コラム 須之内 哲也

事故に遭わなければ一時代を築いたに違いない今は亡き、オートレーサー須之内哲也の連載コラム  「須之内 哲也の世界」~もう一度会いたい~

「おれが生きているのは初美のおかげ。ただ、もう一度会いたい」。
その時々の情景を思い浮かべながら、ひたすら心の内を書き綴っていく。事故に遇わなければ・・船橋で注目され一時代を築くとうたわれた元オートレーサー、彼の車名は知る人ぞ知る『ホージョウ』。レースの賞金で自家用車をもらうほどの一流選手で、弟子を十数名も抱え、師匠と呼ばれるほどにのぼりつめていた。しかし、30歳にならない歳で脊髄を砕く大事故に遭い選手生命を閉ざされた。車椅子での生活を余儀なくされ、周囲に当り散らしたこともあった。そんな時、妻の初美さんが見せる悲しそうな顔。「哲っちゃんのニコニコ笑っている顔が一番好き」という初美さんの言葉・・それからの生活はいつも一緒で何をするにもふたりだった。
しかし、初美さんは9年前、彼の手の中で逝った。「哲っちゃん、愛してる」の言葉を遺して・・。


ガンと共に歩んでいた須之内さんは、信頼していた息子と妹さんたちに囲まれて、須之内さんらしく逝きました。最愛の奥様・初美さんのもとへ。

 

「コラムは多くの方たちに読んでもらいたい」そんな言葉を遺して・・コラムはまだ続きます。「家で過ごせてよかったと思うけど、看る方は大変ということもある。それもだけど、きちんと最期を看なくちゃいけないからそれが辛い・・・。」 息子の啓樹さんが発した言葉です。

vol1⇒ こちら

vol.43. 2015-1-1

そのままずっと手を握り締めて夜8時頃まではわかっていたので何時間しゃべり続けるのだろうと、9時頃に初美の手を握りながら皆に電話していた。夜12時ごろだったと思うけれど、このままどうなるのか心配になってWさんに電話して今こうして何時間もしゃべっていて「今まで聞いたことがないような初美の大きな声なんだけれどどうしたらいいでしょうか」と聞いてみた。初美さんが今まで心の中にたまっていたことを全部今はきだしているので話が終ったら静かに逝くと思うので話させて聞いていてあげてと涙声で教えてくれた。

 

私が手を握って子供達にももう片一方の手を握らせながら、「初美がこうしてしゃべり終わったら息を引き取るらしいから三人で看取ってやろう」と初美の両方の手を握りながら初美の話すことを聞いていた。だんだん静かになって眠るようにしていたら、なんか便が出たらしく臭う。少し出ていたので又三人で手分けして下着とパジャマを取り替えた。又手を握っていると又臭うので見ると又少し出てそれの繰り返しでもう何でもいいからビニールのごみ袋に下着もパジャマもすてちゃおうとベランダにだして夜中から朝方まで便が少しづつ9回も取り替えた。紙おむつがいいからと何回目かで紙おむつで身体をタオルで拭くのも三人だけ。男三人でするのはこんなもんかなと話しながら身体だけは綺麗に拭いてあげて少し寝てるようなので安心していたのだが、英先生が山形から電話してきてくれて「今少し寝てるようです」と話して電話を切ったら長男が「ママが大きな息してるよ早くこないと間に合わないよ」と言ったのですぐ手を握って、大きな息をしている初美、「初美もう一回息しろよ」と言ってもう一度息をするのをまっていたけど息はしなかった。すぐ抱きしめて背中が温かいし冷たくなるまで初美を抱いていたかった。

