06 起業家ナースのつぶやき

【起業家ナースのつぶやき】Vol..58看護師の意識が変われば看護の心髄が蘇る その3

Vol.58 2015.8.22      vol.1-vol.45 ⇒ こちら 

30年とはいえ、よくもまぁ次から次へとやってきたものだ。我ながら感心する。しかし求めていることは一貫して変わっていない。ただ1つ、看護師が本来の看護をあたり前のように提供すること。それだけで救われる人がどれだけいることか。つまりは、あたり前のようにできていないと言われる、周囲の声が虚しく響くからである。

1986年(昭和61年)324日、 “いつでも、誰でも、何処ででも、必要な時に、必要な看護を、必要なだけ提供する”を基本理念に訪問と相談の2コースでスタートした在宅看護研究センターは、多様な形で在宅看護を実施しながら教育の柱も立て、次々に行動を起こしてきた。「心温かな医療と看護を語り合う集い」を皮切りに、「これからの看護を語り合う集い」「慢性病と歩む集い」を定期的に催し、全国行脚し、「主婦のための知っておきたい看護法」「患者・家族の会」「痴呆介護ヘルパー育成研修」「緊急一時介護ヘルパーの育成」等の研修、さらには海外視察までも行った。1990年(平成2年)開講の『開業ナース育成研修』に関する呟きからは当時を偲ぶことができる。

331日の夜、銀座のとある中華料理屋の一室には笑いと熱気が漂っていた。修了生たちと在宅看護研究センターの構成メンバー、総勢21名が集合し、個々人の現状やこれからの活動を語り合っていたのだ。われもわれもと語るものだから、ちょっとやそっとの声では聞こえない。大声を張り上げ「私の話を聞いてよ!」と主張する者、「ちょっと待って!私は絶対やる。そうよ、負けてなんかいないわよ」と立ち上がる者、「え~、私は何期生だか忘れましたが、ここで研修を受けたのは確かです」と、その存在をアピールする者、「まだ甘い、甘すぎる」と厳しく訴える者、それはそれは個性溢れる人たちばかりだ。そこには経営で苦しむ悲壮感などはまったく感じられない。勇ましさと頼もしさとあたたかな心が飛び交っていた。全国に散らばって、さまざまな形で真の看護を求め続ける開業ナースたちに与えられている第一の課題はネットワークづくり

200410月には、「介護保険制度の次の手は介護予防?」と題して呟いている。

一看護師として現場に携わる一方で、一市民、一女性、そして家族の一員として歩み続けた私は、50歳代半ばを駆け上り、フッと立ち止まって、思うことがある。
 
人間、"生きる気力"を保ち続けられるかどうかで、人生の歩み方が決まる。そこには日々感ずる喜怒哀楽に加え、自己の存在価値を自他共に認められることが必要である。そしてそこに不可欠なこととして"譲り合う心"の存在がある。共に社会をつくる同士として、互いに一歩ずつ近づき、一歩ずつ譲り合うことが、今、求められているように思う。
 

看護師の心に潜んでいるおごりの精神は、とかくその受け手の心を傷つける。看護師自身は気づかなくても、得意になっている様やたかぶっている様が、その素振りや発する言葉の端々に顔を出す。それが受け手を不愉快にさせる。「してやっているのよ、看てやっているのよ」と、恩着せがましく身勝手に映るからである。本来誰でも、他人に気を遣わずに自分の思い通りに行動することを望む。 

何はともあれ、それから10年が過ぎ、「介護予防」の重要性が強く叫ばれるようになっている。私の考えはあの時と変わっていない。変わったのは、当時できなかったことが着実に位置付こうとしていること。2011年に誕生したメッセンジャーナース、その活動の輪が全国にジワリジワリと拡がっている。彼女たちによって看護の真髄は必ず明らかになる。社会に認められる時が来るに違いないのだ。

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【起業家ナースのつぶやき】Vol..57看護師の意識が変われば看護の心髄が蘇る その2

Vol.57 2015.8.16      vol.1-vol.45 ⇒ こちら

   センターを開設して半年たったある日、2人の男性がセンターの小さな事務所にやってきた。そして言った。「これからはシルバーサービスの時代と私たちは読んでいます。私たちは関連会社11社でそこを追究する研究グループを設けています。でも、何をどうやったら良いか、正直検討がつきません。あなたたちは看護師さんの集団です。私たちは何から行ったら良いでしょうか。一緒にできることはないでしょうか」。

