事故に遭わなければ一時代を築いたに違いない今は亡き、オートレーサー須之内哲也の連載コラム 「須之内 哲也の世界」~もう一度会いたい~
「おれが生きているのは初美のおかげ。ただ、もう一度会いたい」。
その時々の情景を思い浮かべながら、ひたすら心の内を書き綴っていく。事故に遇わなければ・・船橋で注目され一時代を築くとうたわれた元オートレーサー、彼の車名は知る人ぞ知る『ホージョウ』。レースの賞金で自家用車をもらうほどの一流選手で、弟子を十数名も抱え、師匠と呼ばれるほどにのぼりつめていた。しかし、30歳にならない歳で脊髄を砕く大事故に遭い選手生命を閉ざされた。車椅子での生活を余儀なくされ、周囲に当り散らしたこともあった。そんな時、妻の初美さんが見せる悲しそうな顔。「哲っちゃんのニコニコ笑っている顔が一番好き」という初美さんの言葉・・それからの生活はいつも一緒で何をするにもふたりだった。
しかし、初美さんは9年前、彼の手の中で逝った。「哲っちゃん、愛してる」の言葉を遺して・・。
ガンと共に歩んでいた須之内さんは、信頼していた息子と妹さんたちに囲まれて、須之内さんらしく逝きました。最愛の奥様・初美さんのもとへ。
「コラムは多くの方たちに読んでもらいたい」そんな言葉を遺して・・コラムはまだ続きます。「家で過ごせてよかったと思うけど、看る方は大変ということもある。それもだけど、きちんと最期を看なくちゃいけないからそれが辛い・・・。」 息子の啓樹さんが発した言葉です。
vol.1⇒ こちら
vol.43. 2015-1-1
そのままずっと手を握り締めて夜8時頃まではわかっていたので何時間しゃべり続けるのだろうと、9時頃に初美の手を握りながら皆に電話していた。夜12時ごろだったと思うけれど、このままどうなるのか心配になってWさんに電話して今こうして何時間もしゃべっていて「今まで聞いたことがないような初美の大きな声なんだけれどどうしたらいいでしょうか」と聞いてみた。初美さんが今まで心の中にたまっていたことを全部今はきだしているので話が終ったら静かに逝くと思うので話させて聞いていてあげてと涙声で教えてくれた。
私が手を握って子供達にももう片一方の手を握らせながら、「初美がこうしてしゃべり終わったら息を引き取るらしいから三人で看取ってやろう」と初美の両方の手を握りながら初美の話すことを聞いていた。だんだん静かになって眠るようにしていたら、なんか便が出たらしく臭う。少し出ていたので又三人で手分けして下着とパジャマを取り替えた。又手を握っていると又臭うので見ると又少し出てそれの繰り返しでもう何でもいいからビニールのごみ袋に下着もパジャマもすてちゃおうとベランダにだして夜中から朝方まで便が少しづつ9回も取り替えた。紙おむつがいいからと何回目かで紙おむつで身体をタオルで拭くのも三人だけ。男三人でするのはこんなもんかなと話しながら身体だけは綺麗に拭いてあげて少し寝てるようなので安心していたのだが、英先生が山形から電話してきてくれて「今少し寝てるようです」と話して電話を切ったら長男が「ママが大きな息してるよ早くこないと間に合わないよ」と言ったのですぐ手を握って、大きな息をしている初美、「初美もう一回息しろよ」と言ってもう一度息をするのをまっていたけど息はしなかった。すぐ抱きしめて背中が温かいし冷たくなるまで初美を抱いていたかった。
平成11年9月25日9時02分初美が息を引き取った。
| 固定リンク
最近のコメント