コラム 須之内 哲也

事故に遭わなければ一時代を築いたに違いない今は亡き、オートレーサー須之内哲也の連載コラム  

vol1⇒  http://www.e-nurse.ne.jp/column/sunouchi1.html

vol.36. 2011-7-26

95日の夜は、明日は朝から初美の部屋の畳を取りに来るので子供達が二人で割れるものをすべて台所やベランダに出して畳をすぐもっていける準備をして私のベッドで一日過ごすようだから大丈夫か心配だと話して毎日が思い出作りだと感じていた。長男は5年ぐらい前から一人で生活をしていたので料理も出来て毎日のお使いと夕食の仕度は長男がしていた。今まで次男と私と初美の3人で生活していたので、初美も長男が毎日居るので家族4人の生活が嬉しかったらしく毎日毎日の4人で食べる夕食が一番楽しみでもあったようだ。ただ長男は自分で内装業をしているので仕事を断って休んで家の家事と私と一緒に初美の看病をしていたが、次男のことは初美が「仕事に行かないとダメだよ」と行かせていた。初美は自分の為に家族皆を犠牲にしたくない考えで、次男には用事が合った時だけ会社を休んであとは仕事に行ってほしいと言っていたので仕事を続けていた。

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畳屋さんが取りに来るので、今日は早めに洗面と食事を済ませて私のベッドで横になっていると畳屋さんが出来るだけ早く持ってくるからと取りに来てくれた。

午後からは哲ちゃんも疲れちゃうから横になりなよと言うけど初美は一人で居るのが淋しいのか怖いのかだんだん一人で居られなくなってきていた。二人で横になって話すことは私が一人になったらどうすると心配で仕方ないようで「大丈夫だよ一人でやっていけるよと」言うと初美は「哲ちゃんの妹に見てもらえると私も安心なんだけどな」と何回も何回も私が一人になることを心配していた。毎日色んな話をしていたが「今までずっと仕事させて幸せにしてあげられなくてごめんな」と言うと初美は「幸せだったよ」仕事だっていやではなかったし「哲ちゃんの笑顔を見てるだけで幸せだった」もう何も言えなくて「そうか」とだけしか言えなかった。今までずっと俺の面倒を見てくれて自分のことより俺のことを心配でなんでも俺のわがままにさせてくれて俺もそれに甘えてわがままほうだいに生きてきて「ごめんな」と言ったけど「哲ちゃんが幸せなら私だって幸せなんだよ」とも言ってくれて今まで「初美がいてくれたから俺も生きていけたんだよ。お前が居なくなったら生きて行けないよ二人で車に乗って海にでも飛び込んじゃおうか」と話したら初美が「ダメだよそんなこと思っちゃ哲ちゃんは生きていかないと」と言って二人で一日横になって話していた。

もう二人とも初美の死が近いこともわかっていたし、初美も怖くないと言い私ももう怖くなくなっていたし何でも話しておきたかった。黄疸が出てから日一日と初美が悪くなって行くのが早くなってきていたので思い残すことなく話していたかったし、初美も思い出をこれは何処に行った時買った物だとかこれは何処そこに行ったとき買って来た物だとか自分が見える所にある物をすべて私に説明して思い出話をしてくれた。洋服はいくらもないしどれもいい物ではないから喪服は自分の妹に着させてくれとか指輪もないけどどれを誰にあげてくれとかもう死の準備に入っているようで、すべて私に話していた。「お世話になった人には手紙書くのも苦手だから哲ちゃんから皆にお礼を言っておいてね」と話して私は「大丈夫だよ、すべてわかったから後の事は全部お前の言うとおりにするから安心して」と言いながら涙を出したけど初美は泣かなかった。どんな気持ちで自分が死んだあとのことを私に話しているのかと思うとただ私は涙が出るだけだった。