平成11年9月25日9時02分初美が息を引き取った。

|

事故に遭わなければ一時代を築いたに違いない今は亡き、オートレーサー須之内哲也の連載コラム  

Img236_2 vol1⇒ こちら

vol.42. 2013-8-21

924日、次男も一週間ぐらい前から会社を休み取って長男と三人で看病した。看病の手際は素人だから良くないのはわかっていたけれど、夜中だけは子供達に仮眠を取らせて私はほとんど寝ていなかった。皆は私が倒れるのではないかと前から心配していた。私はほとんど寝ていなかったけれど気力だけで絶対倒れないと、初美がいる限り絶対大丈夫だと思っていたし、夜中に初美の顔を見ていればそれだけで疲れが取れるような気持ちだった。お昼頃私の姉が来てくれている時に、初美が昨日までオシッコを漏らさなかったのに寝ている時に姉がパジャマが濡れているのに気が付いて取り替えてくれたりした。急に様態が変わって来ているのがわかり、姉も「今夜泊まろうか」と言ってくれたけど大丈夫だからと断って話していると私のいつも来てくれる友達が来てくれて、初美の好きな花をまた持って来てくれたのでベッドから見えるところに置いた。姉が来てることは初美もわかっていたが友達が来ていることはわからなかったようで、帰った後に花束をみて来た事がわかったらしかった。「うん来てくれていたんだよ」と言って初美の手を握りながら話していたら、初美はだんだん話し出して夕方5時頃から今日の事を話していたのに、以前、小田原城に二人で車椅子を押して上まで行ったことや鎌倉や湯河原、箱根に行った時の話しをしだした。私も「あの時は楽しかったな」というと「うん楽しかったね」とだんだん声が大きくなってきた。

なんか変だなと思いながらも話していると、もう初美の話が止まらなくなって次から次と昔話をして啓樹のこと孝博のことを話し出した。私も「そうだったよな・・そうだよな」とあいづちをしていた。すると、だんだん初美の言葉がわからなくなってきて声は大きくなるし・・でも初美が「哲ちゃん愛している」と言ったので私もわかっているのかと思い「お前が俺を愛しているなんて初めて言ったな」と初美に問いかけたけどもうその返事はなかった。どんどん話をするのだが、もう何を言っているのかわからなくなって聞き取れない。できるだけ何を言っているのか聞いてやろうと思うけどわからなかった。でも啓樹、孝博、哲ちゃん愛しているだけはちゃんとわかるように言ってくれたのかもしれないと思っていた。

|

事故に遭わなければ一時代を築いたに違いない今は亡き、オートレーサー須之内哲也の連載コラム  

vol1⇒ こちら

vol.40. 2013-1-22

9月に入ってから週単位で考えて行きましょうと言われていたので驚きはしなかったけれど、英先生の往診日で午後から来てくれて診察をした。痛みが座薬では取れなくて肩の下から点滴のように注射針で入れることになった。薬局の人も来てくれて先生が入れてくれた。次の日は数字が付いた痛みに応じて調整出来る注射器と交換して私も教えてもらい、先生の携帯電話も教えてもらい、夜中でもいつでもいいから何か合ったら電話して来るようにと言ってくれた。何時でも連絡が取れるようにしてくれたので安心できる。次の往診は29日だったけど初美の状態が良くないので出来るだけ早く来たいが、24日は山形で講演があるので25日にしましょうと言ってくれた時、いよいよかなと思った。先生が帰るとき、玄関で「ご主人チョット」と呼ばれて玄関を出て、廊下で「もうベッドをはずしていいですよ。25日までもつかどうかかもしれない」と話してくれて、私も覚悟は出来ていたし「先生ベッドにこだわりはもうないです。まだベッドに起き上がれるし話も出来るからベッドのほうが初美が楽だろうし、今ベッドをはずして畳に寝かしたらきっと初美が疲れるだろうし、もうベッドにはこだわりません」と先生に話をした。