  看護大学づくりに加わっていた私がその大学を離れるにあたって最も悔やんだのは、研究とカリキュラム編成に参画できないということであった。そんな思いの中から誕生したのが「在宅看護ヘルパー育成プログラム」である。看護一筋の私に、かすかに芽生え始めたビジネス感覚ともいえる。在宅看護は看護と介護の連動・連鎖、在宅介護ヘルパーではない在宅看護ヘルパーという名称にこだわりながら進む私の活動は、明らかに看護の自立の方向へ向かっていた。

  十数年前、呟いた「看護の自立をはばむもの」 としてはもう1つある。

その5:看護の本質はいつの時代になっても変わらない。しかし、資格をもつ看護師に求められる看護機能は明らかに変わってきている。そのため、変わらないはずの本質までもが変わってしまうような錯覚に陥ることがある。サービスとしての看護機能は今後もさらに広がり続けるであろう。そこで不可欠なのが『看護の自立』である。それは私たち看護師一人ひとりの意識と行動にかかっている。「看護師さん、あなたたちは医師のかばん持ちではありません。看護師さんには看護師さんのすることがあるはずです」と言われて17年、やっと「あなたの看護は自立していますか」と問われる時代がやってきた。受け手にしっかり向き合ってこそ味わえるプロの醍醐味がそこにはある。

私がめざしていることは今でも変わらない。看護師がその心髄を極めた看護をあたり前のように提供し、「看護師が居て良かった」と、本人・家族はもちろん、周囲の人たちにも認められることである。(続く)

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【起業家ナースのつぶやき】Vol..56看護師の意識が変われば看護の心髄が蘇る その1

起業家ナースのつぶやき ● 村松静子 Muramatsu Seiko 

看護することを心から愛してやまないが故にぶつかる壁・壁・壁。
長年に渡る自らの経験と積み上げてきた実績から、看護を取り巻く社会へ、そして看護職へ、熱く厳しいメッセージを送ります。
vol.1-vol.45 ⇒ こちら

Vol.56 2015.8.13

 医療現場の仕組みはこれで良いのか、これしかないのか。変えられないのか。今の時代だから問いたい!何かが足りない、どこかが狂っている、そんな気がしてならない。とはいえ、私は今なお開業ナースとして駆けている。看護のあるべき姿を求めて・・・

今から十数年前、私は「看護の自立をはばむもの」と題して、意気込んで呟いている。

その1:大きな組織を離れた私にとって、その第一の壁は「周囲からの批難、特に同僚からの批難の眼と声」であった。『看護は聖職じゃない? 看護を売るなんて、あなた気でも狂ったの? 人道・博愛の精神はどこへ行ったの?
 
看護婦は組織を一歩離れたら家政婦と同じなのよ、わかっているの? ‘浣腸だって摘便だって、結局は医療行為なのよ。看護婦の独自の機能なんてないのよ。 あなたがおこなおうとしていることは10年早いわよ
 
私たち医者は皆を平等に診ている。君たちはお金を払えない人たちにはどうするんだね
 
悔しい一言一言、そこへ返したい言葉はいくつもあった。しかし、耐えるしかなかった。
 
そんななかで、
 
あなたたちのなさることは大事なこと。看護婦さんは医師のかばん持ちではありません。 もっと、本当の看護婦として私たちを助けてください』 療養者を抱える家族の声である。嬉しかった。涙が出てきた。私の心は葛藤していた。その心を自らなだめた。 -いつかはきっとわかっていただける-

その2:続いて第二の厚い壁があった。法の壁である。-保健婦助産婦看護婦法 第37条-「保健婦、助産婦、看護婦又は准看護婦は、主治の医師又は歯科医師の指示があった場合の外、診療機械を使用し、医薬品を授与し、又は医薬品について指示をなしその他医師若しくは歯科医師が行うのでなければ衛生上危害を生ずる虞のある行為をしてはならない。但し、臨時応急の手当をなすことは差し支えない」
 
昭和23年に制定されたこれらの条項を、今の時代の流れの中でどう解釈すべきなのか、私の頭の中はその解釈のことでいっぱいになっていた。

その3:私自身の経営感覚と経営能力の足りなさという第三の壁にぶつかった。一ナースの私にとっては、これこそが最大の壁だったのである。理想はあくまで理想であり、資金が無ければ継続できない。開業して半年後、200万円の資本金が40万円しか残っていないことに気づいた私はあせった。
 
