【起業家ナースのつぶやき】Vol..58看護師の意識が変われば看護の心髄が蘇る その3
Vol.58 2015.8.22 vol.1-vol.45 ⇒ こちら
30年とはいえ、よくもまぁ次から次へとやってきたものだ。我ながら感心する。しかし求めていることは一貫して変わっていない。ただ1つ、看護師が本来の看護をあたり前のように提供すること。それだけで救われる人がどれだけいることか。つまりは、あたり前のようにできていないと言われる、周囲の声が虚しく響くからである。
1986年(昭和61年)3月24日、 “いつでも、誰でも、何処ででも、必要な時に、必要な看護を、必要なだけ提供する”を基本理念に訪問と相談の2コースでスタートした在宅看護研究センターは、多様な形で在宅看護を実施しながら教育の柱も立て、次々に行動を起こしてきた。「心温かな医療と看護を語り合う集い」を皮切りに、「これからの看護を語り合う集い」「慢性病と歩む集い」を定期的に催し、全国行脚し、「主婦のための知っておきたい看護法」「患者・家族の会」「痴呆介護ヘルパー育成研修」「緊急一時介護ヘルパーの育成」等の研修、さらには海外視察までも行った。1990年(平成2年)開講の『開業ナース育成研修』に関する呟きからは当時を偲ぶことができる。
3月31日の夜、銀座のとある中華料理屋の一室には笑いと熱気が漂っていた。修了生たちと在宅看護研究センターの構成メンバー、総勢21名が集合し、個々人の現状やこれからの活動を語り合っていたのだ。われもわれもと語るものだから、ちょっとやそっとの声では聞こえない。大声を張り上げ「私の話を聞いてよ!」と主張する者、「ちょっと待って!私は絶対やる。そうよ、負けてなんかいないわよ」と立ち上がる者、「え~、私は何期生だか忘れましたが、ここで研修を受けたのは確かです」と、その存在をアピールする者、「まだ甘い、甘すぎる」と厳しく訴える者、それはそれは個性溢れる人たちばかりだ。そこには経営で苦しむ悲壮感などはまったく感じられない。勇ましさと頼もしさとあたたかな心が飛び交っていた。全国に散らばって、さまざまな形で‘真の看護’を求め続ける開業ナースたちに与えられている第一の課題はネットワークづくり。
2004年10月には、「介護保険制度の次の手は介護予防?」と題して呟いている。
一看護師として現場に携わる一方で、一市民、一女性、そして家族の一員として歩み続けた私は、50歳代半ばを駆け上り、フッと立ち止まって、思うことがある。
人間、"生きる気力"を保ち続けられるかどうかで、人生の歩み方が決まる。そこには日々感ずる喜怒哀楽に加え、自己の存在価値を自他共に認められることが必要である。そしてそこに不可欠なこととして"譲り合う心"の存在がある。共に社会をつくる同士として、互いに一歩ずつ近づき、一歩ずつ譲り合うことが、今、求められているように思う。
看護師の心に潜んでいるおごりの精神は、とかくその受け手の心を傷つける。看護師自身は気づかなくても、得意になっている様やたかぶっている様が、その素振りや発する言葉の端々に顔を出す。それが受け手を不愉快にさせる。「してやっているのよ、看てやっているのよ」と、恩着せがましく身勝手に映るからである。本来誰でも、他人に気を遣わずに自分の思い通りに行動することを望む。
何はともあれ、それから10年が過ぎ、「介護予防」の重要性が強く叫ばれるようになっている。私の考えはあの時と変わっていない。変わったのは、当時できなかったことが着実に位置付こうとしていること。2011年に誕生したメッセンジャーナース、その活動の輪が全国にジワリジワリと拡がっている。彼女たちによって看護の真髄は必ず明らかになる。社会に認められる時が来るに違いないのだ。
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