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7・応援団・メッセージ

2021年1月 1日 (金)

毎年何かしらの地球からのメッセージ、今年は新型の感染症です。大きな課題を突き付けられているような気がします。私たち看護師にとっては、対話や触れ合いは重要です。これまで培った知恵と工夫を生かした、これまでにないチャレンジをしていく新たな年に・・(Messengerナース認定協会・事務局)

毎年何かしらの地球からのメッセージが送られているような気がしてなりません。これまでは、大きな自然災害が人々を苦しめましたが、今年は新型の感染症が世界中を不安の渦に突き落としました。このメッセージを人々はどう受け止め、どう対処するか?大きな課題を突き付けられているような気がします。
我々看護師が大切にしている、看護の本質には、対話や触れ合いによる心の交流が重要なキーワードです。それが、今回の感染症のために脅かされています。感染を受け隔離せざるを得ない環境で治療を受ける人、その方々を護りそして不安であろうその心を救う看護師、双方が葛藤を抱えもがいている中で、一人一人ができることを考えるチャンスをもらったと考えたいと思います。今こそこれまで培った知恵と工夫を生かした、これまでにないチャレンジをしていく新たな年にしていきたいですね。(仲野)

2020年10月21日 (水)

【新しいコメント】画面越しにも皆様の温かいまなざしと情熱と愛情が伝わってくるセミナー・・つないで紡ぐという使命を強く感じました。・・新卒時代お会いした初代看護部長は従軍看護師・・言葉では表せない厳しさと優しさを持つ威厳のある方でした。遺されたメッセージは、今の私のここにも響いてまいります。・・・大切なことは、どんなに時代が変わっても「ぶれない!」、今回のセミナーで確信しました。(愛媛でメッセンジャーナース認定取得)

第24回メッセンジャーナース研鑽セミナーを受講いたしました。
全国の受講者の皆様とリモートでの対話でしたが、画面越しにも皆様の温かいまなざしと情熱と愛情が伝わってくるセミナーで、初対面とは思えない親しみを感じました。
実際にお会いしていたら、とてつもないエネルギ-の中にいただろうと思います。
 研修時の講義、皆様の体験談、それについての意見・感想・コメントを聴きながらプロフェッショナルの看と勘を研ぎ澄ませ、医療の受け手の心を察して行動し、つないで紡ぐという使命を強く感じました。そして自分自身を知ることも大切、とともに、やはり「看護って素晴らしい」とも。
そして、村松代表の「ちょっといい?」から始まる講和に、どれほど心ときめいたことでしょう。これが「魅力のある人」なんだと思いながら聴き入っていました。
村松代表の言葉一つひとつに洗礼を受けながら、蘇ってきたことがあります。

私は昭和52年に、設立して間もない大学病院に新卒看護師で入職しました。
その時の初代看護部長は、若い時に従軍看護師として戦地に派遣され地獄のような風景を見ながら看護師として貢献され、さらに実践と教育に邁進し現在の看護の礎ともなられた方でした。
言葉では表せない厳しさと優しさを持つ威厳のある方でした。
その部長が新人看護師に遺されたメッセージ、それは今の私のここにも響いてまいります。
ひとつ、患者さんが、またその家族があなたに相談したくなるような人間であってほしい
ひとつ、あなたの言葉を聞いたら、心と体が休まるようなそんな人に
ひとつ、あなたがいるだけで、患者さんはじめスタッフが温かさを感じられるような人に

大切なことは、どんなに時代が変わっても「ぶれない!」と、今回のセミナーで確信しました。
初回セミナー時にいただいた「65歳なんて、これからよ」のエールを頼りに、
「今、ここから」と、私の中で新たなスタートをきれるチャンスを得たと思っています。

魅力あふれる皆様にお会いできる日を楽しみに、引き続きセミナーに参加させていただきます、どうぞよろしくお願いいたします。
セミナー開催に際して、陰になり日向になり準備や調整をしてくださった方々に、感謝申し上げます。(一井美哉子)

2020年9月12日 (土)

新コラム【私のメディア・リテラシー】第7回 死への準備教育で聖ザビエルを超えたアルフォンス・デーケンさん  尾崎 雄 Ozaki Takeshi(「老・病・死を考える会プラス」世話人 、元日本経済新聞編集委員)