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vol.36. 2011-7-26

95日の夜は、明日は朝から初美の部屋の畳を取りに来るので子供達が二人で割れるものをすべて台所やベランダに出して畳をすぐもっていける準備をして私のベッドで一日過ごすようだから大丈夫か心配だと話して毎日が思い出作りだと感じていた。長男は5年ぐらい前から一人で生活をしていたので料理も出来て毎日のお使いと夕食の仕度は長男がしていた。今まで次男と私と初美の3人で生活していたので、初美も長男が毎日居るので家族4人の生活が嬉しかったらしく毎日毎日の4人で食べる夕食が一番楽しみでもあったようだ。ただ長男は自分で内装業をしているので仕事を断って休んで家の家事と私と一緒に初美の看病をしていたが、次男のことは初美が「仕事に行かないとダメだよ」と行かせていた。初美は自分の為に家族皆を犠牲にしたくない考えで、次男には用事が合った時だけ会社を休んであとは仕事に行ってほしいと言っていたので仕事を続けていた。

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畳屋さんが取りに来るので、今日は早めに洗面と食事を済ませて私のベッドで横になっていると畳屋さんが出来るだけ早く持ってくるからと取りに来てくれた。

午後からは哲ちゃんも疲れちゃうから横になりなよと言うけど初美は一人で居るのが淋しいのか怖いのかだんだん一人で居られなくなってきていた。二人で横になって話すことは私が一人になったらどうすると心配で仕方ないようで「大丈夫だよ一人でやっていけるよと」言うと初美は「哲ちゃんの妹に見てもらえると私も安心なんだけどな」と何回も何回も私が一人になることを心配していた。毎日色んな話をしていたが「今までずっと仕事させて幸せにしてあげられなくてごめんな」と言うと初美は「幸せだったよ」仕事だっていやではなかったし「哲ちゃんの笑顔を見てるだけで幸せだった」もう何も言えなくて「そうか」とだけしか言えなかった。今までずっと俺の面倒を見てくれて自分のことより俺のことを心配でなんでも俺のわがままにさせてくれて俺もそれに甘えてわがままほうだいに生きてきて「ごめんな」と言ったけど「哲ちゃんが幸せなら私だって幸せなんだよ」とも言ってくれて今まで「初美がいてくれたから俺も生きていけたんだよ。お前が居なくなったら生きて行けないよ二人で車に乗って海にでも飛び込んじゃおうか」と話したら初美が「ダメだよそんなこと思っちゃ哲ちゃんは生きていかないと」と言って二人で一日横になって話していた。

もう二人とも初美の死が近いこともわかっていたし、初美も怖くないと言い私ももう怖くなくなっていたし何でも話しておきたかった。黄疸が出てから日一日と初美が悪くなって行くのが早くなってきていたので思い残すことなく話していたかったし、初美も思い出をこれは何処に行った時買った物だとかこれは何処そこに行ったとき買って来た物だとか自分が見える所にある物をすべて私に説明して思い出話をしてくれた。洋服はいくらもないしどれもいい物ではないから喪服は自分の妹に着させてくれとか指輪もないけどどれを誰にあげてくれとかもう死の準備に入っているようで、すべて私に話していた。「お世話になった人には手紙書くのも苦手だから哲ちゃんから皆にお礼を言っておいてね」と話して私は「大丈夫だよ、すべてわかったから後の事は全部お前の言うとおりにするから安心して」と言いながら涙を出したけど初美は泣かなかった。どんな気持ちで自分が死んだあとのことを私に話しているのかと思うとただ私は涙が出るだけだった。

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vol.35. 2011-4-28

毎日、毎日、二人で話しているけど初美が自分の部屋の畳を取り替えてと言ったので私は何でと聞くと「自分が死んだら皆な来るから」綺麗にしておこうと畳を取り替える事にこだわっていたから私も初美の思うようにすべてしてあげたいと思い、すぐ畳やさんに電話して六日に来てくれることになった。

