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8・事例・本音トーク

2020年8月25日 (火)

研鑽セミナーへ2年ぶりの参加。話の本題になると引き込まれ、あっという間の3時間でした。メッセンジャーナースに関わる方々の話を聞けることや講師の皆さんの教示に触れると不思議とよし!また勇気をだして頑張ろうという気持ちになります。

先日はセミナーを開催頂きましてありがとうございました。2年ぶりの参加に緊張しましたが話の本題になると引き込まれ3時間はあっという間でした。
 セミナーで各地の皆様の話を聞いて(細井先生もお話されていましたが)思い当たる過去の出来事や自分に対する気づきがムクムクとありました。私の場合は良いことに改めて気づくというよりも、あの失敗の原因はそれだったのか、、、という愚かな自分への気づきがほとんどです。本当にありがたいことです。

 地域系で働いていると所属する組織によってはなかなか人員、休み、報酬、教育、人材に豊かさがなく、『看護』を哲学的に語り合う機会はほとんどありません。個別の日々の課題について話し合うことはありますが時々自分の看護や関わりはこれでいいのだろうか、よかったのだろうか、と思うこともあります。
 メッセンジャーナースに関わる方々の話を聞けることや講師の皆さんの教示に触れると不思議とよし!また勇気をだして頑張ろうという気持ちになります。

 訪問看護先で過去にストーマパウチ交換を目的に訪問看護となった独居の高齢女性がおられました。
 パウチ交換はバイタル含め20分あればすぐ終わるのでした。残りの時間はご本人は看護師とお茶を飲みながらお話を希望されていました。しかし、60分だったので、ケアマネージャーに30分の訪問看護でもよいのではないかと思うのですが、と相談しましたら、何故かそのまま本人に電話で次月から30分訪問になります、と伝えられご本人がとても怒ってしまった、ということがありました。お怒りの電話の際に、転倒による怪我もされたことが過去におありだったようなのでパウチ交換後の残りの時間はリハビリしてはどうか、とお話しましたが『いやです!』と言われてしまいました。
また、私が新人看護師と同行訪問した時に、これとこれはご本人が自分でおできになります、と説明していたことを不納得だったようで次の訪問からはことごとく不手際を指摘なさることが増えました。
 介護保険は自立支援という根本の考えがありそこを踏まえて、のことだったのですが逆効果でした。きっとあなたに何がわかっているの?!と思われたのだろうと思います。

 どれもご本人にご本人なりのお考えや想いがあって話したいことがおありだったのだろうと思いますが、私のなかに話が長くて世間話に終始する訪問中の話の内容にいいのだろうか、これで、という焦りや背徳の気持ちがあったんです。
 結局、その方ケアマネが急遽退職され別事業所のケアマネに交代され渋々30分の訪問を受け入れられ、訪問看護は特定の看護師のみ訪問となりました。半年くらいしたころ激しく転倒され救急搬送され、その後は療養型病院に入られました。
 
 やはり相手の感情にしっかり目と気持ちを向けて対話をしっかりすることが大事だったと感じています。
(認定取得、目前の鳴海さんより)

2016年11月24日 (木)

永六輔さんのラジオトークで、何度もなんども先生の著書『自分の家で死にたい』海竜社だと…繰り返し紹介…麻理さん姉妹の事も、亡くなった後もリビングで過ごされる奥さまのことも…優しさ温もりがまたまた伝わってきます。 (村中さんより)

ホームページの動画はなかなか開けませんでした。多分ネット環境が悪いのだとおもいます。☞ こちら

https://www.youtube.com/watch?v=QYE65Zfx5sw (この動画の3:00あたりから)
しかし、こんな内容を見つけました。
古舘の長いトークのなかで最後に永六輔さんの印象的だった言葉がアップされていました。ときどき思い出し、ニンマリしている内容です[↓]

 

永六輔さんのラジオトークで、何度もなんども先生の著書『自分の家で死にたい』海竜社だと繰り返し紹介してくださっていた優しさ温もりがまたまた伝わってきます。

 

麻理さん姉妹の事も、亡くなった後もリビングで過ごされる奥さまのことも

永六輔さんの器の大きさが、お会いしたこともない私でさえ身近に感じれるから不思議です。Img_0850 麻理さんが仰るように熊本でもお声をかけて頂けるかもしれないと思えるくらいです。(熊本・村中)