第7回 フランシコ・ザビエルを超えた? アルフォンス・デーケンさん  2020-9-12

「デーケンさん」。その講演を一度でも聞いたことのある人ならだれでも親しみを込めてそう呼んでいた、アルフォンス・デーケン師が、9月6日になくなった。88歳。カトリックの司祭であり上智大学教授として「死の哲学」を講じた哲学者だったが、むしろ、人びとが死をタブー化しないように導く、デス・エデュケーション(死への準備教育)を日本に広めた功労者として知られていた。

「死への準備をすることは、よりよく生きること」。そんな死生観にもとづく市民グループ「生と死を考える会」をつくり、各地に同じ趣旨の会が広がった。画期的だったのは医師たちへの影響だ。医師の多くがホスピス・緩和ケアを「敗北の医療」と無視する時代に人間中心の医療を目指す一部の医師や看護師らに共感の輪を広げた。我が国に緩和ケア病棟の制度化の基礎を作った柏木哲夫医師(淀川キリスト教病院名誉ホスピス長)は、デーケン先生から二つのことを教えられたという。「人は必ず死ぬということを認識することの大切さ、と(死の)準備をする必要性だ」(9月11日・東京新聞)。国が普及に躍起のアドバンス・ケア・プランニング(ACP)も「死への準備教育」の流れを汲む。上智大グリーフケア研究所の島薗進所長によると「死生学は病院、介護施設などで、医学や心理学と絡めて考えられていた」が、それを一般市民むけに「死に向き合うことは自分を見詰めること」だと訴え、「広く生と死について考える流れをつくり、死生学の裾野を広げた」(同)。

デーケンさんはイエズス会の神父。イエズス会創始者のひとり、フランシスコ・ザビエルは日本にキリスト教伝道の道を開いた。彼は3年間日本で過ごし、彼は志半ばで日本を去ったが、デーケンさんは60年にわたって日本で活動し、ザビエルとは違った形で大きな足跡を残した。その魂の足取りは絵本『人生の選択――デーケン少年のナチへの抵抗』(藤原書店)で簡潔に語られている。ライフワークは「人びとに、生きることは何か、死とは何かを伝えること」だった。多感な少年のときナチスドイツ時代を体験した。4歳の妹が白血病でなくなった死別体験と不条理な戦争体験が彼の人生を決めた。隣人一家が連合軍の焼夷弾攻撃の犠牲になり、自らも機銃掃射から間一髪で命拾いした。ナチのエリート学校入学を推薦されたが拒んで、司祭の道を志し、長崎26聖人殉教者の一人、ルドビゴ茨木の生涯を知る。

ザビエルが鹿児島についたのは1549年8月15日。それから410年後の1959年2月7日、デーケン青年は神学生として、横浜に上陸した。上智大の教員になってから世界のホスピスを医師や一般市民らと見て回り、「日本の津々浦々まで」講演した。2001年にはアメリカのホスピス視察の途上、3000人が一瞬にして死ぬという「9.11.同時多発テロ」に遭遇する。ドイツで味わった不条理の死をアメリカで再び体験したのである。それから19年たった2020年9月11日、東京の聖イグナチオ教会で執り行われた自らの葬儀で、宣教師デーケン神父のもう一つの顔が披露された。

日本に派遣された2年後、アメリカのフォーダム大学で哲学博士の学位を取るが、このアメリカ留学中に日本の将来を分析する。人口統計学的に日本の超高齢化を予測。高齢社会が迫っているにも関わらず、日本人は経済成長がもたらす消費経済に酔いしれ「生と死」の問題が社会の片隅に追いやられている、と睨んだ。デーケン青年は、そうした日本社会の混迷にターゲットをしぼった戦略を練り、日本に帰国する。最大限に活用したのはマスメディアである。服装は背広とネクタイ姿で通し、自己紹介は「私はデーケン。何にもデーケンです。晴れてもアーメン。雨でもハレルヤ」と笑いを取ってから自らの体験をもとに「生と死」について分かりやすく語りかけた。デーケンさんと同じドイツ出身のイエズス会士は、メディアをはじめ社会状況が変わったため、「もう、第二のデーケンは日本には現れない」と語ったものである。

2020年8月 1日 (土)

新コラム【私のメディア・リテラシー】 第6回 ALS患者嘱託殺人事件と「安楽死」について 尾崎 雄 Ozaki Takeshi(「老・病・死を考える会プラス」世話人 、元日本経済新聞編集委員)

第6回 単なる嘱託殺人か「安楽死」なのか 2020-7-31

 筋委縮性側索硬化症(ALS)の女性患者から依頼を受け、薬剤を投与して殺害した医師2人が7月23日、京都府警に嘱託殺人の容疑で逮捕された。この事件を新聞は競って報道している。特異な事件ではあるが、メディアの報道の仕方や姿勢について考えさせられることが少なくない。