もう初美も私も死が近いことをわかっていたので何でも話合おうと二人で居るときは今までの思い出話をしたりこれから私が一人になって心配で仕方ないと話していた。

もう一日一日が悪くなって歩けなくなってきていて洗面も辛くなって、朝起きると私の車椅子に捕まって立ち上がり台所の椅子まで両手を支えて椅子にやっと座る事が出来て、台所のテーブルに洗面器と電動歯ブラシで洗面をして髪は私が梳かして三つ編みに後ろで束ねるのだが私が中々うまく三つ編みで束ねられなくて「もう哲ちゃんは下手だね」なんて初美に言われながら二人で笑いながらの洗面を終えるとこんどは洗面器にお湯を汲んでタオルで身体を拭いて夏だからいいけど寒かったら大変だななんて言いながら今こうして二人で楽しい時間だと思っていたできるだけ家族だけの時を過ごしたかったし、

初美ももう誰とも会わないで家族だけがいいよと言っていたので人が来るのを断ったりもしていた。

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vol.34. 2011-2-22

初美が歩けなくて車椅子で私も車椅子で押す事が出来ないので初美の妹を朝10時までにホテルに迎えにきてくれるように頼んでいたので安心して帰りの仕度しながら待っていると10時前には来てくれた。初美の車椅子を押してもらいながら3人で朝食のバイキングに行くと、初美と私と車椅子2台で席に着くと初美は車椅子から立ち上がり私の料理を歩いて取ってきてくれて自分が歩くのもやっとなのに私に食べさせようと自分で食べさせる物を探して運んできてくれた、今までもそうだが私に食べさせる事は自分でしないと気がすまないのだろうと私は思っていたけどここまで自分が動けないのにしてくれる姿を見て涙が出る思いと初美ありがとうと心の中で思いそして死なないでくれと思っていた。

私は朝はいつも食べないほうなのでそんなに食べたくもなかったが初美が運んできてくれた料理は食べないといけないと思い全部食べて食事が終わると3人でタバコをすいながら笑顔で昨日のことを妹に初美がはなしていた。

ホテルから帰るのに玄関まで私は車を回して初美とKさんを乗せて家に帰ると10分ぐらいで着いてマンションの玄関前で初美とKさんを下ろして車を車庫に入れて部屋に帰ってくると初美はふとんの中にいたけれどマンションの玄関から部屋まで自分で歩けなくなっていたことにショックだったらしく昨日行く時は玄関まで歩けたのに1日で歩けなくなったことでショックだったようで元気もなく悲しそうな眼をして私をじっと見つめていた

私もなにも言えずにただ二人で黙っていた。

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今日は寒川神社に私が一人でお参りに行く日で初美が一人にならないように長男と初美の妹が来てくれているので、初美に行って来るよと言うと「一時間ぐらいで帰ってこられる」と私に聞くのでいつも二人で行って早くても三時間はかかっているのを一時間では帰ってこられないよと言うと、出来るだけ早く帰って来てよと言って私が居ないと初美は不安な気持ちなのだろうとわかっていた。私も出来るだけ早く帰って来るからと長男と初美の妹に頼んであせる気持ちを押さえながら出かけた。東名高速を走っていても初美のことが気がかりだったが神様にお願いするよりもう仕方ない気持ちで、いつも初美とお払いを受けてる時は神社の太鼓の音が鳴るたびに初美のガンが消えていきますようにと心の中でお願いしていた。家に帰って来ると初美も安心したようだった。

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vol.33. 2011-1-12

ホテルに着くと私の兄が初美の車椅子を押してくれ今までの恩返しのように初美の車椅子をおしながら話しかけてホテルの商店街まで見せてやったりして私も初美の後からついて行き夫婦二人が車椅子に乗ってみんなに支えられてこうしていることが嬉しくて、初美も私も車椅子でもいいこのままでもいいからいつまでも生きていてほしいと心の中で祈っていた。どんな姿でもいい初美がそばにいてさえくれればいいと思っていた。