次の日23日は初美の妹も来たが、前回来た時足首を捻挫して帰れないので長男が車で送って行ったりしていた。また杖をつき足を引きずりながら来てくれて、私が作ったおにぎりを三人で食べた。初美もおにぎりを食べて美味しいかと聞くと「美味しいよ」と言って食べられているし、こんなに元気で冗談も言えるのに25日ぐらいまでしかもたないなんて信じられなかった。「初美一服しようか」と手でタバコを吸う身振りを私がすると苦笑いしながら「うん」と言うのでタバコに2本火をつけて渡すと口に持っていき吹かしたけれど指にはさんだタバコを落としてしまい、指から落としたタバコにも気がつかないようで、あわててタバコを拾って消した。もうタバコも吸えないのに、私には元気なそぶりで冗談を言って笑って見せたりしているので、私も出来るだけ明るくしていたけれど、心の中では・・初美死ぬなよ・・祈っていた。初美の妹には、先生から25日ぐらいだろうと言われている事を話し家族三人だけで見取るからとも言った。妹が来たい気持ちはわかるけど、一人呼べば皆が来るだろうし、大勢で泣きながら初美を送りたくなかった。妹にはわかってもらいたかったから話して、妹も「哲ちゃんの思うようにしてあげてよ」と言ってくれたので、初美のお葬式がすんだら今までのこと、俺のわがままで誰にも口出させず思うようにして来たこと、病院に入院させなかった事全部報告して謝るからそれまで家の家族三人で初美を見るから我慢しててほしいと話しておいた。

|

事故に遭わなければ一時代を築いたに違いない今は亡き、オートレーサー須之内哲也の連載コラム  

vol1 こちら

vol.39. 2012-7-1

自分で出来る事はしたいので教えてほしい。初美が死ぬ時は私が取り乱さない為にも最後はどんなふうになって初美が死ぬのかおしえておいてほしい。その時に自分自身がしっかりする為にもしっておきたかった。私のこだわりがあって、初美の最後は今まで生活してきた初美の部屋に戻して畳の上にふとんを敷いて寝かせて見取ってあげたいと、私のわがままだけどその時がきたら教えてほしいと頼んでみたら英先生は「わがままでもなんでもない。その時はおしえるから」と言ってくれた。いよいよ初美の最後を自分の心の中で準備していた。

々と遣り残すことなくすべてしてあげたい。ママが死んだ時俺はどうなるかわからないし、お前達がそれぞれその時はまず頼れる人に電話をかける事が一番。電話は長男にすべて任せ、次男は神様の部屋中に貼ってある厄除けの紙をはがしてママの身体を拭く。タオルやお湯を用意したりとそれぞれが又新たな役割を決めた。子供達も覚悟は出来ていたので三人でしっかりとママを看取ってやろうと話し合ったり、子供達にも心の準備をさせるつもり・・自分達の考えもあるだろうと聞いて、とにかく最後まで家族三人でしっかりママを看取ってあげよう頑張ろうな」と話し合いを毎晩していた。

もうトイレもいけなくなって無理しないでいいからとベッドの脇にその都度運ぶようにしていた。子供と三人がかりで、抱き起こすのは子供でパンツを下げるのは私と初美が嫌がらない方法でしていたり、私が全部一人で出来ないのがはがゆかったけど、子供達も少しでもしてあげたいと思っている。家族で看病できる事が嬉しかった。看病も楽しいし「このままでもいいからいつまでもこうして続いてママが生きていてほしいな」と話し合っていたけれど確実に初美の身体は弱って来ている。

初美と二人っきりになると、「タバコ吸おうか」と言うと「うん」と言って、本当はもうタバコも吸いたくないのだろうけど私とタバコを吸う時間を惜しむように・・これもきっと想い出になってしまうと思いながら私が火を付けた煙草をふかして又話をしてても私の心配をして「哲ちゃん床ずれは大丈夫か」とか「疲れているから大丈夫か」とか自分のことよりも私の心配ばかりして私が死ぬことが怖いかと聞くと「怖くはないよ。しょうがないよ」と。それより「哲ちゃんは一人になったら実家のほうに行きなよ。妹にみてもらいなよ」。私が心配で仕方ないと言って「俺はもうお前が居なくなったらどこに行っても同じだよ。お前が居なくなったら生きていけないよ」と弱音を吐いたら「ダメだよ。哲ちゃんはちゃんと生きていかなければ」と言われて「大丈夫だよ。一人でやっていくから心配しなくて」と言ったけど私を置いて行くのが心残りで居るのはわかっていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

