コラム 安藤 武士

コラム「医師として、武士として」          安藤 武士 Andou takeshi

1941年、新潟県生まれ。1967年、新潟大学医学部卒業後、医師登録と同時に外科研修を開始。72年、呼吸器・心臓血管外科を専攻後、80年より、心臓血管外科部長として日本赤十字社医療センターに勤務。2001年より職域診療所所長、2010年より佐野市民病院健康管理センター所長として活躍中。労働衛生コンサルタント・スポーツドクター(日体協)・健康スポーツドクター(日医)・認定産業医(日医)の資格を持ち、これらの5つの顔を絶妙な味で使いわける医学博士である。身体の大きさと、豪快な笑い・笑顔には、その人柄と存在感をより強くアピールする何ものかが潜んでいる。やはり'武士'にして"武士"ここにあり。

Vol.4  2011. 9. 5    祝 辞

e-nurse netwrkeを主宰されている在宅看護研究所センターの村松静子代表が、赤十字国際委員会から「第43回フローレンス・イチンゲール記章」を受与された。関係者は無論のこと、本コラムに拙文を寄せている一人とて誇りに思っている。

 本邦の歴代のナイチンゲール記章受賞者は、医療機関(病院)の世界で長年にわたり看護の分野で活躍された功績で受賞されておられることは、改めて申し上げる必要もない。

 村松代表は、看護婦(師)として臨床の場で日々活躍していたが、病める人が医療機関を離れてからも看護が必要性のことを痛感し、ボランティアで退院した人の家庭で看護を行ったことが原点となり、1986年、30歳台で医療施設(病院)より離れ、看護のプロ集団による「在宅看護研究センター」を設立し「在宅看護」を始めた。そればかりか、国に「在宅看護」の必要性を説き、それが契機となり今日の「公的在宅看護制度」が導入されたのである。活動の拠点が医療機関(病院)でないことは特筆されてよいと思っている。

 フローレンス・ナイチンゲールはクリミヤ戦争(1953ー1956年)に、34歳で英国陸軍病院の看護団を率いてクリミヤのスクタリ野戦病院で傷病兵の看護にあたった。ナイチンゲールは、良家の子女の奉仕による看護を排し、看護教育を受けたプロの看護婦(師)による看護を行うことを推し進めた。また統計を駆使し(後に英国統計学会員となる。)、野戦病院の衛生状態に問題があることを指摘、それを改善することで死亡率を著しく低下させた。看護の力を英国陸軍に認めさせたのである。このことが、それまでの医師のみによる医療にプロによる看護も医療にとって必須要件であることが認知され、以後の医療に看護が組み入れられ近代医療が創設されたのである。

 村松代表は、19世紀にフローレンス・ナイチンゲールが近代医療を創設したと同様、医療の一翼をになっている看護を医療施設(病院)の場だけではなく、病める人が日々生活を送る家庭でプロによる看護を受けることが出来る「在宅看護」を組み入れた新しい医療制度、進化した医療制度の創設に寄与したことが評価されたのである。代表のナイチンゲール記章受賞は特別な意味を持っているものと思っている。まことに慶賀である。

Vol.4vol.12 、「赤十字とナイチンゲール」もある。 ⇒こちら

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コラム「医師として、武士として」          安藤 武士 Andou takeshi

1941年、新潟県生まれ。1967年、新潟大学医学部卒業後、医師登録と同時に外科研修を開始。72年、呼吸器・心臓血管外科を専攻後、80年より、心臓血管外科部長として日本赤十字社医療センターに勤務。2001年より職域診療所所長、2010年より佐野市民病院健康管理センター所長として活躍中。労働衛生コンサルタント・スポーツドクター(日体協)・健康スポーツドクター(日医)・認定産業医(日医)の資格を持ち、これらの5つの顔を絶妙な味で使いわける医学博士である。身体の大きさと、豪快な笑い・笑顔には、その人柄と存在感をより強くアピールする何ものかが潜んでいる。やはり'武士'にして"武士"ここにあり。

Vol.40 もの忘れ健診  2010.11.26

 小生が所属している施設で「もの忘れ健診」という健康診断を行っている。正式には「認知症早期発見検査」という健康診断であるが、この健診は、まず「もの忘れ」が単なる「もの忘れ」なのか「脳の疾患」で起こる「認知症による記憶障害」なのかを診断し、「認知症」ならば脳血管障害型、アルツハイマー型、混合型、他の疾患によるものかを鑑別することを目的としている。

 検査は、心理テスト、ホルモン検査、通常の頭部MR(磁気共鳴)検査とMR検査で得られたデータを特殊な解析ソフトを使って記憶の中枢である脳細胞(海馬傍回)の障害度を検索する健康診断である。「もの忘れ健診」の受診希望者は結構おられる。それなりの年齢になると「もの忘れ」がかなり気になるのは、それなりの年齢の読者には理解できよう。 

 このコラムの前号Vol.39)記したが、脳細胞はヒトが生まれてから亡くなるまで再生しない非再生系細胞に属しており日々、脳細胞は減少している。萎縮している。大脳皮質の細胞は100歳では約25%減少し、記憶中枢の障害によって起こるアルツハイマー病は、65歳で5~18%、75歳で15~20%、85歳以上では25~50%のヒトが罹ると言われている。これはヒトの自然歴である避けられないことである。さらに種々の脳疾患が加わるので、ヒトは程度の差は別にして「認知症」からは逃げられないのである。