ホテルの部屋に入って子供達が来るのを待っている時も皆がいてくれるので、初美は元気なようにふるまって写真を撮ったりいろんな話をして明るくしていた。子供達が来るとまた記念写真のように皆なで写真を取りそれから初美の好きな中華料理に行って、初美の最後の晩餐のような気持ちになって初美も最後までみんなに気を使い自分で料理の注文をしたり家ではもうそんなに食べられないのにいつもの3倍も皆と一緒に食べられて大丈夫かと私も聞くぐらい食べられてすごく嬉しそうな顔で喜んでいた。こんなに皆で食事を楽しく食べられて初美は心の中でみんなに今までありがとうと言っているような顔をしているのが私にはわかった。会計も自分で払うつもりだったが子供達2人が今夜はいいよと自分達で会計も済ませて少しでも初美を喜ばせようと思っていたようだ。ホテルの部屋に戻り、親兄弟は少しいて帰る時間なので駅に向かったが品川駅のホームからホテルの部屋も初美や私達が見えて携帯で電話してきて手を振って帰って行った。子供達もしばらくいていろんな昔話やこれからのことを話したり、家族4人でホテルで過ごす時間は何十年ぶりだったか子供が小学校のころは家族4人での旅行はしてたけど大きくなっていかなくなり、久しぶりの時間をもてて初美も嬉しかったと子供が帰ってから言っていた。

子供達も帰って初美がシャワーを浴びて、今夜は疲れただろうから早くベッドに入ったほうがいいと横にさせて少し話をしていたのだけど、いつの間にか私は寝てしまいトイレのドアの音で目を覚ますと初美がトイレに行って出てきた所で起こしてくれればよかったのにと言ったけど哲ちゃんがよく寝てたから起こさなかったと。それから又二人で東京の夜景を見ながら話をしてずっとこのままでいたいなと話したり今夜は楽しかったと言っていた。

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今は亡き、レーサー須之内哲也のコラム

事故に遭わなければ一時代を築いたに違いない元・オートレーサーによるコラム

vol.31. 2010-11-12 もう怖くなんかない

家に帰る車の中で、初美が「少し車止めて」と、前に止めた時と同じ場所だった。初美は、何も言わなかったけれど、淋しそうな顔をしていた。子供達も黙っていたけれど、全て分かっている。私は、出来るだけ冷静になって、家族を引っ張っていかなければ、と考えていた。

家に戻り、次男には、「今までどおり仕事に行って、いつでも休みを取れるように」と話し、長男は、もう仕事を止めていたので、「家に居てくれ」と話した。初美は、元々、何事にもくよくよしない性格なので、疲れているようだったが落ち着いていた。子供達も気を利かしたのか、私達二人にしてくれた。

もう毎日の様に二人でこんな日が来る事を話あっていたので、私は、もう怖くは無くなっていた。夕食も長男が作った食事で、4人でテーブルに座って食事は出来たが、それぞれが食欲は無かった。寝る前に、毎晩している、手かざしをしていると、初美が「子供達ともっと話したかったけど、今夜は苦しくて話が出来なかった」と私に言っていた。「無理しなくていいよ、苦しい時は苦しいと言っていいよ」と私も言った。でも、寝る前は私と、話も出来たし、大分落ち着いていた。

初美は、話をしながら眠ってしまい、自分の部屋まで歩けるか心配だったが「初美、終ったよ」と言うと、「うん」と言いながら、私の首に腕を回して、私が初美を抱きかかえる様に起こすと、「大丈夫だよ、一人で行けるよ」と自分の部屋まで歩いて行けた。初美が寝た後も私は、必ず、初美の顔を見に何回も部屋に入っていた。ぐっすり眠っている初美の顔を見て、安心するのと、心配と淋しさで何とも言えない気持ちでいた。