2016年11月23日 (水)

永六輔さんのお別れ会で、次女・麻理さんが話されたお言葉「いいか、みんな、人っていうのは二度死ぬんだよ・・」、心に沁みました。今週25日(金)21時~のTBS『金スマ』で、語られるのでは・・・

【永麻理さんから村松に届いたメール、是非、あなたにも読んでいただきたい】

 

私の方は、まだなにかと取材を受けたり、各地で開かれる父を偲ぶ会に呼ばれたり、と、父は自分がいないことによって、私に新たな人たちとの出会いや新たな経験をくれているのだなあ・・・と感じます。

 

先月末に、古舘伊知郎さんがTBSの『金スマ』という番組で、父のお別れ会での私の挨拶のことを話したそうです。https://www.youtube.com/watch?v=QYE65Zfx5sw (この動画の3:00あたりから)

父は、ご存じのように、娘に対して「いいか、よく聞いておけ」みたいな物言いは絶対にしませんから、これはかなり古舘さんの脚色が入っていますが・・・しかしこれが反響が大きかったとかで、「永六輔の言葉」を取り上げようとなったらしく、また私が呼ばれました。

 

「いいか、みんな、人っていうのは二度死ぬんだよ・・と言っていた父は、一度目の死しか迎えてないので・・街角で見かけたら声をかけてみて下さい。父もしゃべりかけてくれると思います」

 

今週25日(金)21時~のTBS『金スマ』、お時間ありましたらご覧ください。  なにかのついでがありましたら、ナースの皆さまにもお伝えくださればと思います。

 

私は、多くの人に永六輔のことを話してもらいたい、覚えていてもらいたいという気持ちがあるので、メディアからの取材など、依頼があれば、なるべく受けるようにしています。

(永麻理)

2016年11月15日 (火)

父は、母の誕生日の日に、家で、同居する家族に見守られながら逝きました。「俺の命日を忘れるなよってことだね」・・・父は、生ききった...納得です。

父が亡くなりました。家で、同居する家族に見守られながら、息を引き取りました。

 亡くなる前日には、介護浴の日で、大好きなお風呂に入り、夕食も食べ、112日に誕生したひ孫の写真を見て就寝し、翌朝に亡くなりました。

 くしくも母の誕生日でした。「俺の命日を忘れるなよってことだね」と、母へのメッセージを残すかのように、旅立ちました。


様々な思いはありますが、同居していた弟が喪主を務め、告別式の最後の挨拶に

 「父は、生ききった」と、述べておりました。

 その通りだなと、その言葉に私も納得できるものがありました。

 告別式を終えて2日経ちました。

 まだバタバタとしておりますが、穏やかな今日の天気のように、皆の表情は、穏やかです。

(日赤中央短大28回生)

☆―――――――――――――★

Photo_2


素晴らしい逝き方と看取り方、私はあなたの文面に感動してしまいました。あなた、そしてご家族の素晴らしさを多くの人に発信し、それをお父様への感謝とさせてもらいます。(村松)

 

2016年10月 9日 (日)

【メッセージ】3歳で母を亡くし、戦地へも。苦労を重ねてきた祖父が亡くなる日の朝書いたメモ、 『早く家に帰して下さい お願いします 私94才です』。 私に温かい愛情を沢山与えてくれた祖父の最期の望みを叶えられる 心強い孫でいたかった。メッセンジャーナースのセミナーで、自分の課題がみえてきます。

NPO法人 オハナ(ホームホスピス)の資料を頂きましてありがとうございました。
深く感銘する内容でした。

【最期の数日、自宅に帰るとオハナではみたことのない表情や言葉があふれました。】  【私が担うメッセージ 】 からは、まるで私に語るように聞こえています。

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歳の祖父、生前から『出来るだけ在宅で静かに死にたい。もう、なにもしなくていんだよ。』と繰り返していました。 出来るだけ、祖父の意向に添うように致しましたが病院で亡くなりました。
祖父が亡くなる日、もう意識もないものと思われていた朝に書いたメモがあります。

