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2010年11月 2日 (火)

本協会誕生の裏話「この人が居たから今がある」 

2010年11月1日、1通の添付メールが届きました。この認定協会を発足・運営・維持するにあたって、縁の下の力持ち的存在の甲州優さんからのものです。添付文を読み進めると、私の長い看護師生活、認定協会への熱い思いが蘇って来て、ジーンときました。これは“私の中だけに留めておいてはもったいない”。そう思い、彼女の許しを得てここに掲載し、いつまでも留めておくことにしました。(村松静子)  全文はこちらです。お読みいただけると嬉しいです。

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31日の修了式を終えて、今まだ静かな感動を味わっています。穏やかでありながら大きな心の感動。でもその感動の中身が何なのかわからず、あれこれ考えておりました。

感動に浸りながら、今朝になり見えてきた事があります。

一つには受講生の方々の真摯な思い。患者の為・ご家族の為にと思う強い気持ちが伝わりました。それは強い正義感だと感じました。でも、その正義感で良かれと思ってしたにも関わらず上手くいかない事や心が折れそうになる事があると言う事、数々の事例から伝わりました。そして看護職として頑張ってきたそれぞれの人生・ドラマがある事を感じました。

受講生の方々お一人お一人が、自分の人生を真摯に生き、進む道を涙の中で決断し、そして、その気持ちがあるからこそ、自分が関わる患者・家族にも納得した人生を歩んでもらいたいという強い思いがある事が伝わりました。看護職として、患者・家族が納得できるに到るまでの支援をしたいという思い、医療の選択は命の選択でもあり、患者・家族が悩む以上に看護職として自分の人生と重ね合わせ「本当にその選択で良いのか、迷いはないのか、力になりたい」とそう思って関わってきた事が伝わりました。

しかしながら、思い込みや、苦労を重ねた末の思い上がり、関わりの未熟さなどから、関わっても関わっても上手くいかなかった患者・家族がいたという過去の事実と、それを忘れ去る事なく、いつか紐解かれる日が来るまでは…と心の奥底に仕舞い込んでいた事例が誰しもある事が分かりました。

過去の辛い体験や看護職として打ちのめされた思いを胸にしてセミナーに参加されていました。そして、正直に自分の経験を話され、恥も外聞も捨てて事例として提供される。それができるのは「正義感」からだと思いました。自分を戒め、高めようとし、次の患者には上手く関わりたいと、そんな気持ちも見えました。

事例の検討を進めるうちに皆の顔がほぐれていくように思いました。「みんな仲間だ。みんな辛い人生を乗り越えながら頑張ってきたんだ。そしてやっと出会えたんだ。ここでは何でも安心して話せる、全国各地に同じ思いの看護職がこんなにもいる」というそんな感動を一緒に味わっている様な気がしました。大きな決断をしてここに辿り着いた意味をそれぞれぞれの受講生が感じている。だからみんな真摯なのだと、そう感じました。

今度こそ患者の為に上手く関わりたいと、だから真摯になり迫るものがあるのだと感じました。事例を提供し検討を進める中で、自分の関わりのまずさを、どの時点の関わりやどの様な関わりが適切ではなかったのかと、時間を遡って自己を振り返ることは非常に苦しく辛いことだと思う。けれど、光を見出し、皆笑顔になっていく。笑顔になる感動も味わった。

「修正は必ずできる」本当だと確信した。何年も前の間違った捉え方に気付ける、そして修正できる。変化していくことの感動も感じました。この様に私は、受講生の皆様から多くの感動を頂いた。

二つ目の感動は、受講生が変化していくそのプロセスが、「理論と実践の融合」のプロセスに則ったクラス運営にあったという事です。(続く・・・・)

三つ目は、自分自身がここまで辿り着いたという感動です。(続く・・・・)

これが「信頼を与え信頼を得る」→「感動を与え感動を得る」に繋がっているのだと、そんな風に思いました。10年も看護教員をしながら、感動を与えられるクラスをどれほど持てたのか、はなはだ疑問ではありますが、内容は違っても感動するクラス展開(理論に裏打ちされた展開)ができなければやはり学生は育っていかない事にも気付きました。非常勤講師としての私の課題も見えてしまいました。(続く・・・・)

色々な思い、感動の中身を探りながら私自身の課題も見出せる、これもまた感動ですが、これからは意識して、修正しながら動く・実践するという事を心に留めて、前進していきたいなと思っております。(続く・・・・) 

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