825日は訪問看護師さんが、朝から来て、「昨日先生と話しあって、突発的な事があったら入院するけれど、往診してくれる先生を頼んだ」と言ってくれた。27日に家に来てくれる事になって、往診してくれる先生を探してくれてきてくれる事になってほっとした気持ちだった。帰る時、何時もの様に玄関まで送って行くと「一週間単位で考えましょう」と看護師さんが言っていた。「はい」と答えたけれど、私も落ち着いて要られた。

午後になって、初美の部屋で足を揉んでいると、「足がむくんでいるよね。看護師さんに来てもらいたい。」と初美が言うので、電話で報告して又、来てもらった。看護師さんが見ても「足のむくみは大丈夫だから」と言った。初美が気になっているので少しでも変わったら心配な気持ちだと分かっていた。看護師さんも私も、初美の気が済む様にと思っていた。

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今は亡き、レーサー須之内哲也のコラム

vol.30. 2010-9-28 肝臓に転移して、広がっている

ある日、私が一人で用事から帰って来た時、初美と玄関前の道路でばったり会った。向こうから歩いてきた初美と一緒に家に入ると、「あたし達は、骸骨とお化けだね」なんて笑いながら言った。「何で」と聞くと「あたしは髪の毛が縛っただけで、哲ちゃんは痩せ細っていて」と、二人で笑ってしまった。

たまに二人で、お昼を食べに出かけていたけれど、長男が居るので、「三人でお昼食べに行こうか」と初美が言い食べに行った。中々決まらず、結局、日本そば屋に入った。

初美は「いつも家で御そばなのに、外でも御そば」と言っていたけれど、嬉しそうだった。外に行っている時は、元気なのだが、家に帰って来ると疲れるのか、元気がなくなってしまう様になって来ていた。

821日、今日は朝から気分が良く、パンと桃を食べ、元気が出た。少し昼寝をして、起きたら「グラタン食べたいから、食べに行こうか」と二人で食べに行った。帰ってきたら、疲れたのかすぐ寝てしまう。何か食べたいよりも外出したい気持ちなのだろうと、私は思っていた。

夕方、お風呂に入っても、「お腹が痛い」と「座薬を入れても、シクシク気分が良くないよ」と夜になって、「なんか、尿の色が濃くなっているんだ」と言っていたが、私は、足のむくみばっかり、気にしていたので「大丈夫だよ」と言っていた。

22日の夕食中、長男が、「目が黄色いよ」と言うので、初美はビックリして、すぐ洗面台の鏡へ見に行った。目の白い部分が、少し黄色ににごっていた。顔や手は、そんなに黄疸が出ている、と思わなかったが。次の日、訪問看護師さんから電話で、目が少し黄色い事を話すと、すぐ来てくれた。その場で、先生に連絡を取ってくれて、24日午後、病院で検査をする事になった。

824日、心配で次男も仕事を休み、家族四人で病院に行った。もう、昨日とは違い、顔も体も黄色になっていた。先生の診察室に入ると、「これからエコー検査するから」と先生が初美を車椅子に座らせて、先生自ら車椅子を押して、エコー室まで連れて行ってくれた。私の心はドキドキだったけど、先生が初美の車椅子を押してくれている、優しさを感じながら、後ろから着いて行った。

検査室で、初美がベッドに横になり、ベッドを囲むように、私達家族も見ていた。画面を見ても、素人の私には、分からないが、検査している人と先生の顔が気になっていた。

検査が終って、先生が初美の車椅子を押して、診察室まで戻って来た。

そして、家族四人に、「肝臓に転移して、広がっている」と、そして「残念ですが」と説明を受けた。

私は、どうする事も出来ない状態なのだ、と実感した。初美も、もう何も聞かなかった。自分で自分の身体を分かっている様だった。子供達も、ただ黙っていた。

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今は亡き、レーサー須之内哲也のコラム

vol.29. 2010-5-10 今日は久々にすっきりしている。

初美の体調が良くなく、熱は無かったが、氷枕をすると気分がいいと、氷枕で冷やしていた。私の気持ちは、神頼みで、近くにある、大鳥神社に行って、お参りをして、お札をもらって来た。 次の日、朝起きると、初美が「今日は久々にすっきりしている。身体も軽く、何でも無いんだよね」と私に言った。お昼には、おにぎりを作ってくれて、二人で食べた。神様に、奇跡を起こしてくれ、と心の中で思っていた。