『早く家に帰して下さい お願いします 私94才です』 と、書かれていました。

同日の昼過ぎに亡くなりました。

Matsumoto_2
私がそのメモを見せてもらったのは、お葬式の後でした。
祖父の意向に添うようにするには、身内だからこそ難しい場面もありました。祖父と住んでいる家族にズケズケ入っていないか、助言が正論のように聞こえていないか?を気づかいながらいました。祖父に関わる家族のこころの風景を、狭い私の主観が先に立ち、在宅で過ごす時間を短くしたように思えます。

祖父は、3歳の頃に母を亡くし、戦争に行き、帰国後も苦労を重ねておりました。老後は畑仕事をし、出来た野菜や果物を、私や親戚に配る事を生きがいにしていました。私に温かい愛情を沢山与えてくれた思い出を思い返しながら、 祖父の最期を少しでも自宅で過ごす事が叶えられる 心強い孫でいたかった。

メッセンジャーナースのセミナーで、自己陶冶をし、色々な方向で患者 家族のこころの風景を学ぶ中で自分の課題がみえてきます。こり固まった主観を再考する、振り返るを繰り返す。これを習慣に、日々自然に出来る事が目標です。

ナーシングホーム オハナのメッセンジャーナース様、心にしみるメッセージありがとうございました。(M)
 

2016年5月20日 (金)

「看護師さんは、先生と私達家族の間に立っていただいて、私達を最後まで支えて下さいました。」というご家族の言葉に励まされて、メッセンジャーナースとしての自分たちの行動を思い起こしています。・・・・(訪問看護に携わるメッセンジャーナース)

Tさんが亡くなられました。

前の週まで、車椅子で移動時はほぼ介助であっても、トイレまで行っていた方でした。

リウマチの辛さの中でも、色紙を楽しんで書いていらっしゃっいました。


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ある日、訪問看護に伺うと、娘さんが言いました。「昨日から急に食べられなくなって。どうしたら良いかとクリニックに電話をしたら、先生から、家で看取るかどうか、と急に言われて」。娘さんの中の戸惑いと、思ってもいなかった突然の看取りの話をされたことに対する怒りが伝わってきました。

話を聞きながら、娘さんが感じている不安と先生の判断は同じ事だと感じながらも、その言葉の発し方と受け止めのズレは大きいと受け止めた私は、今ここから先生へ電話を入れそのズレを修正する事が必要だと思いました。

娘さんにクリニックへ電話を入れる了解を得て電話。主治医にその事を伝える事ができ、夜に往診をして頂く事になりました。そして夜、娘さんは先生とゆっくり話すことができ、娘さんもお母さんの容態悪化を少しずつ受け入れられるようになりました。

それから亡くなられるまでの10日間は、娘さんと相談しながら6回の訪問を組みました。食べられなくなってからの日々でも妹さんが持ってきて下さった苺を絞り、ジュースを口にする事もできました。

そして、穏やかに過ごす事を望むご家族に見守られる中、Tさんは永眠されました。永眠時のケアに来て欲しいと連絡を受け訪問。ケアが終わり挨拶をすると、娘さんが「本当にお世話になりました。看護師さんは、先生と私達家族の間に立っていただいて、私達を最後まで支えて下さいました。ありがとうございました。」という言葉を頂きました。

急激な悪化が見られたあの日からの主治医とのほぼ毎日のやり取りを思い出しながら、ホッとしたのを思い出します。(S & H)

2016年5月 6日 (金)

東日本大震災から5年、熊本地震も大変でした…そして現在も。比べることではありませんが…高齢の方の発言『戦争中の終わりの無い状況、何処に逃げても見つかって殺される状況を考えると終息があるだけましたい…』と。