 朝日、読売、毎日、産経、東京、日経の各紙は、①現場が在宅療養の場であること、②SNSを“活用”した計画的な行為であること、③当事者間に金銭授受があったこと、④当事者が「独自の死生観」を持ち、⑤「訴追されないないなら」かまわないという反社会的な意識を持つ医師らによって行われたこと――を大きく報道した。安楽死の「作業はシンプル」だった、被害者に「睡眠薬を胃ろうに投与か」、使用した薬物は「バルビツール酸系睡眠薬と判明」とか各紙は事件の“手口”や経過を競って報じている。

 各紙は、「ALS患者(が)生きやすい社会」を求め、「生きる権利」を主張する当事者や支援団体関係者の声を掲載する一方で、ALS患者らが生きることの苦しみを「早く終わらせたい」という思いや主張も伝えている。ALS患者として初めて国会議員になった舩後靖彦氏の「『死ぬ権利』よりも『生きる権利』を守る社会にしていくことが何よりも大切」という声を掲載した。ところが、被害者の女性がツイッターで「自らの『生』と『死』の在り方を自らで選択する権利」を求めていたとも伝える。新聞は、異なる立場から沸き起こる様々な声や主張を取り上げざるをえないのだが、事件の本質をどのように捉え、読者(市民)に伝えようするのか、わかりにくい。次々と浮上する新しい事実に右往左往しているようだ。一つには、価値観の多様化を反映した複雑な社会現象を評価するための明確な判断基準が見つからないからだろう。今度の事件はインターネットが支配する現代社会で起こるべくして起きたともいえる。

 新聞報道のかたちは二つに分かれた。一つはインターネット世代ならでは新しいタイプの嘱託殺人のディテールを詳細に報道すること。もう一つは、「命とは何か」という重いテーマを社会全体で考えるようと問題提起する流れだ。そうしたなかで、各紙は7月28日、一斉にこの事件に関する社説を朝刊に掲載した。各紙の見出しを列記しよう。
「嘱託殺人 医の倫理に背く行い」(朝日)、「ALS患者の嘱託殺人 医師として許されぬ行為」(毎日)、「ALS嘱託殺人 医療からの逸脱は許されない」(読売)、「医療から外れた嘱託殺人事件」(日経)、「ALS嘱託殺人 生命軽視の明確な犯罪だ」(産経)、「ALS嘱託殺人 安楽死の事件ではない」(東京)である。いずれも見出しで「嘱託殺人」だと断じている。

<朝日の社説と「『ブラック・ジャック』登場人物に憧れ?」>
 ただ、東京新聞だけが見出しに「安楽死」を出した。同紙は事件発生を報じた7月24日付けの紙面で3頁のうち2頁で「安楽死」をトップ見出しに使っていた。しかし、社説では「過去の事件と比べ特異な要素が多く、安楽死議論との直結には無理がある」と述べている。各紙は社説のトーンに苦労したようだ。もっと気になったのは、朝日新聞の紙面だ。社説掲載の前日にあたる27日付け朝日新聞夕刊の社会面トップ記事である。メインタイトルは「医師『安楽死』何度も投稿」。サブタイトルは「『ブラック・ジャック』登場人物に憧れ?」である。今回の嘱託殺人のヒントは、あたかも手塚治虫の有名な漫画から得たと思わせる書き方になっている。容疑者の一人は、患者の「安楽死」を金で請け負う漫画の登場人物「ドクター・キリコ」へのあこがれをツイッターに投稿したという。キリコは「ブラック・ジャック」に登場する医師だ。容疑者は「『日々生きていることすら苦痛だ』という方には、横浜地裁の要件はそれとして、一服盛るなり注射一発してあげて、楽になってもらったらいい」、「違和感のない病死を演出できれば、完全犯罪だ」と書き込んでいた。あまりにも常軌を逸した発言と言葉遣いに唖然とする。

 容疑者がこのような書き込みをしていたことが事実だとしても、影響力のある大新聞がそれを大きく載せるとは如何なものか。「ついに、こんな時代になってしまったのだ」とクールに受け止める読者もいた。が、しかし、事実だからと言って、リビングに置かれる新聞の夕刊の社会面に大きく載せて良い記事なのだろうか。小・中学生や高校生が目にし、読むかもしれない。朝日は社説で医師である容疑者二人の行為を「医の倫理に背く」と指弾しているが、この社会面の記事は社説の主張と矛盾する。施設ホスピスや在宅ホスピスなど緩和ケアの現場で働いてきた山崎章郎医師は「医の倫理に背くどころか、人としての道を外れている」と朝日の社説に違和感を持ったという。