部屋代が払えなくなったらどうしよう、
 
電話代が払えなくなったらどうしよう、
 
スタッフの給料が払えなくなったら・・・頭を過ぎる不安の数々、
 
「このままでは続けられない」それが現実の姿であった。

この道30年を前に振り返り、我ながら感心した。保健婦助産婦看護婦法 第37条は少しだけ変わった。それでも私が求めるものは看護一筋の道、私にできることはこれしかないと、自問自答しつつ、寄り道せずに未解決の道をしばし歩んで行こうと決めた。(続く)

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【起業家ナースのつぶやき】Vol.55 医療の限界は看護の力で回避できる その2

起業家ナースのつぶやき ● 村松静子 Muramatsu Seiko

Vol.1-vol.45 ⇒ こちら

Vol.55   2014.1.13

「定年退職、バンザ~イ!」などと言ってはいられない。看護師だから持っている真の力を発揮できるのはその後かもしれない。看護の力は、超高齢化する社会にとっては大いに役立つはず。第1に、問題視されているインフォームド・コンセント。医師と患者・家族の意思疎通・解釈・納得を生み出す懸け橋になることができる。身についた観察力・判断力・高度医療の知識は活かせる。加えて、それまで経験した多くの事例を基に対話の研鑽を積むことで看護力は磨かれる。その必要性を感じて動き出したのが「メッセンジャーナース」の認定を持つ看護師たちである。長年培ってきた看護の実力と本来の看護師の役割意識を絶やさない同志の環、その社会参加の仕組みが地域性を重視するメッセンジャーナースによって、各地に拡がり始めている。そろそろ、その看護力を必要とする人たちが、全国どこからでもアクセス出来る、使いやすいシステムをつくらなければいけない。とはいえ、今の最大の課題は、メッセンジャーナースの活動コストをどのように捻り出すかである。看護力を活かそうとすると、必ず資金の捻出にぶつかる。情けないというか、不思議なことだ。それだけ看護が評価されていないということなのだろう。いずれにしろ、この課題をクリアするためには、その事情に精通した人材のプロジェクトチームを立ち上げ、計画的に取り組むことが不可欠だ。

医療の現場は今後もますます高度化・複雑化して行く。そんな中では、熱心な看護師ほど、本来の役割が果たせていないと嘆き、物足りなさを感じている。何時の日か、何らかの形で本来の看護を行ないたいと思っている。そんな彼らには心の余裕を与えることが必要だ。そして、改めて今の医療現場を振り返らせる。そうすることで、医療の受け手が『納得』して治療を受けられるよう手助けすることは、看護師の大事な役務であることに気づく。

高齢者の医療にはいくつもの課題が潜んでいる。その課題解決に取り組むには医療の担い手と受け手の懸け橋になる人材が必要である。その懸け橋に最もふさわしい人材とは、今の医療現場に違和感を抱き、このままではいけないと、さらに研鑽を積もうとしている看護師であろう。医師によるインフォームド・コンセントが短時間で確実に効果をあげることを支えることにもなる。医療の受け手が自らの生き方を考えた上で、主体的に治療・処置を選択できるよう、延命のための治療や処置、薬剤の大量投与等、過剰医療を自ら避けられるよう、時に促し、時に代弁し、傍らから支持するのだから。

看護の力は、高齢者一人ひとりが自分らしく生きることの意味に気づき、自分らしく生き抜くことを支えられる。磨かれた看護の力を最大限活用することで、医療の現場に立ちはだかっている壁を乗り越え、その行き詰まり現象を回避できるはずなのである。

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【起業家ナースのつぶやき】Vol..54 医療の限界は看護の力で回避できる その1

起業家ナースのつぶやき ● 村松 静子 Muramatsu Seiko   
看護することを心から愛してやまないが故にぶつかる壁・壁・壁。
長年に渡る自らの経験と積み上げてきた実績から、看護を取り巻く社会へ、そして看護職へ、熱く厳しいメッセージを送ります。

Vol.1-vol.45  ⇒ こちら

Vol.54     2014.1.1

医療器材・器具を装着しての早期退院、超高齢者同士の世帯、独居高齢者、孤独死、考えてもいなかった事態が拡がっている。救急搬送されると救命措置が施されるのは当然のこととはいえ、高齢者にどのような治療をどこまで施すかの判断は担当医師に任される。そこで施された処置が、高齢者のその後の生き方を一変させ、生活意欲が失せ、家族の負担を強いるケースもある。継続治療の目的だけでは入院できず、施設にも戻れず、退院後はたらい回しされる。医療の受け手とその家族は、この状況に耐えてはいるが、納得はしていない。自力で起き上るどころか意思表示すらできない。生きる灯が今にも消えそうな高齢者。それでも医療は続けられる。本人の意思が確認できないまま、その願いとは裏腹な生き方を強いてしまったと嘆く家族もいる。