 小生の「もの忘れ」歴である。もともと近視であったため、おじ様族の仲間入りをしたころより新聞を見るとき「めがねを必要としなくなった。それ以来、自宅でも職場でも「めがね探しが日課となった。読み書きをするときは「めがね」を外しその場に置きそのままあちこち動き廻り、さて「めがね」をという時に「めがね探しが始まる。高齢者に属する年になった現在、遠方を見るときは「めがね」を必要としなくなったが、近くを見るときは老眼は必須となる。相変わらず「めがね」を探し回っている。

 「めがね」以外にどうでもい「もの」を意地になって探し廻ることも多くなった。どこに置いたか道筋をたて考え、考えたところにあればホットする。の脳は、まだ大丈夫と萎縮した脳を慰め元気付けている。

 小生は、施設の職員より「もの忘れ健診」だけは絶対に受けないでくださいと言われている。

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コラム「医師として、武士として」          安藤 武士 Andou takeshi

1941年、新潟県生まれ。1967年、新潟大学医学部卒業後、医師登録と同時に外科研修を開始。72年、呼吸器・心臓血管外科を専攻後、80年より、心臓血管外科部長として日本赤十字社医療センターに勤務。2001年より職域診療所所長、2010年より佐野市民病院健康管理センター所長として活躍中。労働衛生コンサルタント・スポーツドクター(日体協)・健康スポーツドクター(日医)・認定産業医(日医)の資格を持ち、これらの5つの顔を絶妙な味で使いわける医学博士である。身体の大きさと、豪快な笑い・笑顔には、その人柄と存在感をより強くアピールする何ものかが潜んでいる。やはり'武士'にして"武士"ここにあり。

Vol.39 これからの健康管理  2010.11.20

もう一つ重要なことがあります。

身体機能・運動機能の低下を防ぐことが必要です。体を動かすことです。歩くことです。その際、重要なことは姿勢です。背筋を伸ばし顎を引き、可能な限り大股で足のキックをきかせ、手を大きく振って歩くことです。また、少なくとも建物の3階まではエレベーターやエスカレーターを使わないことです。この生活を続ければ確実に身体・運動機能は向上します。転倒による骨折が契機で、「寝たきり」状態や「車椅子生活」を余儀なくされることを防ぎます。若々しく活動できます。以上の3点が「これからの健康管理」です。

 プレ70歳が最も「気」にしているのは、「ぼけ」ではないかと思いますので、「ぼけ」の入り口の話をします。「ヒトはどうして死ぬのか 一 死の遺伝子の謎」という田沼靖一氏の著書(2010年7月30日、幻冬舎新書)から得た知識です。無断、借用ですがお許しが得られるものと思っております。

人体は60兆個の細胞からなっていると言われております。細胞の分類には色々な分類法がありますが、「再生系細胞」と「非再生系細胞」という2種類に分類する方法があります。

 「再生系」の細胞は一定の期間が来ますと細胞が自殺し新しい細胞と入れ替わる仕組みになっております。再生系細胞の自殺を「アポトーシス」と言いますが、皮膚は28日周期で新らしい細胞と、胃の内側の細胞は数日、小腸の内側の細胞は3から5ヶ月、肝臓は一年で、それぞれの細胞が少しずつ自殺消滅し新しい元気な細胞と入れ替わります。一日に、200gmのステーキ1枚分の細胞が自殺し新しい細胞と入れ替わると言われております。分裂の回数は決められており、その分裂回数が寿命(とし)を決めていると考えられております。ヒトは120歳と決められております。

もう一方の「非再生系細胞」に属する細胞は「心臓」と「脳」の細胞です。「ぼけ」に関する話ですので、「脳」について申しますと、「脳細胞」は再生しない細胞です。脳細胞は、毎日、10万個程度が自殺(アビオトーシス)しているといわれております。脳全体の細胞は約1000億個ありますが、100歳では4%の脳細胞は死滅します。脳が病気に罹らなくても脳は必ず萎縮します。新しい脳といわれている大脳皮質は約150億の細胞しかありませんが、100歳で約25%の細胞が死滅すると言われております。良く耳にするアルツハイマー病は、記憶の神経細胞の死が促進される病気ですが、65歳で5~8%、75歳で15~20%、85歳以上では25~50%の人が発症するといわれております。即ち、脳は年齢とともに萎縮します。脳が病気に罹りますと一層、脳の萎縮は進みます。当然、脳の働きは、若い頃と異なる状態になります。つまり萎縮した脳で考えますので、萎縮した脳では、自身の考えが若物と違うことに気がつきません。「今の若いものは、・・」、一方、若者は「あのく爺、・・・」ということになります。これも、また遺伝子に組み込まれており、どうしようもないことなので全人が避けられないことです。

 以上が「プレ70歳の集まり」で「これからの健康管理」について述べたことですが、小生も「プレ70歳の集まり」の仲間であることを付け加えます。

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コラム「医師として、武士として」          安藤 武士 Andou takeshi

1941年、新潟県生まれ。1967年、新潟大学医学部卒業後、医師登録と同時に外科研修を開始。72年、呼吸器・心臓血管外科を専攻後、80年より、心臓血管外科部長として日本赤十字社医療センターに勤務。2001年より職域診療所所長、2010年より佐野市民病院健康管理センター所長として活躍中。労働衛生コンサルタント・スポーツドクター(日体協)・健康スポーツドクター(日医)・認定産業医(日医)の資格を持ち、これらの5つの顔を絶妙な味で使いわける医学博士である。身体の大きさと、豪快な笑い・笑顔には、その人柄と存在感をより強くアピールする何ものかが潜んでいる。やはり'武士'にして"武士"ここにあり。