次の日、朝起きると、やっぱり良くなくて、元気が無くなった。 長男が作った夕食を、次男の帰りを待って、家族四人で夕食を取る事で初美の心が少しでも癒されればと思っていた。 初美は食欲もなくなっていたが、子供達も出来るだけ栄養のある物を買ってきて食べさせていた。初美もわかっていて、「毎日こんなに高いの買っていたら、お金がいくらあっても足りないよ」なんて、言っていた。「大丈夫だよ心配しなくても」と笑いながら夕食をしていた。食事の後片付けも、子供達の役割も決まっていたので、初美と私は、テレビを付けて、話をしながら片付が終るのを待っていた。片付けと掃除が終ると、子供達は初美の部屋に来て話をする。初美を子供達に任せて、私は自分のベッドで休むようにした。 家族で食事をして話をして初美に淋しい思いをさせない様にと必ず誰かが側に付いて居る様していた。しばらく子供達と話をして、初美が私のベッドで手かざしをする時に、長男は帰り、次男がお風呂に入る。毎晩続いている私の手かざしで、初美が寝るまで、心と身体を楽にしなければとの思いで毎晩していた。

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今日は初美の誕生日

● 須之内 哲也 sunouchi tetsuya         

事故に遭わなければ一時代を築いたに違いない元・オートレーサーによるコラム

「須之内 哲也の世界」~もう一度会いたい~

「おれが生きているのは初美のおかげ。ただ、もう一度会いたい」。
その時々の情景を思い浮かべながら、ひたすら心の内を書き綴っていく。

事故に遇わなければ・・船橋で注目され一時代を築くとうたわれた元オートレーサー、
彼の車名は知る人ぞ知る『ホージョウ』。
レースの賞金で自家用車をもらうほどの一流選手で、弟子を十数名も抱え、師匠と呼ばれるほどにのぼりつめていた。
しかし、30歳にならない歳で脊髄を砕く大事故に遭い選手生命を閉ざされた。
車椅子での生活を余儀なくされ、周囲に当り散らしたこともあった。そんな時、妻の初美さんが見せる悲しそうな顔。
「哲っちゃんのニコニコ笑っている顔が一番好き」という初美さんの言葉・・
それからの生活はいつも一緒で何をするにもふたりだった。
しかし、初美さんは9年前、彼の手の中で逝った。「哲っちゃん、愛してる」の言葉を遺して・・。

⇒バックナンバー(vol11以降)

⇒バックナンバー(vol10まで)

 

vol.28. 2010--22 今日は初美の誕生日

 

721日 今日は初美の誕生日。昨年は病院での、誕生日だったけれど、今年は家族で、食事に行こうと決めていた。子供達が仕事から帰って来てから、行く事になっていた。初美も楽しみだと言っていたのに、夕方から大雨になってしまった。子供達も「大雨だけど、どうする。こんなに雨が降っていて、大丈夫かな」と心配で電話してきた。初美と相談して、今日は中止にしよう、と決めた。子供達にも、中止の電話を入れた。家に居ると、次男が、大きな花束を抱えて帰ってきた。「食事行けなかったから、プレゼントだよ」と初美に渡した。初美が、「こんなに一杯買ってきたの」とビックリしていた。次の日の22日が、次男の誕生日なので、二人まとめて、明日する事、になった。22日は家で、何もないけれど、家族そろっての、夕飯となった。