超長寿国へと邁進する日本。医療施設は最新の医療機器とIT機器で、益々複雑化し、平成24 年度医療費の総額は前年度比約0.6 兆円増の384 千億円、そのうちの45.4%の174千億円は70歳以上の高齢者が占めている。一方、診療報酬の絡みから入院期間が年々短縮され、当事者は戸惑う。そんな中でインフォームド・コンセントが普及されて久しいが、対話不足が露呈。医療の受け手を無視した延命・過剰医療も目につく。高齢者自身の意思を尊重する主体的医療にはなっていない。

延命だけを助長する治療や処置、薬剤の大量投与は慎重であらねばならない。自力でやっと生活している高齢者の場合、入院して治療・処置が成功したとしても、多くの人は、退院後、長時間の介護が必要になる。「高度な医療は受けたくない」「一人になっても、できるだけ我家で暮らしたい」。そんな本人の思い・生き方を極力尊重する主体的医療を支える体制づくりが急務と考える。

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【起業家ナースのつぶやき】 Vol.53      今、改めて業界を越えた取り組みを!       明るい未来をつかむために

私の心が動いたホームページがある。⇒http://www.api-kk.com/

なぜ動かされたのか。それは『社長挨拶』、若き社長の厳とした意志が私の心にスッ~と入ってきたからである。彼は言っている。

弊社は2年前に大きな決断をしました。今までやっていた大量生産型の製造業から産学連携をベースとした開発型企業へのシフトです。会社の規模はダウンサイズされましたが、小粒でもピリリと辛い山椒のように  小さい規模だからこそ フットワーク良くお客様のニーズにお答えしていきたいと思います。自社製品を売れる喜びと誇りを感じながら「お客様第一」をモットーに日々業務に邁進して参ります。今後も「地域から世界の技術を創造しよう」という企業理念を 仕事を通じて実現して行きたいと思います。」

起業理念の「地域から世界の技術を創造しよう」 これにも惹かれたが、何と言っても“小粒でもピリリと辛い山椒のように” この言葉が私の心を動かした。彼の決断は将来の発展を意味する。

API社で取り扱っている商品はヘルスケアに関連したものが目立つ。

その1つに『わたりジョーズ君』がある。秋田大学工学資源学部との共同開発で誕生した。VR技術を用いて現実味を加え、各自の歩行能力や判断力も測定・解析できる。高齢者に多い交通事故を意識して開発されたものと伺えるが、発売と同時に注目が集まり、交通安全を重視する機関での採用が続いているという。コンパクトで運びやすいという利点もあり、今後もさらに需要が伸びるはずと私は睨んでいる。

2つ目は、秋田県立大学とで共同開発された『スマート電子白杖』である。振動によって障害物の情報を得ることができる。関心をもった私は、実際に手にして歩いてみる機会を得た。この商品は看護教育に役立つ。歩行演習の中で用いたら、視覚障害者の気持ちにより近づくことができるはず。数年に亘って感覚器患者の看護のクラスを担当していた私がこの杖を手にして実感したことである。私の提案に同感し、すでにクラスで活用している看護教員もいる。この杖は、暗闇で周囲が見えなくなった時に使用するにも有効ではないかと、私は密かにその使い道を探っている。

API社では、『手術用針の探知器』も開発している。床に落ちた手術針を音と光で探し当てるという、医療現場ならではの発想から誕生したものだ。何はともあれ、私がまだ新卒の頃創設に関わった秋田県立脳血管研究センターとの共同開発と知ると、それだけでつい気が惹かれるから不思議なものである。

今私は、明るい未来をつかむために、小粒でもピリリと辛い山椒のような味のある業界とコラボして新たな商品を生み出せたらと考えている。名案が沸々と湧いて来ているからだ。

村松静子のコラム【起業家ナースのつぶやき】Vol.1~45は⇒ こちら

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コラム【起業家ナースのつぶやき】 Vol.52  メッセンジャーナースの看護力に期待!

