医療の主体は医療の受け手にあります。
医療の主体は医療の受け手にあります。
医療が必要になった時、「自分らしくいられる」事を重視して医療の受け手が治療を選択する、そこに何も問題はありません。問題は、医療者にその思いが十分伝わらない事、認識がずれる事です。自分の価値観を伝えたい時・理解してもらいたい時、そして 最期の最期まで納得できる治療を選択したい、その様な時、対話を重視する懸け橋になるのがメッセンジャーナースです。
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「家に帰りたい」と望む人に「こんな状態では帰れない」と言い、家に帰るのが不安な患者に「これ以上の治療はできない」と家に帰してしまう。今、医療の現場で起きている事は、医療の受け手が自分の思いを伝える前に、結論を出されてしまう事だ。このタイトルにあるように「医療の主体は医療の受け手にある」とするためには、そろそろ医療の受けて側が立ち上がって行く事も必要だと思う。しかし、素人では分からない事が多すぎる。そこをつないでくれる存在として「メッセンジャーナス」に大いに期待したい。
投稿: tora | 2010年2月13日 (土) 11時06分