メッセンジャーナース、研鑽セミナーの日々と重なって
『あくまでもご本人が中心』の言葉、本当にそう思いながら動いています。
100歳の方が1ヶ月間入院され、ようやく退院しましたが、腎機能など検査データは悪く、入院か在宅での看取りかという状況になっています。入院中、「家に帰りたいのよ、いつになったら帰れるの?」と仰っていた方でした。今回輸血も必要な状況でしたが、転院するのをやめて自宅での療養・介護を決められました。告知された病名に不安を抱えながらも、身近で看ているご家族は「しょうがないだろ、何かあったら先生や看護師さん達に頼んだら良いんだから」と仰っしゃるようになりました。こんな状況でもしっかりしていらっしゃるご本人・ご家族の思いを、看護師として受け止めて行きたいと思います。
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コメント
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昨日、村松先生の講演を聞きました。起業家看護師としてのこれまでの道のりと今取り組んでいるメッセンジャーナースについての講話はとても興味深いものでした。
メッセンジャーナースとしての活動を聞いていると訪問看護師として勤務するわたし自身がその役割を果たす場面は多くあるように感じました。
胃ろうをつくるかどうかを悩んでいた介護者である息子さんにいくら言葉で説明しても伝えきれないことがあると考え同じように介護されているご家族(息子さん)に直接会ってもらい、その介護の様子を見てもらいました。
しかし、ふと昨日の会場からの質問に解答する村松先生の言葉を聞き、わたしは・・・「相談者、家族=対象者と考え、本人がどう生きたいかにきちんと向き合えていたのか」 自分に問う機会となりました。
家族、本人の悩みを受けとめ、それを整理し、医療者との間を橋渡しする看護はおそらく訪問看護師であれば経験することです。
私たちはそのような看護の機能を自然と実践を通して経験として体得してきたように思います。
しかし、そのような経験を自らが意図的に行わなければおそらく看護はケアを行うだけの狭いもので終わってしまうでしょう。
私は訪問看護、在宅看護に携わる方は是非このメッセンジャーナースの研修を受けていただきたい、できるなら自分も受けたいと思いました
今後、メッセンジャーナースが活動していることをもっと周知させていきたい、そんなお手伝いもできればと思った1日でした。
投稿: K・O | 2010年9月12日 (日) 17時03分