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2014年1月

在宅看護の歴史がわかる ビデオ:在宅看護シリーズ①~④ 好評発売中   ④の在庫は1本です。

ビデオ 在宅看護シリーズ④「看護の原点は在宅にある」 (残1本)

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当社こだわりのビデオは、ご要望にお応えすべく、複製を繰り返して参りました。また、DVD化への要望も承っておりますが、再々検討の末、現在庫限りで販売を停止することに致しました。

訪問看護制度が始まる前後に作成された在宅看護の足跡が辿れる貴重なビデオも、25周年を機に特別価格で販売中です。時代は大きく変化しておりますが、「看護の真髄」は、時代が流れても決して変わることはありません。目と耳を介し心を通して、「看護」はどうあるべきかを改めてお考えいただくことを願っています。

詳細は⇒こちら

シリーズ① 「在宅療養の実情を見つめて」 (残 6本)

シリーズ②「訪問看護実践プロセス」      (残 本)

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【起業家ナースのつぶやき】Vol.55 医療の限界は看護の力で回避できる その2

起業家ナースのつぶやき ● 村松静子 Muramatsu Seiko

Vol.1-vol.45 ⇒ こちら

Vol.55   2014.1.13

「定年退職、バンザ~イ!」などと言ってはいられない。看護師だから持っている真の力を発揮できるのはその後かもしれない。看護の力は、超高齢化する社会にとっては大いに役立つはず。第1に、問題視されているインフォームド・コンセント。医師と患者・家族の意思疎通・解釈・納得を生み出す懸け橋になることができる。身についた観察力・判断力・高度医療の知識は活かせる。加えて、それまで経験した多くの事例を基に対話の研鑽を積むことで看護力は磨かれる。その必要性を感じて動き出したのが「メッセンジャーナース」の認定を持つ看護師たちである。長年培ってきた看護の実力と本来の看護師の役割意識を絶やさない同志の環、その社会参加の仕組みが地域性を重視するメッセンジャーナースによって、各地に拡がり始めている。そろそろ、その看護力を必要とする人たちが、全国どこからでもアクセス出来る、使いやすいシステムをつくらなければいけない。とはいえ、今の最大の課題は、メッセンジャーナースの活動コストをどのように捻り出すかである。看護力を活かそうとすると、必ず資金の捻出にぶつかる。情けないというか、不思議なことだ。それだけ看護が評価されていないということなのだろう。いずれにしろ、この課題をクリアするためには、その事情に精通した人材のプロジェクトチームを立ち上げ、計画的に取り組むことが不可欠だ。

医療の現場は今後もますます高度化・複雑化して行く。そんな中では、熱心な看護師ほど、本来の役割が果たせていないと嘆き、物足りなさを感じている。何時の日か、何らかの形で本来の看護を行ないたいと思っている。そんな彼らには心の余裕を与えることが必要だ。そして、改めて今の医療現場を振り返らせる。そうすることで、医療の受け手が『納得』して治療を受けられるよう手助けすることは、看護師の大事な役務であることに気づく。

高齢者の医療にはいくつもの課題が潜んでいる。その課題解決に取り組むには医療の担い手と受け手の懸け橋になる人材が必要である。その懸け橋に最もふさわしい人材とは、今の医療現場に違和感を抱き、このままではいけないと、さらに研鑽を積もうとしている看護師であろう。医師によるインフォームド・コンセントが短時間で確実に効果をあげることを支えることにもなる。医療の受け手が自らの生き方を考えた上で、主体的に治療・処置を選択できるよう、延命のための治療や処置、薬剤の大量投与等、過剰医療を自ら避けられるよう、時に促し、時に代弁し、傍らから支持するのだから。

看護の力は、高齢者一人ひとりが自分らしく生きることの意味に気づき、自分らしく生き抜くことを支えられる。磨かれた看護の力を最大限活用することで、医療の現場に立ちはだかっている壁を乗り越え、その行き詰まり現象を回避できるはずなのである。

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【起業家ナースのつぶやき】Vol..54 医療の限界は看護の力で回避できる その1

起業家ナースのつぶやき ● 村松 静子 Muramatsu Seiko   
看護することを心から愛してやまないが故にぶつかる壁・壁・壁。
長年に渡る自らの経験と積み上げてきた実績から、看護を取り巻く社会へ、そして看護職へ、熱く厳しいメッセージを送ります。

Vol.1-vol.45  ⇒ こちら

Vol.54     2014.1.1

医療器材・器具を装着しての早期退院、超高齢者同士の世帯、独居高齢者、孤独死、考えてもいなかった事態が拡がっている。救急搬送されると救命措置が施されるのは当然のこととはいえ、高齢者にどのような治療をどこまで施すかの判断は担当医師に任される。そこで施された処置が、高齢者のその後の生き方を一変させ、生活意欲が失せ、家族の負担を強いるケースもある。継続治療の目的だけでは入院できず、施設にも戻れず、退院後はたらい回しされる。医療の受け手とその家族は、この状況に耐えてはいるが、納得はしていない。自力で起き上るどころか意思表示すらできない。生きる灯が今にも消えそうな高齢者。それでも医療は続けられる。本人の意思が確認できないまま、その願いとは裏腹な生き方を強いてしまったと嘆く家族もいる。

超長寿国へと邁進する日本。医療施設は最新の医療機器とIT機器で、益々複雑化し、平成24 年度医療費の総額は前年度比約0.6 兆円増の384 千億円、そのうちの45.4%の174千億円は70歳以上の高齢者が占めている。一方、診療報酬の絡みから入院期間が年々短縮され、当事者は戸惑う。そんな中でインフォームド・コンセントが普及されて久しいが、対話不足が露呈。医療の受け手を無視した延命・過剰医療も目につく。高齢者自身の意思を尊重する主体的医療にはなっていない。

延命だけを助長する治療や処置、薬剤の大量投与は慎重であらねばならない。自力でやっと生活している高齢者の場合、入院して治療・処置が成功したとしても、多くの人は、退院後、長時間の介護が必要になる。「高度な医療は受けたくない」「一人になっても、できるだけ我家で暮らしたい」。そんな本人の思い・生き方を極力尊重する主体的医療を支える体制づくりが急務と考える。

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