<殺人事件を「安楽死」と同等あるいは類似のことのように>
 「安楽死」の扱い方は難しい。24日の毎日はそれを簡潔に書いていた。安楽死は、薬物などで患者を死なせ、尊厳死は終末期に延命治療をしないこと。我が国では法律による定めはないが、医師が末期がん患者に薬剤を注射して死亡させた東海大事件(1991年)で、横浜地裁は安楽死を認める要件を示した。すなわち、①耐え難い肉体的苦痛がある、②死が避けられず死期が迫っている、③肉体的苦痛を取り除く代替の手段がない、④生命の短縮を承諾する患者の患者の意思表示がある――の4つである。今度の事件の容疑者が書き込んだとされる「横浜地裁の要件はそれとして、一服盛るなり注射一発してあげて、楽になってもらったらいい」の「横浜地裁の要件」は、これである。
今回の事件では、なくなった患者は4つの要件を満たしていたのだろうか?  ①についていえば、耐え難い肉体的苦痛があったというより、むしろ精神的、社会的な苦痛に苛まれていた。②と③は議論の余地があったはずである。ところが、新聞は「安楽死 SNSで思惑一致」(東京)、「安楽死の望み」(朝日)、「医師『安楽死が必要』投稿」(読売)といった具合に、殺人事件を「安楽死」と同等あるいは類似のことのように扱っている。このような報道が広がることを憂慮してか、日本緩和医療学会はいち早く木澤義之理事長名で声明を出した。逮捕された医師2人は同学会の会員ではないと断ったうえで、「いわゆる積極的安楽死や自殺幇助が緩和ケアの一環として行なわれることは決してありません」。「積極的安楽死」とは、患者の命を終わらせる目的で「何かをすること」である。
医療と情報の技術や手段が急速に発達し、生活の隅々まで行き渡ったところに一部の不心得な医師が関わり、起こるべくして事件が起きた。在宅医療の現場や地域での終末期ケアを担ってきたベテラン医師の一人は語る。「毎年、約1万人の医者が誕生する時代だ。変人、奇人もいるだろう」と。しかし、市民の多くは、他の職業ではありうるとしても医師だけは、そうあって欲しくないと望んでいるはずだ。最大の問題は、社会規範が破綻に瀕している現実を、メディアがどのように咀嚼し、一般社会にどのような形で発信すべきか、ということである。

<報道の社会的責任とは何かについて問う>
ALS当事者団体に属する一人はSNSにこう書きこんだ。「SNSのみのやりとりで、初めて会う患者に多額の謝金をもらい(死に至る薬物を)投与したこの事件は、ただの殺人事件」だと。産経が「生命軽視の明確な犯罪だ」と断じた嘱託殺人事件の手口を詳細に報道することは、一部の専門家の参考になろうが、一般市民にとってどんな利益があるのか気になる。報道の社会的責任とは何かについて改めて考えざるを得ない。
世界保健機関(WHO)の自殺対策に関するガイドライン「メディア関係者に向けた自殺対策推進のための手引き」(2017年版)は、「やってはいけないこと」を例示している。たとえば、
・自殺の報道記事を目立つように配置しないこと
・自殺を前向きな問題解決策の一つであるかのように紹介しないこと
・自殺に用いた手段について明確に表現しないこと
・センセーショナルな見出しをつかわないことーーなどだ。
 いうまでもなく、自殺と安楽死を混同すべきではない。とはいえ、今回のALS嘱託殺人事件に関する新聞報道を振り返ると、「やってはいけない」ことが少なからずあったように思えてならないのである。  

2020年5月 6日 (水)

看護ネット・ラーニングが途中参加もあり滑らかに・・受講申請、まだ間に合います。そんな中、各地のメッセンジャーナースの声を受け、有難いメッセージが届きた。「窮状の訴えを、私の方でまとめて記事にて・・。必要であれば、ウェブで取材・・」。あなたも声を!