 Vol.38 これからの健康管理  2010.11.18 

先日、「プレ70歳の集まり」という会から、残る人生をどのようにしたら健康に送れるかという主旨で健康に関する話をせよとの依頼があった。内容を記す。

 平成21年の平均寿命は、女性86、44歳、男性79、59歳と言われております。平均寿命は0歳児の平均余命と定義されますが、「余命」はこれからあと何年、生存できるかという意味です。では、70歳の平均余命はどうでしょうか。女性は19.25年、男性1は14.80年となっています。つまり、女性は89.25歳、男性は84.80歳までご活躍できることになっております。あと15年たちますと、今日ご出席の方々も女性だけになってしまいます。ちなみに、日本人の100歳以上の方は4万399人で、女性は3万5147人(87%)、男性5252人(13%)となっており、圧倒的に女性優位になっております。

 平成21年の日本の人口は、1億2751人ですが死亡総数は114万人、3死因はがん35万人(30.5%)、心臓病:心筋梗塞18万人(15.7%)、脳卒中13万人(11.1%)と発表されております。死亡原因を年代別にみますと、55歳から85歳まではがん、心臓病(心筋梗塞)、脳卒中が3大死因で、85歳以上になりますと1位がん、第2位心臓病、第3位が肺炎になっております。肺炎は何かの健康障害の併発症と考えますと、生命・健康を脅かす病気は「遺伝子の障害」により発症する「がん」と「動脈硬化」による「心臓病・脳卒中」に要約されます。

「がん」の発生原因は、食事35%、 たばこ30%、ウイルス14%と言われておりますので、現在のところ有効な予防対策は確立されておりません。従って、「がん」は早期に発見し早期に治療することが最も有効です。

「動脈硬化」は高血圧、高脂血症、糖尿病、高尿酸血症などが原因ですが、ご存知のようにこれらは「生活習慣病」といわれております。生活習慣病は、健康にとって好ましくない食生活・嗜好、運動不足、ストレスに満ちた生活環境などの生活習慣が長年続いたことが原因で起こる病気のことです。従って、「プレ70歳、これからの健康管理」は、死因の60%を占めるこれらの病気に罹らない対策が必要です。

「がん」は早期発見・治療が年齢に係わらず基本となります。死因の27%を占める「生活習慣病」の予防は、生活を是正しなさいということになりますが、「プレ70歳」ともなりますと、もう後戻りできない健康状態で既に治療を受けている方も多いと思います。また、69年間続いてた生活習慣をいまさら正せと言っても無理という方も居られることと思います。

以上を踏まえて、「プレ70歳、これからの健康管理」の結論を申し上げます。1)現在、何らかの病気で治療を受けている方は、かかりつけ医の指示に従ってください。2)年一回は、健康診断を受け健康診断の結果通知で指摘されたことに確実に実行することです。もう一つ重要なことがあります。・・・この後は、2010.11.20に掲載予定です。

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医師の労働時間

医師として、武士として     安藤 武士 Andou takeshi

1941年、新潟県生まれ。1967年、新潟大学医学部卒業後、医師登録と同時に外科研修を開始。72年、呼吸器・心臓血管外科を専攻後、80年よ り、心臓血管外科部長として日本赤十字社医療センターに勤務。2001年より職域診療所所長として活躍中。労働衛生コンサルタント・スポーツドクター(日 体協)・健康スポーツドクター(日医)・認定産業医(日医)の資格を持ち、これらの5つの顔を絶妙な味で使いわける医学博士である。身体の大きさと、豪快 な笑い・笑顔には、その人柄と存在感をより強くアピールする何ものかが潜んでいる。やはり'武士'にして"武士"ここにあり。

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Vol.37 医師の労働時間 2009-7-31

 

 「外科医不足を懸念 NPO発足」のタイトルで始まる新聞記事が目に留まったサブタイトルは「長時間労働、低賃金、訴訟リスク・・・」、表題で容易に内容を推察できる(毎日新聞。’09/7/3)。

 

 記事を進める「深刻さを増す外科系医師の不足を懸念し、対策提言や啓発を行うNPO『日本から外科医がいなくなることを憂い行動する会』が発足した。(略)。医師不足は産婦人科や小児科などで顕著とされるが、日本外科学会の発表では96~04年に、産婦人科1.1%減、小児科6.5%増に対し、外科は2.1%と最も減少幅が大きかった。労働時間の長さや訴訟リスクの高さ、低賃金などが外科医不足の理由として挙げられた。

 同学会の調査でも裏付けられた。外科医の週平均勤務時間は59.5時間。開業医など診療所勤務を除く病院勤務医に限ると68.8時間で、法定労働時間を大きく上廻る。医師1000人当たりの新規医療訴訟数は、05年9.6件と産婦人科(11.5件)に次ぎ多い。給与は、病院勤務医の平均年収が診療所の外科医の半分という「格差」問題がある。(略)。

 (同会役員の一人は)『現在は40代の医師が外科医療を支えているが、このままでは10年後の(外科医療の)崩壊は必至。政府、市民に働きかけ、根本的な解決策を提言したい』と話している。」

 労働時間である。労働時間は労働基準法で「使用者の指揮・監督下にあって、労働を提供している時間(休憩時間、通勤時間は含まない)。」と規定されている。時間も「法」で定められており、第32条第1項では「労働者は休憩時間を除き1週につき40間を超えて労働させてはならない。」、第2項「使用者は1週の各日については、休憩時間を除き1日について8時間を超えて労働させてはならない。」とされている。ご存知のことである。

