どんどんその存在が渇望されていく「メッセンジャーナース」
お休みの日は「テレビが友達」の私。今も,ポーッとテレビを見ていたら…故逸見政孝さんの奥様がお亡くなりになった事を特集されていました。最後に司会の東ちづるさんが「ご家族は精一杯やっても“あれでよかったのか?"と後から後から悩むものです。医療者には遠慮して言えないことやわからないこと,後々のグリーフケアに関わる云々…そういった事が求められて行くのでは無いのでしょうか」と締め括りました。
ポーッとしていた脳みそにスイッチが!!それは,その求めはまさに「メッセンジャーナース」の事ではないですか!
社会からどんどんその存在が渇望されていく「メッセンジャーナース」 研鑽セミナーを受けて,期待に応えられる力量を養って行きたいと願ってます。
« 看護職に役立つ「信頼を育てる コミュニケーション&カウンセリングマインド」 | トップページ | 千秋公園の雪の花 »
「メッセンジャーナースの誕生」カテゴリの記事
- 第6回研鑽セミナーの最終日、医療の受け手は「私は患者ではありません、私は私です。」と思っているに違いありません。(2013.12.16)
- 「メッセンジャーナース」の称号は、賛同者によって浸透しつつあります。(2013.10.14)
- メッセンジャーナース研鑽セミナーを受講して(2011.11.14)
- 研鑽セミナーⅠ「終末期医療 治療のやり過ぎはなぜ起こる?」は、6月18・19日(2011.06.01)
- どんどんその存在が渇望されていく「メッセンジャーナース」(2010.12.23)
« 看護職に役立つ「信頼を育てる コミュニケーション&カウンセリングマインド」 | トップページ | 千秋公園の雪の花 »
コメント