に反抗していたが次第に“医のこころ“を学び、「こころ」の医者になっていくという山本周五郎の名画である。

時代と共に、医師に求められることは異なるが、どんな時代になっても変わらぬは、「赤ひげ」流の「医のこころ」であると思っている。

「赤ひげ」は、現在、地域医療に貢献した医師に日本医師会が授与する「赤ひげ」大賞の名称にもなっている。技術的に発展し続ける医療界で活躍する医師に求められる「医師」にも、「赤ひげ」流“医のこころ”が必要と思っている。

小生は「赤ひげ」は、「良医」ではない、「名医」でもない、「善い医者」のことを指していると思っている。

先日、医師の友人に「赤ひげ」の事を話したら、「もし手術をすることになったら『善いこころ』より『技術が優れている』方が良いね。」と言われた。拡大鏡を用い、髪の毛より細い糸で縫合するには、それなりの技術がいることは承知している。「ロボット」手術の成績が良い疾患もあるので理解はできる。

小生には、現在は逆立ちしても手術をすることが無いので、「赤ひげ」流の“医のこころ“が「善い医師」にとって必要ということを強調しているのかもしれない。

以前、「証拠ある医療(EBM)」に関する「コラム(Vol:16)」を掲載させていただいたが、もう「赤ひげ」は不要と明記した医事評論者がいた。それも理解できるが、なにか釈然としない。

 現在、予防医学に従事しているが、小生の目標は医療機関の“パイ”を小さくすることを目標としている。(続)

|

コラム「医師として、武士として」  Vol.95 「命のトリアージ」    安藤 武士 Andou takeshi

Vol.95 2018.3.3  命のトリアージ

今日も、近くのスタバで、抹茶フラペチーノを楽しみながらコラムを書いている。資料を調べているうちに気が重くなってきた。本日は、“重い重い”話となる。

 

 1月下旬、「新型生前前診断(NIPT) 本格実施」 “対象施設拡大と 指針の見直しへ”、という記事が新聞の一面のトップに掲載されていた。妊婦の血液から胎児の病気の可能性を調べるNIPTを巡り、日本産婦人科学会が、倫理面で臨床研究に限定したのを見直し本格実施に踏み切る方針を固めたという。胎児の中絶に繋がるため「命の選別」との批判も根強いが、高齢者妊娠の増加で高いニーズに応える必要があるとして受診できる施設を大幅に増やすという報道がなされた。日本医学会がNIPT実施できる施設認定を行っている。現在は89施設が認可されているが、認可施設を600施設程度まで拡大する事を検討中という。昨年、日本では9月まで5万人余が検査を受けたという(新聞報道)。 

INPTは、妊婦の血液中の微量な胎児のDNA分析し、染色体数異常の可能性の有無を調べる検査である。確定診断は羊水検査であるが、NIPTは容易にしかも母体に及ぼす危険もないので、NIPTが広がっているという。実施できるのは日本医学会の「認定施設」のみに限定されている。現在、検査を受けることができる妊婦は、35歳以上、過去に染色異常(21、18、13トリソミー)の分娩経験のあるもの、胎児が超音波検査、母体血清マイカー検査で、染色体異常の可能性の上昇を指摘されているもの、両親がロバートソン転座(13、14、15、21、22番の染色体異常)があるものされている。

13トリソミーとは、13番目の染色体が1対(2本)でなくもう一本、余計にあることをいう。胎児は、染色体異常で色々な健康障害を持つ。

現在、指針に定められた年齢に関係なく、また、21トリソミー(ダウン症)、18トリソミー(エドワーズ症候群)、13トリソミ―(パトウ症候群)以外の染色体検査をする施設もあるという。また、無認可施設も登場してきているという。NIPTは、2011年、米国で開発されたが、詳細は他に譲る。英国では2004年以降、は全妊婦が何らかの出生前検査を受けるよう求められているという。

 