  時間外労働、所謂残業である。超過勤務ともいう。法定労働時間を超える労働時間と定義されている。労使間で協約(36協定)し労働基準監督署長の許可を受ければ何時間でも残業は可能であるが、現在は1日の労働時間は10時間まで、1週間では52時間、連続労働日数は6日間まで、1週間の法定労働時間を超える週は連続3カ月に3回までと残業は抑制されている。

 

 小生が携わっていた心臓外科医の超過勤務時間である。心臓外科医が属する胸部外科学会の02年度調査では胸部外科医全体で61%が週20時間以上、32%が週30時間以上、6%は週60時間以上の超過勤務をしている。6年未満の若手胸部外科医では

84%が週20時間以上、63%が週30時間以上、20%が週60時間以上の超過勤務を研修という名目で行っている。この社会的にみて異常な勤務を医師は日常的なことであり異常とはそれほど思っていないのである。

 98年8月、大學付属病院の研修医過労死訴訟があった。法廷は「研修」を労働基準法が適応される「労働」と位置づけた。死亡前1カ月間の114時間という超過勤務は一般社会における労働環境としては極めて異常とされた。当時、医師は「研修」が労働基準法が適応される「労働」と位置づけられたことに戸惑ったのも事実である。無論、研修医の労働環境が整備されることは喜ばしいことであり異を唱える積りはないが、「研修」を「労働」として捉えることに釈然としないものがあった。医師は自らの生活を顧ず患者さんの診療に全てを捧げるべきであるとした社会通年から労働環境の整備はほとんど無視されてきたが、医師自身も医療に従事することを労働基準法が適応される「労働」と思う意識は薄いのである。医療を行うことを「労働」と定義されると、「残業代は・・・」、「経営者は・・・」といった雑念が頭を過ぎる。奉仕の心に箍(たが)がはめられ極めて窮屈になる。

 今年の3月、医師国家試験の発表があった。知人のお子さんが合格した。激励のためお会いした。人生、最大の喜びであるという。既に研修病院は決まっているが、将来の専門分野はこれからという。学位は取得する積りは無く、専門医の資格をとるなどキャリアアップを計り有名病院に就職したいと語っていた。

 ほどなく研修医君からメールが届いた。研修は厳しいが楽しい。勤務時間は一定しており、残業は2時間程度。一日がとても早く感ずる。近く「プレゼン」を行うことになった。関係者をあっと言わせたい。フリーの時間を楽しんでいる。給与も満足している。一流企業に入った新人サラリーマンを彷彿させるメールであった。

 研修を終え有名病院に就職し安定した日々を楽しく送ることを人生の最大の目標にすることはすばらしいことである。しかし、それだけでは医師として何か欠けるものがあるのではないかと思っている。いずれにせよ、まもなく新しいタイプの医師が誕生するのである。

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ガリバァ旅行記

医師として、武士として     安藤 武士 Andou takeshi

1941年、新潟県生まれ。1967年、新潟大学医学部卒業後、医師登録と同時に外科研修を開始。72年、呼吸器・心臓血管外科を専攻後、80年よ り、心臓血管外科部長として日本赤十字社医療センターに勤務。2001年より職域診療所所長として活躍中。労働衛生コンサルタント・スポーツドクター(日 体協)・健康スポーツドクター(日医)・認定産業医(日医)の資格を持ち、これらの5つの顔を絶妙な味で使いわける医学博士である。身体の大きさと、豪快 な笑い・笑顔には、その人柄と存在感をより強くアピールする何ものかが潜んでいる。やはり'武士'にして"武士"ここにあり。

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Vol.36 ガリバァ旅行記 2008-8-17

 外は暑い。兎に角、暑い。小生の部屋は冷房が、がんがん効いて寒いくらいである。季節、時節、世の出来事と無関係の空間で、ビールを片手にコラムを書いている。

 「へぇー、そっだったのー、知らなかったわー。」と相手を関心させ鼻をぴくぴくさせることを小生は好む。「知っているよ、知ってたよ、そんなこと。」といわれると自身の無知を恥じ入ることになる。言わなければ良かったと後悔する。博識と無知、自慢と恥は隣り合わせにある。以下は、それに属する話である。

 現在、お隣の国で数万の人がスポーツで優劣を競っている。第29回オリンピック競技大会である。960万km2の国土(世界第4位)に13億1580万人(第1位:‘05年)の人口を擁すると“とてつもなく大きな”国である。“とてつもなく大きな”という表現で、コラムの読者はすぐ思い当たる言葉が浮かぶと思う。

 20数年前の事である。既に故人になっておられるが、小生の恩師が教授職を退官しさる施設の病院長になられた。応接室兼執務室は広く、重厚な本棚に医学書が体裁よく収められていた。書架、洋書、応接セット、執務デスク、全てが調和していた。「絵」でもと思ったがそれなりの「絵」は高価で、ともすると成金趣味と言われ兼ねないので手持ちの書籍で部屋を飾った。恩師から「本」が部屋の装飾になることを教わった。早速、あばら屋の小生宅の一室を本で飾ることにした。

 医学書も文学書も新しいものを揃えるには費用がかかる。神田に古本を求めた。とある古書店に「世界文学全集」全54巻が紐で括られ棚の隅に置かれていた。朱色のハードカバーに金色の文字が刻印されており、それなりの本棚に並べると部屋が”ハエル”と思われた。祖父伝来の書架に「世界文学全集」を並べた。若干、”ハエル”部屋になった。

 読むことなど考えていなかった飾りの「世界文学全集」を書架に納めていた時のことである。”スイフト” という刻印された金の文字が目にはいった。”ガリバァ旅行記”の著者である。ガリバァ旅行記は子供が夢中になる本の一冊で、「ガリバァ」は人名であるばかりでなく、本邦では大きいこと、巨大なことを表す言葉にもなっている。幾つになっても、”ガリバァ”を耳にすると、”巨人”、”巨大”と瞬時に思考が反応する。無論、小生だけではないはずである。旅行記を捲って驚いた。