★田舎の10対1の看護師数で、専従チームを置いたり、専属でケアに当たるなんて限界があります。一病棟を専属にしていることで、対応チームとしているのに、さらにその中から、専従になんて、人員的にはできるはずも無いのに・・・
★二人受け入れでも仮眠時間等を考えると夜勤看護師を増やさなければならず、他の病棟にも影響が出ます。・・・

2019年11月19日 (火)

【届いた声】メッセンジャー看護師の存在を知り感激しました。今訪問看護をしています。

良いつなぎ役がいることは、患者さんの利益につながると思わされました…またその道があるのならば成りたいと思わされています。

2019年11月 9日 (土)

11月2日、秋田赤十字看護大学で、全国から沢山のナースが集まって、志を供にする方々を見て感動しました。メッセンジャーナースという言葉を聞いて、私たちが生活する上で大切なことと感じ、最寄りの書店へ行き、書いておられる本を注文しました。

秋田赤十字看護大学で講演をお聞きすることが出来、感激して帰ってきました。10月3日魁新報に講演会の記事が載って、すぐ行きたいお会いしたいと早速、作左部さんに申し込みました。

全国から沢山のナースが集まって、志を供にする方々を見て感動でした。前に、NHKEテレの「こころの時代」メッセンジャーナースという言葉を聞いて、私たちが生活する上で大切なことを話しておられると感じました。

今日、最寄りの書店へ行き、メッセンジャーナースの村松さんが書いておられる本を注文してきました。

私が現在仕事を辞め、夫と二人で普通に暮らしております。寂しい時もありますが、

秋田のダリアそれからバラの栽培、プールなどで楽しく過ごしております。 Photo_20191109195901

 

 

今年のバラの観賞会に出した写真を入れました。

 

皆様、どうぞお体に留意され、患者さん、私達が少しでも良い楽しい生活ができるようお力添え願います。

本当にありがとうございました。お会いできて嬉しかったです。

 

秋田から 皆で応援しています‼

2019年9月22日 (日)

今日は研鑽セミナー見学をお許しくださり、ありがとうございました。今回もあらたな気づきと感動をいただきました。←(暮らしの映像社・鈴木さま)

村松様をはじめ出席された看護師の皆様のリアルな体験の分かち合いには、私のような部外者にもすぐに役立ちそうな知恵がたくさんあるように思います。
「ねばならない」意識にとらわれ「言ってあげなきゃ」「してやらなくては」という気持ちになった時は、相手が何を望んでいるかよりも、自分の意識が優先されがちというのは、よくあることだと気づきました。
「相手に疑いを持たない」だけど「積極的な関心を持つ」というお話も心に残りました。

(暮らしの映像社・鈴木浩)

2019年9月16日 (月)

第50回(2019年度)日本看護学会・在宅看護ー学術集会<栃木県> 無事終了。交流集会「伝えよう“メッセンジャーナースの活動”を! 語ろう“看護の力”を!」について、「とても、良かった。本当に看護として必要だと思う」との評価を頂戴しました。←(栃木のメッセンジャーナース)

先日は、学会への参加有難う御座いました。
お蔭様で、大きなトラブルも無く、無事に終える事が出来ました。
交流会の場所が離れており、分かり難かったのは、大変残念に思いますが、会長や今回の準備委員長(前常任理事)も最初から、最後迄参加して下さり、その後、「とても、良かった。本当に看護として必要だと思う」と言って頂きました。

2019年7月22日 (月)

【1通のメール】自分の“物差し”で相手を計るのではなく、相手の“物差し”に思いをはせることの大切さを知って行動しているのがメッセンジャーナースなのかなと思いました。セミナー参加の皆様が初めて会った方もいらっしゃるのに、旧知の間柄のように本音を話し合っている様子も「いいなあ」 と思いながら・・・(暮らしの映像社・鈴木浩さん)

昨日は研鑽セミナー見学を受け入れてくださり、ありがとうございました。
今回もたくさんの気づきやヒントをいただくことができましたことを感謝しております。
お話を伺いながら、セミナー参加の皆様が病気の人、困っている人に親身になって寄り添う存在なっておられることを感じ感動しました。

私の立場でメッセンジャーナースに期待することをお話する時間はありませんでしたが、

自分の“物差し”で相手を計るのではなく、相手の“物差し”に思いをはせることの大切さを知って行動しているのがメッセンジャーナースなのかなと思いました。

セミナー参加の皆様が初めて会った方もいらっしゃるのに、旧知の間柄のように本音を話し合っている様子も「いいなあ」と思いながら拝見しておりました。

これからもセミナー見学の機会を与えていただけたら嬉しいです。
セミナー参加の皆様と出会うことができましたことを喜び感謝しております。
ありがとうございました。(暮らしの映像社:鈴木浩)

 

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