小生が、医学進学過程を終了し医学部の基礎講義に「衛生学」があった。衛生学の講義は、大変、勉強になった。デトロイトの大気汚染〈エアーポリューション〉、ハンスセリエのストレス学説など今日的問題になっている学問的基礎知識を、聴講できた。

その一つに、優生学的問題に関する講義があった。宗旨として自然妊娠のみ許しているクエーカー教徒の実態調査で、排卵から受精までの期間が長いほど染色体異常の胎児ができることが判明したという。多くは死産であるが、21トリソミー(ダウン症候群)の胎児は出生するという。21トリソミ―の人達は、争う事はなく何時も穏やかで人なつこく、この世の全ての人が彼ら彼女らのようになれば、世界から争いがなくなるというものであったと記憶している。現実には、種々な問題を抱え日々を送らざるを得ない。

 

全世界の妊婦に、何らかの生前検査を受けさせることが当たり前になってきているようであるが、生存可能な染色体異常胎児と判明した場合でも、何らかの処置をとることになることは必死である。日本では、胎児が染色体異常あると判明した場合、97%の妊婦が処置をとっているようである。第2次大戦でドイツが行ったホロコーストと同じことが日常的になりつつある。

 

 小生は、妊婦の生前検査の是非に対し答えを持っていないが、医学が進むほど倫理的な問題が生じてくることを言いたかった。(完)

|

コラム「医師として、武士として」  Vol.94 「長時間労働」    安藤 武士 Andou takeshi

Vol.94 2018.2.17 長時間労働

今日も「スタバ」で、開店から抹茶フラペチーノを楽しんで「コラム」を書いている。題は決まっていなかったが、最近、新聞記事の一面に「医師の長時間労働」が話題になっていることもあり、「医師と労働」、「医師と労働時間」について、過去を振り返り、現在の思うところをコラムに寄せた。

1998年、関西の大学病院の研修医が自死するという悲しい事件があった。その前の月の残業が114時間であったことが判明し過労死と判定されたことに触れたコラム(Vol.37:2009年7月31日)を、掲載していただいた事を思いだす。

 医師自身は、長時間勤務は当然のことであり、長時間「労働」をしているとは思っていなかった。自身が携わっている仕事を「労働」と思っていなかったからである。長時間、患者に尽くすことは当たりまえでそれを誇りに思い、それを心の支えにしていた。それが、研修医の不幸な事件を契機に、医師は労働者と明確に定義され、医師の労働時間も労働規準法に従わなければないとされた。それでも医師は、労働問題は社会的問題であり、医師の仕事の実質は、担当の患者さんが快癒するまで、全責任をもって尽くすことが医師の任務であり、「医療」は「労働行為」ではなく、社会的規範から外れて存在するものと思っていた医師は多いはずである。

労働時間を管理するには、労働時間を把握しなければならない。小生が出退勤表に打刻するようになったのは臨床医をやめる数年前であるが、打刻するようになってから明らかに「心」に変化が起きた。当初は、労働者として労働時間を病院が管理するためやもうえないと考え夕刻になると出退勤カードに打刻していたが、日が経つにつれ打刻をした後の患者さんに対する思い、責任が薄れ始めてきた。極端にいえば、後は当直医の責任、病院の医療体制の問題と考えるようになってきたのに気が付いた。

現在も、大学病院でも、病院でも、所謂、長時間労働をしている最中、タイムカードに打刻をし、また医療活動に戻るという事があると聞いている。法的には、打刻をした後の業務は「サービス残業」ということになる。仮に事件性を帯びたことが起こると、「サービス残業」を病院が強いたと報じられる。病院の労務管理体制が問われる。

 医師にとって、自身が労働者としての職務と同じであり、社会的ルールに従はなければならないと思っていない医師は少なからずいると思っている。現況を変えるためには、医師の交代勤務など、本邦の病院の医療体制を抜本的に変えなければならないと思っている。しかし、変えた場合、果たして医師の「心」をどのように担保するかが大きな課題になると思っている。