看護師の礎となる看護力を発揮すべくメッセンジャーナースが動き出した。一番手はA認定第1号のメッセンジャーナース、岡山で活動開始。二番手は5人揃った新潟は佐渡。少し出遅れて東京そして栃木。鹿児島でも動き出した。埼玉でも千葉でも群馬でも北海道でも香川でも・・地域性を重視し、独自に模索している。20134月現在、メッセンジャーナースの認定を受けた者は19都道府県に跨って43名。何はともあれ動き出したのである。

私は、「今、必要だから・・」の一心で、病院と出向先の大学のポストを外れ在宅看護の道へ。その実践と教育を研究的に取り組んできた。動くことには意味がある。新しい事を始める時にぶち当たる障壁、それを乗り越えようともがく苦しみにも価値がある。医師の指示の下で動く看護師という立場に疑問を抱きながらも、法律順守を念頭に、必要な時に必要な看護を必要なだけ提供するという意気込みを持って動いてきた。私の閃きは早朝、5時~6時頃、アイディアが浮かんで深まってくる。頭が冴えてくる、じっとしていられなくなる、こうして私は飛び起きる。看護職として未だすべきことがある、まだできることがあると、いつも思っている。

物が溢れ、次々に新しい物が開発され、何でも手に入る今の時代。いかにもすべてが豊かであるように見える。しかし視点を変えれば、豊かな社会が貧しくとんでもない事態を招いているようにも映る。超高齢社会の中で一人暮らしの高齢者が増え続けている。元気であれば良いが生活することの意味が無視され、生きることの価値を考えさせられる状況もある。過剰医療が施されている現実があるのだ。家族も戸惑っている。遠く離れて暮らす家族の中には、自らの生活だけでなく生き方さえも変えなければいけないのかと悩む人もいる。悩みを自ら解決し決断するには誰かの手助けが必要になる。そこに登場するのがメッセンジャーナースである。

そこで、私はメッセンジャーナースの活動を推進している。メッセンジャーナースの行動には、「私はあなたのメッセンジャーになりたい」という真心が現れる。メッセンジャーナースは、誰かの指示で動くのではない。家族の言いなりになるわけでもない。あくまで本人の意思を何らかの手段で確認し尊重できるように傍らから援助するのだ。現代医療に関する知識だけではなく、人間の心理について学ぶ必要がある。何より看護の心を重視し、患者・家族と医療の懸け橋になるのだ。その人にとって無駄のない今必要な適切な医療・ケアを、納得して受けて頂けるよう手助けしようというのだ。メッセンジャーナースは、教授や看護部長・看護師長の役割を果たしながら、活動の礎を固めるべく動いている。

高齢化の進展に対応した医療提供体制の改革を2017年度までに実施しようという国の動きがある。必要なのは形式ではなくそれらの奥の深さである。今こそ看護師が持つメッセンジャー力を磨くことで大いに役立つと信じている。

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Vol.51「俺が我慢して入って居れば、みんないいんだベ!」 高齢者医療はどうあるべきか

2011年3月11日18時49分、「我が家全員無事です。停電していてパソコンがつかえません。明日の参加は残念ですが参加出来ません。またご連絡します。」福島の訪問看護師から届いたショートメールである。その後、私は福島市内にセカンドハウス「ここさこらんしょ」を立ち上げるため、彼女との二人三脚で、賃貸の一軒家を探した。あのやりとりは忘れられない。そんな彼女から昨夜1通のメールが届いた。

「父が亡くなりました。私が福島に帰って5年、小脳出血で倒れて19年の月日が流れていました。
震災の頃は、まだ経口でなんとか食べていました。老人介護施設に入所、それまでも発熱を繰り返していましたが、翌年食事を詰まらせて入院。お決まりのごとく、胃瘻を作りました。もともと胃ガンで、胃を3分の1取っていました、案の定痰は多く、逆流性の誤嚥性肺炎を!
昨年11月父の数少ない言葉の中に、「もういらない、水もいらない!」 施設と主治医との話し合いで、入れていいと言う時のみ入れてもらっていました。それでも痰は続き、今年3月肺炎で入院しました。注入食を止めると安定して、再開すると再燃する。それでも4月中旬、注入食を再開して施設に退院したその日また急変し入院。
それでもまた1日1000mlの末梢点滴で吸引をされながら命をながらえていました。5月いつものように仕事帰りに病室に行くと、痰に苦しむ父がいました。昨日までとは明らかに違っており、痰の量も格段に増えていました。「痰を取るかい」と聞くと「うん」と、痰は採っても採っても溢れてきました。その上、波のように痛みが襲って来ていました。「どこが痛いの?」「わがんね!全部!」「大丈夫!」と言いながら頭をなでていました。父も「我慢すればいいんだ!」と言い、何度聞いても「大丈夫だ、苦しくね!」痰取ろうか?と言うと「いい!」そんな繰り返しでした。何度も頭をなでていました。翌日仕事もあって、帰っていいかと聞くと「うん!大丈夫だ!」後ろ髪が引かれましたが帰りました。翌日またいつものように仕事帰りに行くと息を引き取ったところでした。
施設に入所した頃「俺が我慢して入って居れば、みんないいんだベ!」と話していたそうです。認知機能は低下して覚えている事はできませんでしたが、その場の話しはできました。兄弟には厳しい父でしたが私には優しい人でした。
今日初七日を無事済ませ、また明日から仕事です。少しホットした事も事実です。いい看取りではありませでしたが、父の姿を胸に刻んで次に進みたいと思います。
お知らせでした。」(TaM