4月15日金曜日から立て続けに2度の熊本地震から丁度3週間、余震は止まない。

5
1日 日曜日
NHK
の朝の報道番組で、石巻市の門脇地区、震災から5年の様子が、石巻のローカルラジオ番組の活動を視点にした内容での放送が目にとまりました。
一瞬にして津波に呑まれた家族の安否に、情報の乏しい中、メール機能さえ途絶え、ローカルラジオに最後の希望や願いを託すしかない状況だった。
自分達が大丈夫である事、避難所場所を知らせ、もしも放送を聞いていたら来てくれることに希望や願いを託した一方通行ではあるが、唯一の家族を繋ぐ架け橋の存在であったようだ。
その当時の女性アナウンサーお二人が当時の事を話される中で、市民のメッセージを読み上げている最中に、自分の居住地区の壊滅状態を知ることとなった人々はラジオの唯一の情報伝達源にすがるように、行列が出来 様々な紙切れに家族へのメッセージを記し、その願いが通じる様にという思いを感じ、アナウンサーの女性も、感情を入れずひたすら、読むだけだったと内容を噛み締め、その先の事を想像すると、とても冷静ではいられない状況だったと、込み上げてくる当時の感情が抑えられない様子でした。
は濁流に呑まれた私とは避難所にいる。必ず元気な顔を見せてくれるのを待っている』などなど、
涙無しでは見ていられない過去の愕然とする事実

熊本地震も大変でした
そして現在も、比べることではありませんが
昨日、ある高齢の方の発言でした。『戦争中の終わりの無い状況、何処に逃げても見つかって殺される状況を考えると終息があるだけましたい』と。
もっと、強く臨まないと と言う叱咤激励なのだろうか?

改めて、医療従事者である私は、自分も災害を体験して、今回の地震体験の瀕死の思い、災害の甚大さは、ふと、病気の重症度と重ね合わさった比較して考える事でないと思われるが、それぞれのその町々や人々の歴史の延長上での事柄には、町や人の背景に長い間に築きあげられた様々な歩があり、歴史となっている。
いわゆる、災害や病気と云う困難を前に踏ん張る力や踏ん張り方は、それぞれに違って当たり前とも改めて思う。狩猟民族や農耕民族、はたまた雪国と南国と・・・人々が「生きる」環境は「生き方」に大きな影響を与えているようだと、今回複雑な気持ちのなかで実感の様なものがある。
被災状況、病気の重症度だけで、苦難や苦悩を一概に判断する事は出来ないと思った。
「当事者が現実をどう受け止め、どのように立ち向かえるか!」という思いに、それぞれ向き合っていく必要性を改めて感じている。

東北の大震災の爪痕も癒えないまま、今回の熊本・大分と日本列島、自然の驚異を前に、恐怖感は否めないが・・・
「今の瞬間を、精一杯自分らしく生きる」
ことこそが病の時も災害に備えても、肝要に思えた。

2016年4月 8日 (金)

「家に帰りたい!」という本人の強い希望により退院が決まりました。」へのコメント。波乱含みでスタートした在宅ですが、さてどの様に進んでいくのか…。←(茨城のメッセンジャーナース)

曇天の、それでも桜が満開の空の下、母の夫は自宅へと帰って来ました。
介護タクシーが到着したときには、サービス担当者会議の最中で、沢山のひとが居たため、びっくりした表情をしておりましたが、ケアマネや在宅担当の医師と笑顔を交わしていました。

今までは、自分が訪問する立場でしたが、反対の立場になるとご家族は大変だったんだ、ということに改めて気付かされました。

あちこちから質問や決定することを求められたり、契約書や重要事項説明書のサインを促されたり、医療器具や福祉用具の説明を受けたり等々
専門職の私でさえ、ワタワタしてしまうのですから、母ならなおさら。と母を見やれば()んんっ!! 放心したようにペタンと座り、全く聞いちゃいない()
仕方ないので、その夜に説明されたことをノートに書き付け、じっくり何度も読むように、母に渡しました。
波乱含みでスタートした在宅ですが、さてどの様に進んでいくのか
ただ、この混乱のなかで多様な職種の中でも、やはり訪問ナースの存在が大変に心強く、頼もしく感じられました。

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「余命は半年です」と宣告されてうつ病を発症、余命はあと1ヶ月。「家に帰りたい!」という本人の強い希望により退院が決まりました。」へのコメントでした。

2015年11月 1日 (日)

決して忘れてしまったわけではない。むりやり忘れるほかなかったのです。(「開業ナースのエッセンス「暮らしに伴走する看護のすすめ」~コラム・在宅医療をもっと素晴らしいものへと、一緒にかんがえましょう 心の科学:日本評論社)