 1726年、59歳の英国人ジョナサン・スイフトが上梓した”ガリバァ旅行記”は、外科医師レミュエル・ガリバァ氏の四編からなる渡航記である。第一編はリリパット渡航記、第二編プロブディンナグ渡航記、第三編ラピュタ、バルニバービ、グラナダ、グラブダリップ及び日本渡航記、第四編フウイヌム国渡航記となっている。

 第一編は小人の国、第二編は大人(巨人)の国、第三編は、天空の島(浮き島)、日本など5つの国,第四編は言葉を持つフウイヌムという馬が統治する国の渡航記である。子供のころ夢中になったガリバァ旅行記は、第一編の小人の国渡航記である。背丈が15センチほどの小人の国に漂着したためガリバアァ氏は巨人となってしまうのである。本国に戻り、遭遇したことを話しても誰からも信じてもらえなかった。ポケットから小人の国の馬が見つかりガリバァ氏の話が真実でることが認められる。読者をほっとさせる。第二編、第三編はコラムの本題から外れるので略す。

 第四編である。1710年、ガリバァ氏は商船の雇われ船長として航海中、海賊に乗っとられた挙句く、何処か分らぬ島に上陸させられた。その島が言葉を話す生き物フウイヌムが統治する国であった。フウイヌムは馬という意味で、疑いを知らない理想の動物、友情と仁徳を二大美徳としている自然の完成物と記されている。ガリバァ氏はそこで人間に似た野獣のような愚かな生き物に遭う。フウイヌムは、その人間に良く似た野獣のような生き物を”ヤフー”と呼び、頸に紐をつけ召使としている。あるじのフウイヌムに、ガリバァ氏は”ヤフー”であるが理性ある生き物として厚遇される。ところが、”ヤフー”であるガリバァ氏をフウイヌムと同じ扱いをしていると、あるじが非難されていることを知り、ガリバァ氏は永住することにしていたフウイヌム国を去る。第四編でガリバァ旅行記は終わっている。この四編はいずれも人間批判、文明批判の書である。

 インターネットに”ヤフー!”という「検索サイト」があることは広く知られている。”ヤフー”の由来である。辞書には「ヤッホー」、「やったー」、「無骨者」、「田舎者」という意味があると記されている。1994年、「検索サイト」ヤフーの創始者ファイロンとヤンは、自分たちのことを「ならず者」と考えていたのでガリバァ旅行記に登場する野獣”ヤフー”という言葉を選んだと関係書に記されている。

 これで終わりである。「そうだったの!」、 「そんなこと、知っている、知っていたわ~!」 。さて、皆さんはどちらですか。

 

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ねんきん特別便

医師として、武士として     安藤 武士 Andou takeshi

1941年、新潟県生まれ。1967年、新潟大学医学部卒業後、医師登録と同時に外科研修を開始。72年、呼吸器・心臓血管外科を専攻後、80年よ り、心臓血管外科部長として日本赤十字社医療センターに勤務。2001年より職域診療所所長として活躍中。労働衛生コンサルタント・スポーツドクター(日 体協)・健康スポーツドクター(日医)・認定産業医(日医)の資格を持ち、これらの5つの顔を絶妙な味で使いわける医学博士である。身体の大きさと、豪快 な笑い・笑顔には、その人柄と存在感をより強くアピールする何ものかが潜んでいる。やはり'武士'にして"武士"ここにあり。

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Vol.35 ねんきん特別便 2008-7-6

 年金問題で世間が騒がしい。今年5月、社会保険庁より話題の「ねんきん特別便」が郵送されてきた。年金加入歴を各自で確認し誤りがあれば通知せよというものである。適齢の方はご存知のことと思う。

 遡って60歳の定年まえ、社会保険庁より「年金保険加入期間調査依頼書」が来た。年金の仕組みの知識は全く無かったが、年金保険料が給与から”天引き”されていることは知っていたので、勤務歴の照合調査から開始した。当時の医師の勤務形態は複雑である。ともかく、昭和43年5月から55年10月まで出身大学の付属病院に属していたと記憶していたので、大學(付属病院)に勤務歴を問い合わせた。人事台帳の写しが送られてきた。

 昭和43年7月1日臨床研究生、45年4月1日医員(日給1、260円)、46年4月1日副手、同年10月11日医員(日給2、400円)、48年9月1日厚生技官(国立療養所病院)、同年11月16日文部教官教育職(助手)、51年10月1日県・技術吏員(県立がんセンター病院、母子衛生院兼務)、52年10月1日文部教官教育職(助手)、55年9月30日辞職と記載されていた。大學を離れ病院の勤務医になるまでの記録である。全ての期間、大學に在籍していることが確認できた。しかし、その間、いくつかの病院に出張という形で勤務したことも事実である。出張病院に問い合わせた。

 昭和43年11月18日外科医として最初の出張先となったN赤十字病院、次の県立病院、A赤十字病院、市立病院、県立がんセンター病院、厚生連病院、医療法人病院、48年9月11日国家公務員となった国立療養所病院に勤務していたことが確認できた。しかし、県立がんセンター病院以外は、人事台帳に名前がない。年金に加入していないのではないかとう回答であった。どのように「年金保険加入期間調査依頼書」を完成させたらよいかわからなかった。「年金」にそれほど関心がなかったこともあり、”そんなものか”と思い年金保険加入の有無には触れず勤務実績だけを回答した。数年後、僅かであるが年金の支給が開始された。