このところ飛び込んでくる高齢者医療の相談・情報、そこに潜んでいる問題と課題。高齢者の域に入った私、元気でこうしていられる間だからこそ、まだやらなければいけないことがある。

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Vol.50  私は銅製聴診器「スピリット」を選んだ ③なぜ銅製にしたのか

なぜ銅製聴診器「スピリット」にしたのか。音をピックアップするという本来の目的を果たすための聴診器は、大きくて、やや重い方が良いが、持ち運びや使いやすさという点でいえば小さめで軽い方が良い。どちらを選ぶかはその人の考え方次第だ。私は迷わず、性能を第一に選ぶ。いや、看護師の私の技量ではたかが知れている。ということで、今回はチェストピースと耳管が銅製でできている黒色の聴診器を持つことにした。黒と銅色、それに50mmチェストピースの手ごたえ、体面へのフィット感が良く聴きやすいからとても気に入っている。さて、チェストピースの材質も性能に関係する。音は発生したあと空気や物体の中を伝播し、吸収され、最終的に熱エネルギーに変換されて消失するわけだが、重い金属には吸収されにくく、軽い金属やプラスチックには吸収されやすい。聴診器の性能は、値段によって異なるらしい。しかし、その性能の違いが判るかどうかは、その人によって違うだろう。単に心拍を聴くのであれば、どれを使っても大差はない。本来、心拍に混じるほんのわずかな雑音が明確に聞き分けられるかどうか、そのあたりが性能の差になるのだが・・・。

メーカーの多くの高性能聴診器にはチェストピースとしてステンレスやチタンを採用し、そうでない聴診器にはアルミやプラスチックを採用している。そんな中で、今、銅が注目されている。殺菌効果があるとわかったからである。私はこの聴診器を手にすることで、現状の感染防止対策に疑問が浮かんできた。看護の流れを考えると、“1ケア1手洗いの徹底”には無理がある。そこで工夫が必要だ。これまでの経験から、ああすれば、こうすれば・・と浮かんでくる。お勧めの銅製聴診器は何とも言えない存在感を漂わせ、惹きつけられるから不思議だ。

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Vol.50 私は銅製聴診器「スピリット」を選んだ ②自分用の聴診器を持ちたいと思った時期 

私はもともと聴診器が好きで、よく聞こえる聴診器はどれだろう、持った感触はどうだろうと、いろいろ見て手にとってきた。これが何とも楽しい。いろいろな場面や思いが浮かぶからである。看護師としては胸だけではなく、首やお腹にも聴診器を当てる。聴診器で何の音を聴くのか?一般的には、心音、呼吸音を聴く。もちろん、血管の雑音や消化管の音も聴く。聴診器なしでも聴こえたり、手でその感じを捉えたりもする。首やお腹に聴診器を当てたときはそんなに細かい音まで聴く必要性はないので安価な聴診器だって良い。お腹はむしろ外見だったり触れる方がわかることの方が多い。それでも聴診器はいじりたいから不思議だ。

私の場合、自分用の聴診器を持ちたいと思った時期が3回あった。「よし、看護でやって行こう」と思った時期。「もう少し高級感のある聴診器がほしい」と思った時期。そして今の時期、「感染対策に一考を投じられる聴診器かもしれない」という聴診器に出合ったからである。2012年の暮れ、私の聴診器は、アメリカ製の「リットマン聴診器」から、銅製聴診器「スピリット」に変わった。

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