事故に遭わなければ一時代を築いたに違いない今は亡き、オートレーサー須之内哲也の連載コラム

vol1⇒ こちら Img237_5

vol.38. 2012-3-1

知人にもベッドを入れたほうが楽だからと言われてベッドを借りて入れることになったけど、私にはこだわりがあった。死ぬ時は二人で、ふとんの上で看取ってあげたいと思っていたのでベッドは出来るだけ部屋に入れたくなかった。でも、初美が起きる時も自動で楽だからとベッドを入れることになった。トイレも訪問看護ステーションから借りて部屋においていたけど、トイレは家のトイレに行きたいと、初美は両手を子供に支えられながらやっと歩いて行っていた。今までふとんだったから、夜中に手を伸ばして私の身体を叩いて起こしていた。ベッドを入れて横に私のふとんを敷いて寝てみたけれど、初美が私を起こせなくて・・・夜中の3時頃まではかならず起きて見ているのだけど、朝方は私も眠ってしまい初美は声を出せなくて手が届かなかったと言う。 私が怪我をして入院している時は今とは逆で初美が私の看病をしてくれた。お互いの手首に紐を縛って寝たのを思い出し次の日からは、お互いの手首を縛って寝ようとそうしたのだけれど、今の初美に紐を引っ張る力がなかったらしく、「今夜も起こそうと思ったけど紐を引く力がなかったから我慢していた」という。色々考えて、次男がベッドに鈴をつけてそれなら手をぶつけるだけでいいからと持って来てくれた。ためしたら鈴が鳴ったので良かった。「じゃこれにしょう」と早速鈴をベッドにつけて、「用事がある時はいつでも鳴らすんだよ」と笑いながら取り付けたりしていたのに、私が台所で片付をしたりしていても「哲ちゃん早くこっちに来てなよ」と、私の姿が見えるところにいても呼ぶ。そばにいてほしいのだろう。顔が見えないとすぐ呼んでいた。

毎日横になっている時間が長くなったから、背中が痛いと横向きにさせたり背枕をあてがったり身体をさすって向きを変えたりする。やっぱりベッドのほうが楽で、食事も洗面もベッドの上でするようになって、トイレに行く時は台所の椅子に一回座って休んでからトイレに行くようにもなってきた。私が車椅子なのでどうしても初美を支えてトイレに連れて行くことは出来なかった。長男が仕事が終わると夜中に仮眠をしに帰り家族で役割分担を決めていたので、長男ももうほとんど家にいてくれるようになった。こんなに家族がまとまったのは始めてかもしれない。これで初美がこのままいつまでもこうしていてくれたらと思うばかりだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

事故に遭わなければ一時代を築いたに違いない今は亡き、オートレーサー須之内哲也の連載コラム  

vol1こちら vol.37. 2011-12-10

畳も新しくなった部屋でふとんをひいて初美を寝かせるけど一人で寝かせられなくて一緒に寝るのには私がマットレスがないと床ずれを作ってしまうので、布団やさんに電話でマットレスを注文してすぐ持って来てもらった。今夜からは一緒に寝られるから安心できる六畳の部屋にふとんを二つ敷いて最後はこうして居たいと私は思っていたので夜中でもいつでも何か合ったら起こすんだよと言い、久しぶりに同じ部屋で寝た。

まだ洗面は台所で出来たが、体を拭いたりは日中にふとんの上でするようになって中々布団まで洗面器にお湯を入れてもって行き身体を拭く事が大変で思うように私が出来なかったので二人で笑いながら身体を拭いたりしてて楽しいひと時でもあった。夜も寝るまで子供達と昔の写真を出しては思い出話で初美の説明を聞きながら笑ったり、毎日こうしていつまでも続いててほしいいと思うばかりだった。初美が疲れてても自分からもう寝るよと言わないので私がもう寝ようかと子供達に言ってから初美を長男と次男にトイレまで連れて行ってもらって布団に寝かせるようにした。長男には又明日頼むよと帰して二人になってから初美と私は神棚に手を合わせて今日も一日が過ぎた事を感謝して初美が横になった上から私の手かざしで眠ってしまうまで続けていた。