 「年金」には、年金の受給者が掛け金や保険料を負担しない年金制度(無拠出制年金)と保険の仕組みを取る年金制度(年金保険、拠出制年金)があるという。無拠出制年金制度では、財源は国庫から賄われる。現在の年金制度は被保険者が掛け金や保険料を負担(拠出)し、年金財政はこの収入によって賄われる保険制度をとっている。1961年(昭和36年)4月から国民年金法の適用(保険料の徴収)が開始され国民皆年金制度が確立された。さらに、1985年(昭和60年)の大改正により、基礎年金制度が導入され現在の年金制度の骨格が出来たと関係書に記されている。なお、1942年(昭和17年)、民間労働者の年金である労働者年金保険(2年後、厚生年金保険と改称)が制定され、この年金保険をもって日本の国民皆年金制度が始まったと解説されているが、今日の年金制度との関係について知る由もない。

 本邦の年金制度は3階建てになっている。1、2階部分を公的年金、3階部分を私的年金と呼ぶ。まず、1階部分である。20歳から60歳未満の日本に居住する全ての国民に国民年金への加入を義務付けている。受給資格である保険料(定額)を25年以上支払った人が65歳になったときに国民年金として満額受給できる。受給時には名称が変わり国民年金から「老齢基礎年金」となり、資格を満たしている全ての国民に最低限の保障が行われる仕組みになっている。

 2階部分は厚生年金(受給時の正式名称は「老齢厚生年金」)および共済年金(国家・地方公務員、私立学校教職員)である。保険料は収入の一定の割合で、受給年金額は現役時代の収入に比例し決まる。3階部分は、私的な企業年金である。

 公的年金加入者は、第1号、2号、3号被保険者から構成される。1号は自営業者・無業者・パートなど(構成数:2300万人)、2号は厚生年金・各種共済年金加入者(3800万人)、3号は2号の被扶養配偶者(1100万人)からなる。公的年金加入者数は7200万人となる。 これまでの知識は全てインターネットのウィキペディアから得たものである。

 いずれにせよ本邦の現在の年金制度は、支給される年金の財源は加入者の拠出金(保険料)でから成立している。従って、加入していなければ受給の資格はない。過年と同様、勤務歴、年金加入歴の照合を始めた。5月に送付されてきた「ねんきん特別便」を見て驚いた。大學を離れ勤務医となった12年と2ヶ月の年金加入歴は虫食い状態となっているばかりか、出張で大學に不在の時も大學に勤務し年金に加入していることになっている。

 勤務実態と加入歴が全く合わないのである。誰が作文したのであろうか。照合先のどの病院も極めて親切に対応してくれた。その都度、出張先の病院の思い出に耽りあっという間に時間が過ぎてしまう。

 今日も、「思い出」のどのページが捲られるのか楽しみにしなが「ねんきん問題」に取り組んでいる。

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平均寿命:男の美学

医師として、武士として     安藤 武士 Andou takeshi

1941年、新潟県生まれ。1967年、新潟大学医学部卒業後、医師登録と同時に外科研修を開始。72年、呼吸器・心臓血管外科を専攻後、80年よ り、心臓血管外科部長として日本赤十字社医療センターに勤務。2001年より職域診療所所長として活躍中。労働衛生コンサルタント・スポーツドクター(日 体協)・健康スポーツドクター(日医)・認定産業医(日医)の資格を持ち、これらの5つの顔を絶妙な味で使いわける医学博士である。身体の大きさと、豪快 な笑い・笑顔には、その人柄と存在感をより強くアピールする何ものかが潜んでいる。やはり'武士'にして"武士"ここにあり。

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Vol.34 平均寿命:男の美学 2008-5-20

平均寿命はゼロ歳児の平均余命と定義されている。オギャーと生まれた子がこれからあと何年生きられるかを示す。平均余命は生命表に基づき計算されるが、意味するところは、寿命はある生物が理想の営みをし無傷でいられた場合の生存可能な期間とするなら、余命は何らかの健康障害のため寿命が縮った生存期間を指す。従って、人の余命は生物学的健康だけではなく、その人の生活環境や属している社会環境の総和で決まる。

日本の平均寿命である。平成17年は男78.56歳、女85.52歳と発表されている。アイスランドは男78.90歳、女82.80歳、フランス男76.80歳、女86.80歳で、ご存じのことと思うが男女は日本が一位である。男ではアイスランド、女はフランスが一位である。因みに、人の寿命は120歳前後と推定されている。

昭和40年から平成17年までの主要国の平均寿命の推移をみると、どの国も右肩あがりである。寿命が延びている。喜ばしいことである。医学・医療の向上だけではなく、生存するための環境が良くなったためである。

どの国も女が長寿である。その差はフランス10歳、日本7歳、ドイツ5歳、アイスランド4歳である。男の寿命が短いのは、がん、心臓病、脳卒中など種々の病気に罹り易いためと言われている。しかし、どおして男が病気に罹り易いのか、どおうして短命なのだろうか。未だ、解明されていない。研究されても、しようともされていない。だからといって男は不平はいわない。自己抑制が効いている。歴史的事実に従順である。日本医師会雑誌(*)に本間之夫氏の「男を守れ」という一文がある(*第126巻・第10号、2001)。