過年、小生がある教職員組合の会合で労働衛生の講話をする機会があった。講話が終わって、管理者である司会者が会場の教職員に「なにか質問ある先生は?」と言ったら、すぐに、それなりに責任のあると思われる先生が、「過重労働が問題になっているが、職場にタイムカードを導入することについて意見は?。」という発言があった。

小生は、「当然、労務管理には労働時間を把握する一手段として、タイムカード制度は必要と思う。」と回答した。発言者は、司会者に「そらみろ。」という雰囲気で着席した。会場の先生もがやがやし始めた。

引き続き、過重労働対策として当然であるが、学校の「先生」は「聖職」と言われているように何時も何処にいても、担当の生徒のことを考えておられると思う。タイムカードを導入し労働時間を管理することは労務管理するうえでは当然であるが、導入により聖職者である先生方の「心も時間と共に変わる。」と、医師として経験したことを話したら会場は静まり返った。

このコラムは、医師、教職者の労務管理を抑制するために記したものではないとはご理解いただけると思う。

先日も若き研修医が、自分で命を絶った。医師は技術職に入るが、交代勤務を導入するようになるのではないかと思っている。今後、更に「医療の質」も変わると思う。どのようになるかは分からないが、少なくとも小生が医師になった時の「心」とは違う医師が誕生すると思っている。

人生の終末期に入ると、「くどくど」と自身の経験を述べることは人の習いと聞いている。我慢をして、目を通していただき感謝しております。(完)

|

コラム「医師として、武士として」  Vol.93 「スタパ」    安藤 武士 Andou takeshi

Vol.93 2018.2.1 スタバ         

 休日は、朝から昼まで何時も家から10分ほどのところにある「スタバ」にいる。入店するとまず,定席に荷物を置きカウンターに行く。大抵、第一号客である。

カウンターに行くと「抹茶フラペチーノ グランデ」ですね、と店員はいう。代金を払い席に戻り、パソコンをセット。その後、新聞を読み、何かを始める。今日は、特に処理しなければならない事のないので、何時もお世話になっている「スタバ」を調べることにした。

 「スタバ」はご存知のようにスターバックスの、日本での略語である。スターバックスの発祥の地は、米国、ワシントン州のシアトル市という。1971年のことである。当初は、コヒーの焙煎を生業としていたが、1985年、コヒー店とし飲み物をテイクアウトできるようにしてから、あっという間に世界に広がったとのことである。世界に、900国に約225万店以上あるという。日本では、東銀座に一号店がお披露目された。現在は、店内でインターネットもできるようにしたことも時代にあったようである。どこも盛業である。小生の周囲のお客さんもパソコンで調べ物をしている。大変便利である。スターバックスという名は、メルビル著の「白鯨」に出てくる第一航海士の名前からという。云われは分からない。このコラムをかいている合間に新聞に目を通していると、重い記事が目に入った。

「嫁」もう嫌だ 縁切った 苦しんだ30年「死後離婚」届け 「3世代同居 かえって亀裂」、という表題の記事を読み、理解できることがあったので重い問題であったが、コラムの内容を変えた。

「死後離婚」とう言葉は知らなくはなかったが、記事を読み理解できた。結婚すると女性は苗字を結婚する男性の名にすることが多い。現在、その習慣に疑問を持たない人が多いようである。その逆は、世間からみると不自然に思われる。同居するか否かは別にして、女性が結婚する相手の名になる場合、籍ばかりではなく、全生活が夫の世界に入る。夫の両親、夫、自分、子供が家族の「核」になる。「核」の世界では、夫の両親は舅、姑となる。結婚した女性は誰からも「嫁」と呼ばれるようになり、家族の一員となる。夫を除けば皆よそ者である。3世代家族をつないでいるのは、舅、姑からは「孫」と呼ばれる子供である。

夫が死んだ場合も、いやでも夫の家族の一員として残らざるを得ない場合が多い。自分が死んでも、嫁ぎ先の家の墓に入ることになる。「何々家」の墓と表記された墓に入りたくないと思っているひとは少なくないようである。