近所の○さんもほとんど毎日のように来てくれて布団の上で髪の毛を洗ってくれた時はどんなふうに洗うのかもわからなかったけど、洗面器とごみの袋とタオルですごく上手に洗った時は感心してしまいもっと俺にも出来る事があるだろうしもっと初美にしてあげたい気持ちで知人が帰るとき玄関を出てから、思うほど私は動けなくないからもっと私に教えてほしいと」と聞くと「わかりました」と言ってくれた。生意気な事を言ってしまったのかと思っていたけど、その時はもう何でも初美に自分でしてあげたい出来る事はすべて自分の手でしてあげたい気持ちでこだわっていた。モルヒネの座薬を最初の頃入れるときも○さんが来てくれていたときも、時間で○さん入れてくれようとした時初美が「哲ちゃんが入れてよ」と私に言うので、私が何でもしなくてはとその時も思ったからこれからも出来る事は私がしてあげたい気持ちで○さんには生意気な事を言ってしまった。

夜中に起こされる時もあってどうしたと聞くとお腹が痛いという時もあってモルヒネの座薬を入れてまた寝かせることが多くなってきていた。モルヒネの座薬は7月から使うようになっていたけど腰の痛みはシップで我慢出来ていたお腹が痛いのは我慢しなくていいからと時間をみながら座薬を使っていたし先生も痛みを我慢しなくていいと言ってくれていたので先生の指示どおりに私が時間をみながら調整していたけど痛みが取れるとホットして自分の気持ちも楽になっていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

事故に遭わなければ一時代を築いたに違いない今は亡き、オートレーサー須之内哲也の連載コラム  

vol1 こちら

vol.36. 2011-7-26

95日の夜は、明日は朝から初美の部屋の畳を取りに来るので子供達が二人で割れるものをすべて台所やベランダに出して畳をすぐもっていける準備をして私のベッドで一日過ごすようだから大丈夫か心配だと話して毎日が思い出作りだと感じていた。長男は5年ぐらい前から一人で生活をしていたので料理も出来て毎日のお使いと夕食の仕度は長男がしていた。今まで次男と私と初美の3人で生活していたので、初美も長男が毎日居るので家族4人の生活が嬉しかったらしく毎日毎日の4人で食べる夕食が一番楽しみでもあったようだ。ただ長男は自分で内装業をしているので仕事を断って休んで家の家事と私と一緒に初美の看病をしていたが、次男のことは初美が「仕事に行かないとダメだよ」と行かせていた。初美は自分の為に家族皆を犠牲にしたくない考えで、次男には用事が合った時だけ会社を休んであとは仕事に行ってほしいと言っていたので仕事を続けていた。

96

畳屋さんが取りに来るので、今日は早めに洗面と食事を済ませて私のベッドで横になっていると畳屋さんが出来るだけ早く持ってくるからと取りに来てくれた。

午後からは哲ちゃんも疲れちゃうから横になりなよと言うけど初美は一人で居るのが淋しいのか怖いのかだんだん一人で居られなくなってきていた。二人で横になって話すことは私が一人になったらどうすると心配で仕方ないようで「大丈夫だよ一人でやっていけるよと」言うと初美は「哲ちゃんの妹に見てもらえると私も安心なんだけどな」と何回も何回も私が一人になることを心配していた。毎日色んな話をしていたが「今までずっと仕事させて幸せにしてあげられなくてごめんな」と言うと初美は「幸せだったよ」仕事だっていやではなかったし「哲ちゃんの笑顔を見てるだけで幸せだった」もう何も言えなくて「そうか」とだけしか言えなかった。今までずっと俺の面倒を見てくれて自分のことより俺のことを心配でなんでも俺のわがままにさせてくれて俺もそれに甘えてわがままほうだいに生きてきて「ごめんな」と言ったけど「哲ちゃんが幸せなら私だって幸せなんだよ」とも言ってくれて今まで「初美がいてくれたから俺も生きていけたんだよ。お前が居なくなったら生きて行けないよ二人で車に乗って海にでも飛び込んじゃおうか」と話したら初美が「ダメだよそんなこと思っちゃ哲ちゃんは生きていかないと」と言って二人で一日横になって話していた。