・・・。こうしたいくつかの現象は、単に(男女の)ホルモンの違いだけで説明はつかない。”男は男らしく”という社会からの圧力が、男を男にし、その命を縮めているのではないだろうか。男らしいというのは、自己達成的であると同時に自己抑制的である。我慢して何か目標に邁進する姿である。現代日本の多くの男にとっては、それは己を削っても仕事にかけることになろう。仕事には自己達成と家族を養うという2つの意味があるが、リストラで家族を養うことも難しくなれば、自信を大きく損なうことになる。これが自殺に追う込む要因の1つに違いない。また、多少の体の不調は、それを我慢することが男の美学でもある。明らかな症状を伴わない慢性疾患では、やせ我慢も美学になる。(略)。検診の異常やそのたの兆候があっても、・・・といった理由をつけて受診しない。結果が悪いと恐いからというのも、病気が恐いというより、それで男らしさに傷が付くことが怖いのである。

更に著者の本間氏は生物学的には、原基に近いのは女性で、特異な発育をしたのは男である。社会的にみても、男も男らしくなっていくのである。一方、女も自己抑制的に女らしく育てら女にさせられてしまう。かのボーオワール女史は「女は女としてうまれるのでない、女になるのだ」と言う。一方、本間氏は「男は自己抑制的に男らしく育てられ、男になるのだ」と言う。

結局、男も女も自己抑制的に育てられ男は男になり、女は女になるのであるが、男は男らしくあれという抑圧で男にさせられてしまい、そのため健康上は男を不利にしているのではないだろうか。現在、女を守る社会活動があり、医学にも女性を対象とした科があるのに、男には何もないのである。本間氏は、男の健康をよくするには心理的負担を軽くするような社会文化の変化が必要なのだろうか、と結んでいる。

女は自己抑制的に女らしくし育てられてもさほど寿命を縮めないことになる。”なに言ってんのよ”と、甲高い声が聞こえてくる。平均寿命からは社会は女に優しいと断言できる。しかし、小生は”男を守れ”とは叫ばない。

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介護:役割分担

医師として、武士として     安藤 武士 Andou takeshi


1941年、新潟県生まれ。1967年、新潟大学医学部卒業後、医師登録と同時に外科研修を開始。72年、呼吸器・心臓血管外科を専攻後、80年よ り、心臓血管外科部長として日本赤十字社医療センターに勤務。2001年より職域診療所所長として活躍中。労働衛生コンサルタント・スポーツドクター(日 体協)・健康スポーツドクター(日医)・認定産業医(日医)の資格を持ち、これらの5つの顔を絶妙な味で使いわける医学博士である。身体の大きさと、豪快 な笑い・笑顔には、その人柄と存在感をより強くアピールする何ものかが潜んでいる。やはり'武士'にして"武士"ここにあり。 >>>バックナンバー

vol.33    介護:役割分担    2008-4-13

 介護は「医師や看護師以外の者が病人の介抱や看護をすること」と辞書に出ている。人は、素朴な心さえあれば誰もが人を介抱するはずであると、敬愛する故・司馬遼太郎氏が文章に残している。たいていの人は人の不幸をみたとき、「可哀そうじゃないか」という思いが自然におこるという。この衝動を“惻隠の情”と表現している。

 過年(平成9年)、「法」により人を介護する制度がわが国に導入された。介護保険法である。介護を他人に任せる制度である。介護のプロも誕生した。社会福祉士、介護福祉士、ケアマネジャーなどなど。しかし、今なお、介護の苦労話を耳にする。

 近着の産経新聞(2008年4月4日)に、ノンフィクション作家の久田 恵女史が「男女間の暗くて深い川」と題するコラムを寄せている。無断掲載、お許しをいただく。

 ある大手企業の依頼で、「高齢者の介護」について話をするという稀有な体験をしてしまった。

 なんと聞き手は男性のみ。しかもおおむね40代、50代の働き盛り。全員、仕立ての良紺系統のスーツに、豪華な会議室にずらりと並んでいる姿に目をみはった。(略)

 雑然として、ごちゃごちゃとして色とりどりの混沌の日常を生きているものとしては、別世界に紛れ込んだ「不思議の国のアリス」みたい・・・。(略) ともあれ、これまでの自分の人生で踏み入れたことのない場所。(略) もっとも専業主婦率の高かった団塊の世界のおおかたの女性たちも、無縁だった場所である。ここで、「介護」の話とは、なんたる場違いか。(略) これでもかというほど事細かに「介護を抱えた家族の日常」についてくどくどと話をしたのだった。

 話を終えてご質問は?となって、どんなふうに聞いていただけたのかと周囲を見回したら、どことなく困惑した空気が・・・。いつまでもシンとしている。と、勇気ある男性が声をあげた。

 「自分の人生を犠牲にしてまで、親の介護ってしなければならないものですかねえ」 
ええっ! だったら誰がするの? 意表をつかれて、頭の中がまっ白。むろん、最終的には、病院とか介護施設とかで、ということもありますが、そうなるまでの日々、そうするまでのあれこれ、そこにいたるまでの心の葛藤、なんというか、もうてんこ盛りのごとごたの四面楚歌。目下この国の高齢者介護の現実ってそういう事態よ。「自分の人生」って言ってもねえ。家事、育児、介護のあれこれ。誰かのオムツを替える、そうゆうことも含めて、降ってくるものすべてを受け入れて生きるしかないのが「自分の人生」ってことではではないかしら?質問をした彼は家に戻って妻にきちっと言えるだろうか。「キミ、自分の人生を犠牲にしてまで、親の介護をする必要はないんだよ」と。

 やっぱりね。男と女の間には、暗くて深い川がある、そう思った体験だった。

 ライオンの話である。 東アフリカのサバンナに生息するライオンは、群れをなして暮らしている。群れは、1頭のオスと数頭のメス、そしてかれらの子供達。家族で暮らしている。狩はメスの役目。ヌーなど大物はメス全員であたる。仕留めた獲物はまずオスがたべ、ついで子供たち。最後に獲物を仕留めたメス。