愛する夫が亡くなった場合、舅、姑が全てを取り仕切るのが一般的である。「嫁」である以上、世間では当然と思われている。それを避けるため「死後離婚」制度があるという。夫の死後、夫の家族の籍を離れる制度である。これで、亡き夫の家の一員ではなくなる。自由の身になる。

小生の耳にも最近、他人事ではあるが親族、家族、殊に「嫁」とのいがみ合いの話が耳に入る。小生宅は「核家族」である。そのような問題はないが、過年、家人が子供に「私は、散骨にして欲しい」と言ったときは、ドキッとした。

「スタバ」は安らぎを与える場所でもあるが、余計なことまで考えさせる場所でもある。(完)

|

コラム「医師として、武士として」  Vol.92 「幼少時教育」    安藤 武士 Andou takeshi

Vol.92 2018.1.15 幼少時教育

小生と音楽? 無縁のことと思っている方が多いと思う。違うのである。終戦直後、両親は進駐軍のご婦人より家でソーシャルダンスを習っていた。まだ、蓄音機の針が「タケ」の時代である。小生は、両親の練習姿を覚えている。常に音楽が周囲に有る環境で育った。

耳に記憶に残っているのは、「マリネラ」というシャンソンである。3,4歳の頃であろう。無論、その時は、題名は分かるはずはない。長じて題名を知った。過年、有名な”銀パリ“で活躍した往年のシャンソン歌手にリクエストしたがそんなシャンソンは知らないという。「コラム」を書くにあったって調べてみた。

マリネラは、「1936年のPierre Caronが制作し、ティノ・ロッシが主演した映画『マリネラ』の主題歌。」と解説してある。1936年では小生は生まれていない。しかし、確かにあったのである。“調べ”は、体に染みこんでいる。

その頃、父親が月一度、家でレコードコンサートを催していた。近所のクラシック愛好家が集まって「通人」の解説を拝聴した後、コンサートが始まるのである。小生は、部屋の端で両膝を抱え聴いていた。バッハ、ブラームス、べート―ベン、モーツアルト、シューベルト,ショパン、良さもわからず聞いていた。しかし、シューベルトの歌曲「魔王」だけは恐怖に慄いて聞いた。これも、後で曲名を知った。このような生活が数年続いた。

 

幼稚園に通っていたころの話である。中心街に楽器専門店があった。シーウインドウに可愛いバイオリンが飾ってあった。それが欲しくてたまらなかった。誕生日に好きなものをあげると言われたので、そのバイオリンをねだった。小生はおもちゃの積りでいたが、両親は早速バイオリン教室を見つけ通わせた。冬、自分で引くバイオリンの“ギーギー音”で寒くなり炬燵で引いていた。10歳で親の仕事の都合で上京したが、それをきっかけにバイオリンはやめた。

 上京してからは、家が繁華街にも近かったため「流行歌」が常にあった。何時も、「何か」の音につつまれていた。

中学から大学を卒業するまでは、運動漬けで当時の音楽は知らない。医師になってからも病院と密着して生活をしていたので世間知らずであったが、会費要員として「カラオケ」に頻回に連れていかれ、それなりの歌手と流行歌を知る機会はあった。

1980年、米国胸部外科学会に参加するためアメリカに行ったが、ボストンで若き日の小沢征爾氏のドヴォルザークの「新世界」を聴く機会があった。現在、老成した征爾氏の指揮から生まれる音楽は別人が指揮を執っているようである。柔らかい。

そんな環境の中、ある音楽大学の教師と知り合い、以後、月に一度、クラシック音楽の切符を頂くようになった。ストビンスキーのような現代音楽は落ち着かなく聞いていたが、クラシック音楽になると心穏やかにひと時を過ごせた。何年続いただろうか。

勤務先の研究室にもラジカセを置き、何時もクラシック音楽を流していた。小生が好きなのはピアノ協奏曲である。ラフマニノフ、グリーク、ショパン、ベートーベン、サンサーンス、シューマン等々、何時も流していた。心が安らぐ。これは、幼少時の影響と思った。その後、音楽を聴く環境もなくなったので音楽とは疎遠になった。