もう二人とも初美の死が近いこともわかっていたし、初美も怖くないと言い私ももう怖くなくなっていたし何でも話しておきたかった。黄疸が出てから日一日と初美が悪くなって行くのが早くなってきていたので思い残すことなく話していたかったし、初美も思い出をこれは何処に行った時買った物だとかこれは何処そこに行ったとき買って来た物だとか自分が見える所にある物をすべて私に説明して思い出話をしてくれた。洋服はいくらもないしどれもいい物ではないから喪服は自分の妹に着させてくれとか指輪もないけどどれを誰にあげてくれとかもう死の準備に入っているようで、すべて私に話していた。「お世話になった人には手紙書くのも苦手だから哲ちゃんから皆にお礼を言っておいてね」と話して私は「大丈夫だよ、すべてわかったから後の事は全部お前の言うとおりにするから安心して」と言いながら涙を出したけど初美は泣かなかった。どんな気持ちで自分が死んだあとのことを私に話しているのかと思うとただ私は涙が出るだけだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

事故に遭わなければ一時代を築いたに違いない今は亡き、オートレーサー須之内哲也の連載コラム  

vol.35. 2011-4-28

毎日、毎日、二人で話しているけど初美が自分の部屋の畳を取り替えてと言ったので私は何でと聞くと「自分が死んだら皆な来るから」綺麗にしておこうと畳を取り替える事にこだわっていたから私も初美の思うようにすべてしてあげたいと思い、すぐ畳やさんに電話して六日に来てくれることになった。

もう初美も私も死が近いことをわかっていたので何でも話合おうと二人で居るときは今までの思い出話をしたりこれから私が一人になって心配で仕方ないと話していた。

もう一日一日が悪くなって歩けなくなってきていて洗面も辛くなって、朝起きると私の車椅子に捕まって立ち上がり台所の椅子まで両手を支えて椅子にやっと座る事が出来て、台所のテーブルに洗面器と電動歯ブラシで洗面をして髪は私が梳かして三つ編みに後ろで束ねるのだが私が中々うまく三つ編みで束ねられなくて「もう哲ちゃんは下手だね」なんて初美に言われながら二人で笑いながらの洗面を終えるとこんどは洗面器にお湯を汲んでタオルで身体を拭いて夏だからいいけど寒かったら大変だななんて言いながら今こうして二人で楽しい時間だと思っていたできるだけ家族だけの時を過ごしたかったし、

初美ももう誰とも会わないで家族だけがいいよと言っていたので人が来るのを断ったりもしていた。

vol1こちら

| | コメント (0) | トラックバック (0)

事故に遭わなければ一時代を築いたに違いない今は亡き、オートレーサー須之内哲也の連載コラム 

vol1⇒ こちら

vol.34. 2011-2-22

初美が歩けなくて車椅子で私も車椅子で押す事が出来ないので初美の妹を朝10時までにホテルに迎えにきてくれるように頼んでいたので安心して帰りの仕度しながら待っていると10時前には来てくれた。初美の車椅子を押してもらいながら3人で朝食のバイキングに行くと、初美と私と車椅子2台で席に着くと初美は車椅子から立ち上がり私の料理を歩いて取ってきてくれて自分が歩くのもやっとなのに私に食べさせようと自分で食べさせる物を探して運んできてくれた、今までもそうだが私に食べさせる事は自分でしないと気がすまないのだろうと私は思っていたけどここまで自分が動けないのにしてくれる姿を見て涙が出る思いと初美ありがとうと心の中で思いそして死なないでくれと思っていた。

私は朝はいつも食べないほうなのでそんなに食べたくもなかったが初美が運んできてくれた料理は食べないといけないと思い全部食べて食事が終わると3人でタバコをすいながら笑顔で昨日のことを妹に初美がはなしていた。