だんだん、初美が、痛い所が多くなって、「痛い」と言うことが、多くなって来ていた。

食欲もあんまり無く、出来るだけ少なくて、栄養がいい物、と子供達が、色々と買って来た。初美に、これがいい、あれがいい、と食べさせていた。もう、長男が来て、夕食の支度をするようになっていた。

体調が、悪くなって来て、初美は、あまり人にも会いたがら無くなっていた。私も誰か来ると、初美の性格で、無理をするのが分かっていたので、家に来る事を控えてほしい、と皆に言った。皆はどう思うか、分からないけれど、家族で出来る限りの事をしようとしてきていたので、これからも自分達の考えで、初美を看ていきたい、と思っていた。

毎日、昼間は暑いし、体調も良くなかったけれど、夕方になると、温泉の湯の花を入れたお風呂に入り、出てくると、ベランダで深呼吸をする。楽しみはお風呂で、一番気分の良い時だった。

アガリクス、漢方薬も、毎日煎じて飲み続けていたけれど、だんだん飲むのも大変になってきていた。薬、座薬、アガリクス、漢方薬とたくさんあって、初美は「今度は、何時に何を飲むの」痛くなると「シップ張って」と二人で過ごして居る時間を大切にしていた。

86日 私のお袋と三人で、寒川神社にお参りに行った。帰り道、サービスエリアに寄り、私がトイレに行って戻ると、初美が居ない。お袋に「初美は何処に行ったの」と聞くと、「初美さんがラーメンを食べたいと一人で行った」と言うので、すぐ行ってみた。一人で初美は、ラーメンを食べていた。「大丈夫か」と聞くと「なんだかラーメンが食べたくなった」と笑いながら言った。いつもの初美だと思いながらも、私は心配だった。

いつもは、寒川神社で、お払いをしてお参りを済ませると、すぐ近くの、ドライブスルーのハンバーガーを買って、二人でピクニックに来た様だな、と食べていた。

初美がこんな性格だから、笑える事も多く、案外楽しい事もあるし、初美が落ち込んでいないだけ良いか、と思っていた。

 

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2009年の記事をまとめました

● 須之内 哲也 sunouchi tetsuya         

事故に遭わなければ一時代を築いたに違いない元・オートレーサーによるコラム

「須之内 哲也の世界」~もう一度会いたい~

「おれが生きているのは初美のおかげ。ただ、もう一度会いたい」。
その時々の情景を思い浮かべながら、ひたすら心の内を書き綴っていく。

事故に遇わなければ・・船橋で注目され一時代を築くとうたわれた元オートレーサー、
彼の車名は知る人ぞ知る『ホージョウ』。
レースの賞金で自家用車をもらうほどの一流選手で、弟子を十数名も抱え、師匠と呼ばれるほどにのぼりつめていた。
しかし、30歳にならない歳で脊髄を砕く大事故に遭い選手生命を閉ざされた。
車椅子での生活を余儀なくされ、周囲に当り散らしたこともあった。そんな時、妻の初美さんが見せる悲しそうな顔。
「哲っちゃんのニコニコ笑っている顔が一番好き」という初美さんの言葉・・
それからの生活はいつも一緒で何をするにもふたりだった。
しかし、初美さんは9年前、彼の手の中で逝った。「哲っちゃん、愛してる」の言葉を遺して・・。

vol.27. 2009-10-24 腎臓まで、ガンが回っていたんだね

vol.26. 2009-9-11 訪問看護が始まった

vol.25. 2009-7-10 初美は絶対俺が看る

vol.24. 2009-6-6薬も飲みたくない、飲ませたくない

vol.23. 2009-4-19 入院を断ったものの・・

vol.22. 2009-3-18 動揺

vol.21. 2009-2-19 義父との別れ

vol.20. 2009-1-18 初美がいなくなった

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