 

幼少時の体験は体が覚えているので、幼児教育は将来を決めると言われいる。

 今、小生が口ずさむのは「美空ひばり」の歌でばかりである。(完) 

|

コラム「医師として、武士として」  Vol.91 「“呑んべい”の言い訳」(完)    安藤 武士 Andou takeshi

1941年、新潟県生まれ。1967年、新潟大学医学部卒業後、医師登録と同時に外科研修を開始。

インターン終了後医師となる。新潟大学付属病院(外科助手医局長)で勤務の後、72年、呼吸器・心臓血管外科を専攻後、80年より、心臓血管外科部長として日本赤十字社医療センターに勤務。その後、山梨医科大学非常勤講師JR東京総合病院(心臓血管外科部長)、明治安田生命(事務センター診療所所長)、JR東厚生部(水戸支社・高崎支社・新潟支社健康管理センター所長)、佐野市民病院(健康管理センター所長)、介護老人保健施設たかつ施設長を歴任。現在は、(社団法人)労働保健協会の診療所所長として活躍中。労働衛生コンサルタント・スポーツドクター(日体協)・健康スポーツドクター(日医)・認定産業医(日医)の資格を持ち、5つの顔を絶妙な味で使いわける医学博士である。身体の大きさと、豪快な笑い・笑顔には、その人柄と存在感をより強くアピールする何ものかが潜んでいる。今なお、'武士'にして"武士"ここにあり。

Vol.91 2018.1.1 「呑んべい」の言い訳(完)

「呑んべい」は何やかんやと言い訳をしながら呑む。「乾杯」の音頭をとってくれと言われてね。チョットの積りが、皆が挨拶に来て注ぐので断る訳にもいかず飲んじゃって。ウーロン茶をウイスキーの水割りと言って飲んでいたら、バレテネ。と、言った具合に呑み続けるのである。

小生は、大酒家ではないが気持ちは理解できる。相手の気持ちを損ねないようにいつも心がけているのである。「呑んべい」は優しい気持ちの持ち主なのである。

 

 先日、50人程の宴会が終わり会場より地下鉄で帰ろうとしたが、地下鉄の入り口までかなりの距離があったので通りかかったタクシーに乗った。

 運転手に、「靖国通り」でも「新宿通り」でもいいよ。「靖国通り」なら、曙橋駅の先に側道があるから、その道を登ってくれれば後は家まで案内するよ。「新宿通り」なら、と説明した。

 運転手と世間話をしながら、気分よく乗っていた。目的に近づいてきたので100mほど先に側道があるから、その側道の坂道に沿って行ってくれと説明をした。運転士は側道を通りこした。「ここでいいよ」と言って降り、逆戻りし坂道の側道を歩いた。坂道の途中で何かに足をとられ転んだ。意識はしっかりしていた積りであったが、起き上がれないのである。数分、そのような状態が続いたので、しばらく休めば良いも醒め立てるだろうと思い、悪あがきをせず

おとなしく横になっていることにした。車が来ると危いので体を回転させながら道端までごろごろ転んでいき危険を防いだ。鞄を枕に一寝すれば起き上がれると判断した。極めて、適切な判断と思った。

 どのくらい経ったかわからないが、周囲の騒がしさに目をさました。10人ほどの通行人が小生の廻りにいた。車のライトが小生を照らし周囲の人が観察していた。救急車を呼ばなければ、という声が聞こえたので、大丈夫です、起き上がれれば家がすぐそこですのであるいて帰れます。起き上がるのを手伝ってくださいと言ったと記憶している。小生のご近所さんが数人おられ、小生を家まで支え送ってくれた。

 なに食わぬ顔で帰宅すればと思っていたが思わぬ事態になった。家に帰ってからが大変であった。あとは、想像におまかせする。

 乾杯の一杯が。あの運転士め。これは「呑んべい」の言い訳ではない。(完) 

「呑んべい」の言い訳(1)⇒ こちら

「呑んべい」の言い訳(2)⇒ こちら

|

より以前の記事一覧