だから誰にも話すことはなかったし、ましてや伝えようとする人は誰もいないのでしょう。そうして、いつまでも変わらない。

主役は患者でもお医者様でもなく、看護師さんでした。いつも患者より、医師や自分の上司にばかり目が向いて、患者の家族やヘルパーさんには優しさを装うだけ。・・・国の体制や保険の制度をいい盾、武器にして、私たちに攻め込んでくる。しかし、家族は患者という大切な人を「人質」として取られており、悲しいかな、看護師さんのご機嫌をとる始末。そんな「理不尽の輪」がグルグル回り続けました。・・・そのような日々の中で出逢った数少ない「満点看護師」さんのことを聞いてほしい。・・・

一緒に考えていきたい。そのために、私たちにも何か役に立てることはないか、教えてほしいのです。

医師と患者・患者の家族との「こころの橋渡し役」として、みんなが頼りにしている看護師さんが、そして日本の在宅医療が変わるよう、変われるように。(まつもと・もも)

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★ももさんのメッセージがよく伝わるから、こころの風景がよくみえるから、私、感動しました。変わらなければと思っている私たち看護師、でもその思いだけでは変われません。メッセンジャーナースは、皆、同じ方向を向いて集まったナースです。是非、お力添えをお願いします。(村松)

★精一杯の秘めた想いを伺い、一看護師として現場の管理者として責任を感じます。 

チーム医療といって実践している事にどんなメンバーが関わっているか?『患者さんやご家族の本音を意外と聴いている介護職員や清掃の職員が患者の真のニーズを捉えているものだ』と現在、職場のサービス向上委員会で発言していたスタッフの言葉を思い出しました。 

当たり前に実践すべき医療や介護サービスが出来ないからあえてサービス向上にしないと取り組みにくいのも心苦しい面もありますが変わるためには手段を選ばず出来る処からヤル 少しずつでも、前に進む事をメッセンジャーナースとして意識して動いています。 

現場でのコミュニケーションが不足している事も互いが理解し合うチャンスを逃しているとも思います。風通しの良い職場を目指して、患者さんやご家族、仲間の想いや考えを尊重して支え合える様に共に努めていきたいですね 言いたい事を飲み込まないで自分の信念に従い進言していきましょう!
 
分かってくれる人は必ずいます。 私達メッセンジャーナースも応援しています。(熊本の村中)

2015年10月20日 (火)

【涙ながら語った娘】父親が誤嚥性肺炎で発症から2カ月で亡くなった。病気の母親が父親を看病していた現実に、神様が父親がそうなることを導かれたように思えた。家族の胸のうちを、大変だった只中で、心を澄ませて聴けるナースが必要。『メッセンジャーナースの存在をお客様に話しても構わないですか?』 

両親の療養支援に明け暮れ、実家近くに住む姉を間接的に支え、二人で頑張った。 大変な中で、父親が誤嚥性肺炎で発症から2カ月で亡くなった。病気の母親が父親を看病していた現実に、神様が父親がそうなることを導かれたように思えた。 と涙ながらもしっかりと語られた娘さんの姿は、両親を愛し、姉妹二人でしっかりと支え合ってこられたことが想像できました。

大変な状況を自分たちの力で、しっかりと乗り越えてこられたようでした。そのたくましさは敬服そのものでした。 現実はきっと悲惨だったことが推測出来きます。

 

こんな家族の胸のうちを、大変だった只中で心からの向き合い、心を澄ませて聴けるナースが必要だという思いで語り合いは一致しました。 本当に私達看護師は、こんな風に患者さんやご家族から看護の有り様を教えられることが実感できた市民講座でした。 又、会終了後に彼女から、 『メッセンジャーナースの存在をお客様に話しても構わないですか?』と聞かれ、

改めて、メッセンジャーナースのホームページが、一般市民の方々との心の交流、懸け橋の場になればとも思いました。 何れにしても、身近に気軽に相談出来る存在、更にしっかり聴いてくれる期待を持たれておられる様でした。


今後、私たちは速やかに、少なくとも私には、目に映りやすい、周囲に伝わりやすい取り掛かりが必要と思いました。 積極的な姿勢や行動や場づくり、仕組みづくり、広報やネットワーク化、などなど課題は山積みと改めて感じました。市民の方々と共に歩む活動を考えて行きたいと思います。(熊本)

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