 オスは、いつも群れから離れ悠然としている。5感を研ぎ澄まし、外敵から体を張って家族を守る。”なんで俺だけ危いめに遭わなければならいの?”とボヤかない。メスは、”ずるい、自分で獲れば”と、オスを非難しない。そうしている内に子供たちは巣立っていく。大掴みに言えば、これがサバンナのライオンの一生である。数千年は続いていはずである。これからも続くであろう。NHKのTVで知った。

 このコラムは、久田 恵女史の「男女の間の暗く深い川」の話を揶揄しているのではない。介護は”男がやるものではない”と言っているのでもない。人にも、男は”これ”、女は”あれ”と生物学的特性による役割分担があること言いたかったのである。男女の役割は必ずあるのである。小生の揺ぎなのい持論である。しかし、このコラムを家人が見ないことを祈っている。小生の明日を穏やかに過すために。

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優先席

医師として、武士として     安藤 武士 Andou takeshi

1941年、新潟県生まれ。1967年、新潟大学医学部卒業後、医師登録と同時に外科研修を開始。72年、呼吸器・心臓血管外科を専攻後、80年より、心臓血管外科部長として日本赤十字社医療センターに勤務。2001年より職域診療所所長として活躍中。労働衛生コンサルタント・スポーツドクター(日体協)・健康スポーツドクター(日医)・認定産業医(日医)の資格を持ち、これらの5つの顔を絶妙な味で使いわける医学博士である。身体の大きさと、豪快な笑い・笑顔には、その人柄と存在感をより強くアピールする何ものかが潜んでいる。やはり'武士'にして"武士"ここにあり。 >>>バックナンバー

vol.32    優先席    2008-4-2

 大辞林に「優先席」という文言は収載されていない。「優先」は、「他のものより先に扱うこと」、「他にさしおいて行うこと」と解説されている。「席」に冠すると「他のものより先に扱う席」、「他にさしおいて行う席」となる。すっきりしない。しかし、理解はできる。

 乗り物にある「優先席」の話である。「優先席」にも歴史がある。’73年9月15日(敬老の日)、旧国鉄の中央線の快速・特別快速に本邦で始めて設置された。当初は高齢者、身体障害者を対象に設けられた。他の座席と区別するため色を違えた。使用した布の色がシルバーグレイであったため「シルバーシート」と命名された。現在は、濃紺、オレンジ、柄ものなどいろいろである。優先者も高齢者、身体障害者以外に怪我人、妊婦、乳児連など一時的に何らかのハンディキャップを持つ人に優先対象が拡大され、高齢者専用の席を思わせる「シルバーシート」から「優先席」という名称に変更された。窓ガラスに「優先席」、「Courtesy Seat」、「Priority Seat」のステッカーとハンディキャップを持つ人のイラストが張られていることはご存知のことである。携帯電話の電源を切ることも求められている。  

 弱者のため「優先席」を設けることは喜ばしいことである。しかし、弱者を限定した席に押しやることは、弱者に理不尽を強いることでもあり賛意を表さない人もいる。お客様のモラルを ”はな”から否定しており”失礼ではないか!”という人もいる。7、8年前のこと、全車両の座席が「優先席」と同様に扱われるよう乗客にモラルの向上を呼びかけた電車があった。ハンディキャップを持つ乗客を指定した席に追いやる事を避け、本当に必要な人がどこにでも座れるよう、全座席を必要な人のための「優先席」とした。小生も全席優先席と表示された電車を利用する機会があった。いたるところに「優先席」のステッカーが貼ってあり戸惑いを感じた。空席があったが座るのが躊らわれた。無論、反対しているのではない。いっそのことステッカーは無くてもよいのではないか。

 「介助を必要とする乗客は2日前に連絡をして下さい。」いうステッカーを張った電車が、身障者の団体より「差別」であると抗議を受け撤去を余儀なくされたという。要請に応じて要員を確保し最善を尽くそうとした会社のアイデアと思われる。しかし、誰でも利用したいときに利用できる体制が本来の姿である。会社の都合を優先した親切は歓迎されない。  

 地下鉄の「優先席」に座っていた時の話である。電車が止まり、開きかけたドアーに目をやると、初老のご婦人とご婦人の腕にしっかりと支えられた若い女性が目に入った。二人は互いに目を交わし楽しく会話をしていた。幸せの空気に包まれていた。「優先席」に座っていた小生は席を立った。隣の男性も席を立った。笑顔の初老のご婦人の柔和な顔が一瞬にして強張った。眉を顰め、”ありがとうございます”と軽く会釈をし二人は席に座った。暫くして、硬く暗い表情で目を瞑っているご婦人の姿が目には入った。

 若い女性は片手にペットボトル、もう一方の手に携帯電話を握っていた。携帯はぎこちなく揺れていた。独りでは使えるはずもない携帯やペットボトルを持つ姿は、同世代のファッションと変りなかった。若い女性が身体障害者であることが小生にはすぐ分った。女性は初老のご婦人の娘さんと思われた。娘さんは幸せそのものであった。

 二人はいつも寄り添って日々を送っていると思われた。席を譲れられた母親は眉を寄せ目を瞑り凛として座っていた。あす、あさって、そして、娘が独りになるであろう日を見つめているものと思われた。”親切”が幸せを壊してしまった。

 これから娘さんはどうなるのであろう。小生の心は今も重たい。”親切”は難しいことを言いたかった。

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