ホテルから帰るのに玄関まで私は車を回して初美とKさんを乗せて家に帰ると10分ぐらいで着いてマンションの玄関前で初美とKさんを下ろして車を車庫に入れて部屋に帰ってくると初美はふとんの中にいたけれどマンションの玄関から部屋まで自分で歩けなくなっていたことにショックだったらしく昨日行く時は玄関まで歩けたのに1日で歩けなくなったことでショックだったようで元気もなく悲しそうな眼をして私をじっと見つめていた

私もなにも言えずにただ二人で黙っていた。

91

今日は寒川神社に私が一人でお参りに行く日で初美が一人にならないように長男と初美の妹が来てくれているので、初美に行って来るよと言うと「一時間ぐらいで帰ってこられる」と私に聞くのでいつも二人で行って早くても三時間はかかっているのを一時間では帰ってこられないよと言うと、出来るだけ早く帰って来てよと言って私が居ないと初美は不安な気持ちなのだろうとわかっていた。私も出来るだけ早く帰って来るからと長男と初美の妹に頼んであせる気持ちを押さえながら出かけた。東名高速を走っていても初美のことが気がかりだったが神様にお願いするよりもう仕方ない気持ちで、いつも初美とお払いを受けてる時は神社の太鼓の音が鳴るたびに初美のガンが消えていきますようにと心の中でお願いしていた。家に帰って来ると初美も安心したようだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

事故に遭わなければ一時代を築いたに違いない今は亡き、オートレーサー須之内哲也の連載コラム  

vol1⇒  http://www.e-nurse.ne.jp/column/sunouchi1.html

vol.33. 2011-1-12

ホテルに着くと私の兄が初美の車椅子を押してくれ今までの恩返しのように初美の車椅子をおしながら話しかけてホテルの商店街まで見せてやったりして私も初美の後からついて行き夫婦二人が車椅子に乗ってみんなに支えられてこうしていることが嬉しくて、初美も私も車椅子でもいいこのままでもいいからいつまでも生きていてほしいと心の中で祈っていた。どんな姿でもいい初美がそばにいてさえくれればいいと思っていた。

ホテルの部屋に入って子供達が来るのを待っている時も皆がいてくれるので、初美は元気なようにふるまって写真を撮ったりいろんな話をして明るくしていた。子供達が来るとまた記念写真のように皆なで写真を取りそれから初美の好きな中華料理に行って、初美の最後の晩餐のような気持ちになって初美も最後までみんなに気を使い自分で料理の注文をしたり家ではもうそんなに食べられないのにいつもの3倍も皆と一緒に食べられて大丈夫かと私も聞くぐらい食べられてすごく嬉しそうな顔で喜んでいた。こんなに皆で食事を楽しく食べられて初美は心の中でみんなに今までありがとうと言っているような顔をしているのが私にはわかった。会計も自分で払うつもりだったが子供達2人が今夜はいいよと自分達で会計も済ませて少しでも初美を喜ばせようと思っていたようだ。ホテルの部屋に戻り、親兄弟は少しいて帰る時間なので駅に向かったが品川駅のホームからホテルの部屋も初美や私達が見えて携帯で電話してきて手を振って帰って行った。子供達もしばらくいていろんな昔話やこれからのことを話したり、家族4人でホテルで過ごす時間は何十年ぶりだったか子供が小学校のころは家族4人での旅行はしてたけど大きくなっていかなくなり、久しぶりの時間をもてて初美も嬉しかったと子供が帰ってから言っていた。

子供達も帰って初美がシャワーを浴びて、今夜は疲れただろうから早くベッドに入ったほうがいいと横にさせて少し話をしていたのだけど、いつの間にか私は寝てしまいトイレのドアの音で目を覚ますと初美がトイレに行って出てきた所で起こしてくれればよかったのにと言ったけど哲ちゃんがよく寝てたから起こさなかったと。それから又二人で東京の夜景を見ながら話をしてずっとこのままでいたいなと話したり今夜は楽しかったと言っていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)