医療の主体は医療の受け手にあります。
医療が必要になった時、「自分らしくいられる」事を重視して、医療の受け手が治療を選択する、そこに何も問題はありません。問題は、医療者にその思いが十分伝わらない事、認識がずれる事です。 自分の価値観を伝えたい時・理解してもらいたい時、そして 最期の最期まで納得できる治療を選択したい。その様な時、メッセンジャーナースは対話を重視する架け橋になります。
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数年前、母が身体障害者手帳を取得する状況になりました。
その時、その手帳に貼る写真を「とびっきり綺麗なお母さんの写真を探したんだけど…これでどうかな…中々なかったんだけどこれが一番良かったかな」と父が話しながら見せてくれました。一枚の写真にも「その人らしさ」が詰まっています。この会話の時は家族の心が繋がっている事を感じました。身体障害者手帳の中で微笑む綺麗な母ではなく、目の前で横たわる母の事しか知らない医療者には「その人らしさ」が見えないかもしれません。しかし、誰にだってその様な思いがあっての「患者・家族」だと言う事を忘れないで欲しいのです。
この「母らしさ」「父らしさ」そして私の家族らしさを十分に理解し受止め、価値観をわかって下さったメッセンジャーナースに巡り合え、在宅での療養生活が継続できている事を、心から幸せだと思っています。
投稿: オーロラ | 2010年6月15日 (火) 00時27分